西行(さいぎやう)此の詔(みことのり)に涙(なみだ)をとどめて、「こは浅(あさ)ましき御こころばへをうけ給はるものかな。君はもとよりも聡明(そうめい)の聞えましませば、王道(わうだう)のことわりはあきらめさせ給ふ。こころみに討(たづ)ね請(まう)すべし。そも保(ほう)元(げん)の御謀叛(ごむほん)は天(あめ)の神(かみ)の教(をしえ)給ふことわりにも違(たが)はじとておぼし立たせ給ふか。
又みづからの人(にん)欲(よく)より計(たば)策(かり)給ふか。詳(つばら)に告(のら)せ給へ」と奏(まう)す。
其の時院の御けしきかはらせ給ひ、「汝聞け。帝位(ていゐ)は人の極(きはみ)なり。若(も)し人道上(にんだうかみ)より乱(みだ)す則(とき)は、天の命(めい)に応(おう)じ、民(たみ)の望(のぞみ)に順(したが)うて是を伐(う)つ。
抑(そもそも)永(えい)治(ぢ)の昔、犯(をか)せる罪(つみ)もなきに、父(ちち)帝(みかど)の命(みこと)を恐(かしこ)みて、三歳の體(とし)仁(ひと)に代(よ)を禅(ゆず)りし心、人(にん)欲深(よくふか)きといふべからず。
體(とし)仁(ひと)早世(さうせい)ましては、朕(わが)皇子(みこ)の重仁(しげひと)こそ国しらすべきものをと、朕(われ)も人も思ひをりしに美(び)福門院(ふくもんいん)が妬(ねた)みにさへられて、四ノ宮の雅(まさ)仁(ひと)に代(よ)を簒(うば)はれしは深き怨(うらみ)にあらずや。
現代語訳
西行は(思いがけない)恐ろしい御言葉(みことのり)に、涙も止まって、「これはまた、あさましい御心を聞くことであります。君王(おかみ)はもともとご聡明との世評ゆえ、王道の道理はとっくにご存じであります。試みにお尋ね申し上げます。そもそも保元(ほうげん)の乱のあのご謀叛(むほん)は、ご先祖の天の神がお示しになった道理と違背しないつもりで思い立たれたのであるか、それともご自身の私欲からのお企てであるか。はっきりとお語りなされませ」と奏上した。
其の時、崇徳院は血相をお変えになり、「汝、聞け。帝位とは人間最上の位である。もし上に立つ天子が人道を乱すことがあれば、天命に応じ民意に従ってこれを討つのだ。
そもそも永治元年、さしたる過失もなくして、父鳥羽院のご命令を謹(つつし)み受けて、わずか三歳の體(とし)仁(ひと)に帝位を禅(ゆず)ったことをみても、私が私欲が深いなどと言ってはならぬ。
その體(とし)仁(ひと)が夭折(ようせつ)して、我が皇子の重仁(しげひと)こそ国政を執るものと、我も人も思っていた折り、美福門院の妬(ねた)みに遮(さえぎ)られ、第四皇子の雅(まさ)仁(ひと)に帝位を横取りされたのは、これこそ深い恨みというべきではないか。