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雨月物語 序
日期:2017-12-05 21:47  点击:858
羅子(らし)は水滸を撰し、而して三世唖児を生み、紫媛(しえん)は源語を著し、而して一旦悪趣に堕つる者、蓋(けだ)し業(げふ)を為すことの迫る所(ところ)耳(のみ)。然り而して其の文を観るに、各々奇態を奮ひ、あん哢(ろう)真に迫り、低昂宛転(ていかうゑんてん)、読者の心気をして洞越(とうゑつ)たらしむる也。事実を千古に鑑(かん)せらるべし。余適(たまたま)鼓腹(こふく)の閑話(かんわ)有り、口を衝(つ)きて吐き出すに、雉鳴き竜戦ふ。自ら以て杜撰(ずさん)と為す。即ち適読(てきどく)する者、固(もと)より当(まさ)に信と謂はざるべき也。豈(あに)醜(しう)唇(しん)平(へい)鼻(び)の報を求む可(べ)けん哉(や)。明和戊子(ぼし)の晩春、雨は霽(は)れて月は朦朧(もうろう)の夜、窓下に編成して、以て梓氏(しんし)に与ふ。題して雨月物語と曰(い)ふと云ふ。剪枝畸人(せんしきじん)書す。
 
 
現代語訳
羅貫中(らかんちゅう)は「水滸伝(すいこでん)」を著して、そのために子孫三代唖(おし)の子が生まれ、紫式部は源氏物語を著して、一度は地獄にまで堕ちたが、それは思うに、彼らがありもしない嘘の物語を書いて世の人々を迷わせた所業の報いを受けたというべきであろう。しかしながらその文章を見ると、それぞれ変わった場面、情景に富み、あるいは黙し、あるいは歌い囀(さえず)って、文勢に迫力があり、文調は低くあるいは高く滑らかで、読む者の心をして瑟(しつ)の底の孔のように共に鳴り響かせるのであり、事実を千年の後の今日に、さながら目前に見るように思われる。さて私にも太平無事の余りというべき無駄話があるのだが、口から出まかせに吐き出してみると、不吉にも雉が鳴き、野に竜が戦うという奇怪な物語となった。自ら顧みても根拠のない拙(つたな)いものというよりほかにない。すなわち、これを拾い読みする読者もまた、もとより真実だと当然いうはずがないものなのだ。したがって私の場合は、人の心を惑わす罪はあり得ず、子孫に兎唇(としん)や鼻欠(はなかけ)が生まれるという報いをうけるはずがないのだ。明和五年三月、雨は晴れ、月おぼろの晩春の夜、座敷の明かり窓の下で編成して、これを書肆に渡す。題して「雨月物語」ということにした。剪枝畸人(せんしきじん)記す。

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