何度読んでも、言葉が突き刺さってくる。〈コレガ人間ナノデス/原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ〉。そんな訴えから始まる原民喜(たみき)の詩「原爆小景」である。1945年8月6日、故郷の広島に疎開していたときに、原は被爆した
阅读多遍仍觉得句句刺痛我心。<这可是人啊/请你看看原子弹爆炸造成的变化>,原民喜创作的诗歌“核爆小景”正是始于如是诉求。1945年8月6日,当我疏散到故乡广岛的时候,原先生遭到了原子弹轰炸。
〈肉体ガ恐ロシク膨脹(ボウチョウ)シ/男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル……爛(タダ)レタ顔ノムクンダ唇カラ洩(モ)レテ来ル声ハ/「助ケテ下サイ」ト カ細イ 静カナ言葉〉。人間とは絶対に相いれない破壊兵器への怒りである
<肉体膨胀得令人愕然/无论男女变成了相同的外观/皮开肉绽的面孔,肿胀的嘴唇,唇齿之间泄漏出的声音隐约可辨/‘救救我!’,此语是那么的纤细、清晰>。面对与人的称号无法相容的破坏性武器,我们义愤填膺。
詩で、小説で、そして数多くの証言で。長きにわたり被爆者の手で、破壊の現実が伝えられてきた。それを世界へ広めたのが核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN〈アイキャン〉)だった。世代も国境も超えた市民の運動が、ノーベル平和賞に決まった
长期以来遭受核轰炸的民众通过自己的手,以诗歌、小说,还有大量证言的形式,告诉整个世界遭受破坏的现实。进而废除核武器国际运动(ICAN)将此意念推广到了全世界。本届诺贝尔奖评审委员会决定,将此奖项授予这一超越年龄超越国界的市民运动。
核を違法とする核兵器禁止条約が採択されたのは、被爆者の声が人々に届いた証拠であろう。「死が苦しみから解放してくれるまでの間、消え入る声で水を求めていた」。カナダ在住の被爆者サーロー節子さんが4歳のおいについて語っていた
认定核违法的禁止核武器条约得以通过,证明了遭受核轰炸民众的呼声已经传到了世界民众的心中。“死亡将人们解放于苦难的过程中,奄奄一息的声音祈求水的滋润”,居住在加拿大的核轰炸受害者SARO节子女士谈到了她4岁时的经历。
核兵器にあらがう動きには、これまでも幾つもの平和賞が贈られてきた。それでも、核は必要悪だとする認識は冷戦後も続く。米国が圧倒的な核兵器を持ち、北朝鮮が割って入ろうとする現状がある。72年かけてたどり着いた禁止条約なのに、原爆を落とした国も落とされた国も批准しようとしない
否定核武器的潮流曾经几次获得了和平奖。然而,认定核武为必要之恶的认识冷战之后仍持续的市场。现实是美国拥有着世界第一的核武器,北朝鲜也想加入进来。尽管花费了72年的时间缔结起了这一禁止条约,可是,扔下原子弹的国家和遭受核轰炸的国家均不予批准。
人間が手に入れてしまった破滅の火を人間が消していく。その道筋を示した禁止条約であり、平和賞である。
人创造的破坏之火还须人来熄灭,这就是显示这一道路的禁止核武器条约,以及颁发给它的和平奖。