原文
是より殺生石に行。館代より馬にて送らる。此口付のおのこ、「短冊得させよ」と乞。やさしき事を望侍るものかなと、
野を横に馬牽むけよほとゝぎす
殺生石は温泉いでゆの出いづる山陰にあり。石の毒気どくきいまだほろびず、蜂・蝶のたぐひ、真砂の色の見えぬほどかさなり死す。
那須の殺生石
那須の殺生石
又、清水ながるゝの柳は、蘆野の里にありて、田の畔くろに残る。此所の群守戸部某こほうなにがしの、「此柳みせばや」など、折ゝにの給ひ聞え給ふを、いづくのほどにやと思ひしを、今日此柳のかげにこそ立より侍つれ。
田一枚植て立ち去る柳かな
現代語訳
黒羽を出発して、殺生石に向かう。伝説にある玉藻前が九尾の狐としての正体を暴かれ、射殺されたあと石に変化したという、その石が殺生石だ。
黒羽で接待してくれた留守居役家老、浄法寺氏のはからいで、馬で送ってもらうこととなった。
すると馬の鼻緒を引く馬子の男が、「短冊をくれ」という。馬子にしては風流なこと求めるものだと感心して、
野を横に馬牽むけよほとゝぎす
(広い那須野でほととぎすが一声啼いた。その声を聞くように姿を見るように、馬の頭をグーッとそちらへ向けてくれ。そして馬子よ、ともに聞こうじゃないか)
殺生石は、温泉の湧き出る山陰にあった。石の姿になっても九尾の狐であったころの毒気がまだ消えぬと見えて、蜂や蝶といった虫類が砂の色が見えなくなるほど重なりあって死んでいた。
また、西行法師が「道のべに清水ながるゝ柳かげしばしとてこそたちどまりつれ」と詠んだ柳を訪ねた。
その柳は蘆野の里にあり、田のあぜ道に残っていた。ここの領主、戸部某という者が、「この柳をお見せしなければ」としばしば言ってくださっていたのを、どんな所にあるのかとずっと気になっていたが、今日まさにその柳の陰に立ち寄ったのだ。
田一枚植て立ち去る柳かな
西行法師ゆかりの遊行柳の下で座り込んで感慨にふけっていると、田植えをしているのが見える。(私は?)田んぼ一面植えてしまうまでしみじみと眺めて立ち去るのだった