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白峯 七
日期:2017-12-05 21:50  点击:284
重仁(しげひと)国しらすべき才あり。雅(まさ)仁(ひと)何らのうつは物ぞ。
 
人の徳を選ばずも、天(あめ)が下の事を後宮(こうきゅう)にかたらい給ふは父帝(みかど)の罪なりし。されど世にあらせ給ふほどは孝(かう)信(しん)をまもりて、勤(ゆめ)色(いろ)にも出ださざりしを崩(かくれ)させ給ひてはいつまでありなんと、武(たけ)きこころざしを発(おこ)せしなり。
  
臣として君を伐(うつ)すら、天に応じ民の望(のぞみ)にしたがへば、周(しう)八百年の創業(そうげふ)となるものを。
       
まして知るべき位(くらゐ)ある身にて、牝(ひん)鶏(けい)の晨(あした)する代(よ)を取(とっ)て代(かは)らんに、道を失(うしな)ふといふべからず。
          
汝家を出でて仏(ほとけ)に婬(いん)し、未来(みらい)解脱(げだつ)の利欲(りよく)を願(ねが)ふ心より、人道(にんだう)を持て因果(いんぐわ)に引入れ、堯(ぎゃう)舜(しゅん)のをしへを釈門(しゃくもん)に混(こん)じて朕(われ)に説(と)くや」と、御声(みこゑ)あららかに告(のら)せ給ふ。
 
 
現代語訳
重仁(しげひと)には国を治めるだけの才能がある。雅(まさ)仁(ひと)にどんな才能があるというのか。
 
人の徳の有無をも見極めないで、皇位継承のことを後宮の后(きさき)に相談してお決めになったのは、父帝のあやまちであった。しかし自分は父が御存命中は、子としての孝行と誠をつくして、その不平不満を決して顔色にも出さなかったが、父がおかくれになったのちは、いつまでも不遇に甘んじ、不平を我慢しておられようかと、ここにはじめて勇気をふるいおこして兵をあげることを決意したのである。
 
周の武王が臣の身として、君主であった殷(いん)の紂(ちゅう)王(おう)を討ったのさえ、天の命ずるところにしたがい、民の望に順うものならば、事は成就し、天は認めて周王朝八百年の基をひらく大業となったではないか。
 
ましてや当然国政を執るべき資格と地位のある自分が、女后の意志で政治が左右されるようなあやまった政権にとってかわろうとするのに、なんでこれが道理にそむいたことだといえようか。
 
その方は出家して仏道に溺れ、来世で煩悩をのがれて救いを得たいという利欲の心から、ほんとうの人間の道をむりに仏教の因果理論にひきつけて説き、堯(ぎゃう)舜(しゅん)の教え、すなわち儒教の説に照らすべきを、仏教に混入して、自分を説得しようとするのか」と御声も荒々しくおっしゃるのだった。

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