母は四十を迎えた時、
「人生八十年とするでしょ。そうしたら今年で折り返し。来年の誕生日からは、一つずつ歳を捨てていくことにするわね」
と言った。
「やだぁ、あと何年生きられるかのカウントダウンみたい」
と嫌がる私に、
「そう? でもまあ、来年は三十九歳になるつもりだから、覚えておいてね」
と言うと、ふふっと笑った。
この原理でいえば、母は現在「十二歳」。孫娘よりも年下になっている。
年齢を一つずつ返上するようになってから、母は急にイキイキしはじめた。少しでも興味を持ったことには、臆することなく手をのばす。確か一昨年はガーデニング、去年は囲碁だった。今年は子供からの悲願であるピアノに挑戦するという。
「先生ったら、ドレミファソラシドの指使いの練習ばっかりさせるのよ。わかるんだけどね、私、この歳からピアニストになりたいわけじゃないし、二年も三年も基礎練習をしていたら、曲弾けるになるまでに死んじゃうかもしれないって焦るのよ。」と笑う。半分冗談、半分本気なんだと思う。
そうしているうちに、私にも「歳を捨てはじめる年齢」がやってきた。ここまできて、ようやく気付いたことがある。それは
「歳を一つずつ返上する」
と言った時の母の思いだ。
母はただ、四十代以降の年齢になることに抵抗があっただけなんじゃないだろうか。もっと新しいことに挑戦したいし、できればずーっと若くいたい。これが女心というものだ。
自称十二歳の母を、四十の娘がおいかける。母が残りの時間を考えて行動しているのか、女心で年齢を返上しているのかはわからない。ただわかるのは、好奇心旺盛な母は、ユニークでかっこいい自慢の母だということだけだ。