おととい83歳で亡くなった記録作家、林えいだいさんの戦時下の体験である。神主だった父に連れられ神社を掃除していたら、床下に人の気配がした。炭鉱の過酷な労働から逃れて来た朝鮮人だった。みなが素足で、けが人もいた
前天以83岁高龄辞世纪实性文学作家林荣代先生曾经讲述过一段在战争年代的亲身经历。有一天,他跟着担任神社神主的父亲打扫神社时,发现地板的下面有人。原来是一些经受不住煤矿上过于严酷的工作而逃出来的朝鲜人。他们都光着脚,还有一些人还受着伤。
父は彼らをかくまった。しかし、そのために警察の拷問を受け、命を落としてしまう(『筑豊・軍艦島―朝鮮人強制連行、その後』)。作家としての原点にある体験なのだろう。戦争、公害そして朝鮮人強制連行の実態を掘り起こし続けた生涯だった
父亲就将他们藏了起来。没想到因为此事却遭到了警察的严刑拷打,并丢了性命(摘引自《筑丰•军舰岛——朝鲜人流放、及之后》)。作为作家这是存在于事业基点上的一段经历。他的一生始终在挖掘战争、公害,以及朝鲜人流放的真相。
朝鮮民謡の替え歌を著書で紹介している。連行された男性が歌っていた。〈日本へきてみれば、ひもじくて生きられない。石炭を掘る時は、ひもじくて死にそう。それを言うと木刀で殴られた……母さんに会いたいよ〉
他著书介绍朝鲜民谣的翻唱歌曲。那些被流放的人时常唱起它。<来到了日本,忍饥挨饿无法生存。挖煤时,饿得前胸贴后背奄奄一息。一说起这些就会挨板子打,……我们想念妈妈>
日本人の加害に向き合い、虐げられた人々の側に立つ。そんな林さんの姿勢とは、まったく違う態度である。小池百合子東京都知事がおととい、関東大震災で朝鮮人虐殺があったかどうかを問われ、明言しなかった
面对日本人施加的迫害,他站在了受害者一边。与如此态度截然不同的是东京都知事小池百合子。前天,当她被问到在关东大地震中朝鲜人有没有遭到残暴杀戮时,竟然未作明确回答。
「様々な見方があると捉えている」「歴史家がひもとくものだ」。知事の言葉の何と空虚なことか。政治家として事実に向き合い、教訓を得るつもりはないらしい
“我所了解的情况是存在着各种不同的看法”“这方面的实情应该由历史学家告诉我们”。不难看出知事的话语是多么空洞。作为一名政治家,面对事实连从中汲取教训的想法都没有。
朝鮮人が井戸に毒を入れるなどの流言飛語の末に、虐殺は起きた。犠牲者は千~数千人にのぼると政府中央防災会議の報告書にある。数字に幅があるのは解明されぬ闇があるからだろう。それが事件の無視につながるなら、死者は再びないがしろにされる。
朝鲜人往井里投毒,在这样的流言蜚语下,发生了屠杀事件。根据政府中央防灾会议的报告,死者有千余人至几千人。为什么是一个范围呢?这恐怕里面还有很多没有没弄出清楚的地方吧。如果这与对事件的无视有关,那就是蔑视死者的行为。