【祈年祭】
(としごいのまつり)
字音で「きねんさい」と称することが多い。この「とし」とは五穀のなかでもっぱら稲をいうが、稲を主として他の穀類に至るまで成熟を祈る祭りである。わが国の社会文化は、本来この稲作中心の農耕社会を基盤として成立しており、春に年穀の豊穣を祈り、秋に豊作を感謝する祭を行うのが農耕祭祀儀礼の基本であった。古代では祭政一致の語が示すように、政治は生産物の収穫に基づいていたので、祭祀も重要な国家儀礼に位置づけられていた。律令国家体制では、祈年祭は、2月に神祇官での国家祭祀となり、6月?12月の月次祭、11月の新嘗祭とともに四箇祭として「国家の大事」とされた。『延喜式』神名帳に載せる3132座の神には、祈年祭にあたり幣帛が奉られる決まりであったが、律令制が弛緩し、応仁の乱以後はまったく廃絶した。明治になって神祇官とともに、伊勢神宮?宮中の祈年祭が再興され、また諸国の神社でも官祭として執り行われるに至り、皇室?国家から幣帛が供進されたが、第二次世界大戦後は公的な性格は失われた。現在、各地の神社においては、祈年祭とは称さないが、祭りの性質上同様の神事が広く行われている。