私は、母が苦手だ。
電話に出る時にも緊張する。特に機嫌の悪い時、必ず私に言う言葉がある。
「貴女のような専業主婦は、暇でいわね。私は、仕事しているから休む暇は無いのよ。働かざるもの食うべからずだわ!」
そう、母は、薬剤師として長年働いてきた。
八十三歳の今も、現役である。
今年母は、年明け早々に一人暮らしになった。父が、他界したからだ。末期癌だった薬剤師の父は、病院嫌いで、入院わずか六日間で旅立って行ってしまった。
私が駆け付けた時は、まだ普通の会話が出来ていた。夜、そばに付き添った私に父が、唐突に、
「母さんは、掃除機が怖いのかもしれない。
きっとそうだ。あの音が怖いんだ。」
と、言った。
薬局を経営する我が家の家事は、幼いころは祖母と従業員が全部やっていた。祖母が、寝たきりになり老老介護が始まった頃から、薬局の仕事もしながら、朝食の仕度と掃除は、父の役目となった。
父が亡くなる半年前、突然父は、最新式のコンパクトで軽い掃除機に買い替えた。他にも自動で掃除をする丸い形の掃除機も購入している。しかし、母は一度も使わなかった。
父が、何度か教えようとしても、逃げるように嫌がった。そのたびに、父は首をかしげた。
父亡きあと、すぐそばに住む弟が、たまに掃除機をかけてくれるらしい。しかし、弟夫婦も忙しく、母の家の掃除まで手が回らない。
今年、父の初盆で、私は帰省する。
「早く帰ってきてね。掃除が待っているわよ。掃除機できちんと掃除してね。」
電話口から聞こえる母の声は、心なしか寂しそうだった。
「母さんは掃除機が怖いのかもしれない。」
最後の力を振り絞って、父は、私に残された母を気遣うように頼んでいったのだと思った。