第三章(4)
全てが終ったあとで僕はどうしてキズキと寝なかったのかと訊いてみた。でもそんなことは訊くべきではなかったのだ。直子は僕の体から手を離し、また声もなく泣きはじめた。僕は押入れから布団を出して彼女をそこに寝かせた。そして窓の外や降りつづける四月の雨を見ながら煙草を吸った。
朝になると雨はあがっていた。直子は僕に背中を向けて眠っていた。あるいは彼女は一睡もせずに起きていたのかもしれない。起きているにせよ眠っているにせよ、彼女の唇は一切の言葉を失い、その体は凍りついたように固くなっていた。僕は何度か話しかけてみたが返事はなかったし、体もぴくりとも動かなかった。僕は長いあいだじっと彼女の裸の肩を見ていたが、あきらめて起きることにした。
床にはレコード・ジャケットやグラスやワインの瓶や灰皿や、そんなものが昨夜のままに残っていた。テーブルの上には形の崩れたバースデー・ケーキが半分残っていた。まるでそこで突然時間が止まって動かなくなってしまったように見えた。僕は床の上にちらばったものを拾いあつめてかたづけ、流しで水を二杯飲んだ。机の上には辞書とフランス語の動詞表があった。机の前の壁にはカレンダーが貼ってあった。写真も絵も何もない数字だけのカレンダーだった。カレンダーは真白だった。書きこみもなければ、しるしもなかった。
僕は床に落ちていた服を拾って着た。シャツの胸はまだ冷たく湿っていた。顔を近づけると直子の匂いがした。僕は机の上のメモ用紙に、君が落ちついたらゆっくりと話がしたいので、近いうちに電話をほしい、誕生日おめでとう、と書いた。そしてもう二度直子の肩を眺め、部屋を出てドアをそっと閉めた。
一週間たっても電話はかかってこなかった。直子のアパートは電話の取りつぎをしてくれなかったので、僕は日曜日の朝に国分寺まで出かけてみた。彼女はいなかったし、ドアについていた名札はとり外されていた。窓はぴたりと雨戸が閉ざされていた。管理人に訊くと、直子は三日前に越したということだった。どこに越したのかはちょっとわからないなと管理人は言った。
僕は寮に戻って彼女の神戸の住所にあてて長文の手紙を書いた。直子がどこに越したにせよ、その手紙は直子あてに転送されるはずだった。
僕は自分の感じていることを正直に書いた。僕にはいろんなことがまだよくわからないし、わかろうとは真剣につとめているけれど、それには時間がかかるだろう。そしてその時間が経ってしまったあとで自分がいったいどこにいるのかは、今の僕には皆目見当もつかない。だから僕は君に何も約束できないし、何かを要求したり、綺麗な言葉を並べるわけにはいかない。だいいち我々はお互いのことをあまりにも知らなさすぎる。でももし君が僕に時間を与えてくれるなら、僕はベストを尽すし、我々はもっとお互いを知りあうことができるだろう。とにかくもう一度君と会あって、ゆっくりと話をしたい。キズキを亡くしてしまったあと、僕は自分の気持を正直に語ることのできる相手を失ってしまったし、それは君も同じなんじゃないだろうか。たぶん我々は自分たちが考えていた以上にお互いを求めあっていたんじゃないかと僕は思う。そしてそのおかげで僕らはずいぶんまわり道をしてしまったし、ある意味では歪んでしまった。たぶん僕はあんな風にするべきじゃなかったのだとも思う。でもそうするしかなかったのだ。そしてあのとき君に対して感じた親密であたたかい気持は僕がこれまで一度も感じたことのない種類の感情だった。返事をほしい。どのような返事でもいいからほしい―そんな内容の手紙だった。
返事はこなかった。
体の中の何かが欠落して、そのあとを埋めるものもないまま、それは純粋な空洞として放置されていた。体は不自然に軽く、音はうつろに響いた。僕は週日には以前にも増してきちんと大学に通い、講義に出席した。講義は退屈で、クラスの連中とは話すこともなかったけれど、他にやることもなかった。僕は一人で教室の最前列の端に座って講義を聞き、誰とも話をせず、一人で食事をし、煙草を吸うのをやめた。
五月の末に大学がストに入った。彼らは「大学解体」を叫んでいた。結構、解体するならしてくれよ、と僕は思った。解体してバラバラにして、足で踏みつけて粉々にしてくれ。全然かまわない。そうすれば僕だってさっぱりするし、あとのことは自分でなんとでもする。手助けが必要なら手伝ったっていい。さっさとやってくれ。
大学が封鎖されて講義はなくなったので、僕は運送屋のアルバイトを始めた。運送トラックの助手席に座って荷物の積み下ろしをするのだ。仕事は思っていたよりきつく、最初のうちは体が痛くて朝起きあがれないほどだったが、給料はそのぶん良かったし、忙しく体を動かしているあいだは自分の中の空洞を意識せずに済んだ。僕は週に五日、運送屋で昼間働き、三日はレコード屋で夜番をやった。そして仕事のない夜は部屋でウィスキーを飲みながら本を読んだ。突撃隊は酒が一滴も飲めず、アルコールの匂いにひどく敏感で、僕がベッドに寝転んで生のウィスキーを飲んでいると、臭くて勉強できないから外で飲んでくれないかなと文句を言った。
「お前が出て行けよ」と僕は言った。
「だって、りょ、寮の中で酒飲んじゃいけないのって、き、き、規則だろう」と彼は言った。
「お前が出ていけ」と僕は繰り返した。
彼はそれ以上何も言わなかった。僕は嫌な気持になって、屋上に行って一人でウィスキーを飲んだ。
六月になって僕は直子にもう一度長い手紙を書いて、やはり神戸の住所あてに送った。内容はだいたい前のと同じだった。そして最後に、返事を待っているのはとても辛い、僕は君を傷つけてしまったのかどうかそれだけでも知りたいとつけ加えた。その手紙をポストに入れてしまうと、僕の心の中の空洞はまた少し大きくなったように感じられた。
六月に二度、僕は永沢さんと一緒に町に出て女の子と寝た。どちらもとても簡単だった。一人の女の子は僕がホテルのベッドにつれこんで服を脱がせようとすると暴れて抵抗したが、僕が面倒臭くなってベッドの中で一人で本を読んでいると、そのうちに自分の方から体をすりよせてきた。もう一人の女の子はセックスのあとで僕についてあらゆることを知りたがった。これまで何人くらいの女の子と寝たかだとか、どこの出身かだとか、どこの大学かだとか、どんな音楽が好きかだとか、太宰治の小説を読んだことがあるかだとか、外国旅行をするならどこに行ってみたいかだとか、私の乳首は他の人のに比べてちょっと大きすぎるとは思わないかだとか、とにかくもうありとあらゆる質問をした。僕は適当に答えて眠ってしまった。目が覚めると彼女は一緒に朝ごはんが食べたいと言った。僕は彼女と一緒に喫茶店に入ってモーニング・サービスのまずいトーストとまずい玉子を食べまずいコーヒーを飲んだ。そしてそのあいだ彼女は僕にずっと質問をしていた。お父さんの職業は何か、高校時代の成績は良かったか、何月生まれか、蛙を食べたことはあるか、等等。僕は頭が痛くなってきたので食事が終ると、これからそろそろアルバイトに行かなくちゃいけないからと言った。
「ねえ、もう会えないの?」と彼女は淋しそうに言った。
「またそのうちどこかで会えるよ」と僕は言ってそのまま別れた。そして一人になってから、やれやれ俺はいったい何をやっているんだろうと思ってうんざりした。こんなことをやっているべきではないんだと僕は思った。でもそうしないわけにはいかなかった。僕の体はひどく飢えて乾いていて、女と寝ることを求めていた。僕は彼女たちと寝ながらずっと直子のことを考えていた。闇の中に白く浮かびあがっていた直子の裸体や、その吐息や、雨の音のことを考えていた。そしてそんなことを考えれば考えるほど僕の体は余計に飢え、そしで乾いた。僕は一人で屋上に上ってウィスキーを飲み、俺はいったい何処に行こうとしているんだろうと思った。
七月の始めに直子から手紙が届いた。短かい手紙だった。
「返事が遅くなってごめんなさい。でも理解して下さい。文章を書けるようになるまでずいぶん長い時間がかかったのです。そしてこの手紙ももう十回も書きなおしています。文章を書くのは私にとってとても辛いことなのです。
結論から書きます。大学をとりあえず一年間休学することにしました。とりあえずとは言っても、もう一度大学に戻ることはおそらくないのではないかと思います。休学というのはあくまで手続上のことです。急な話だとあなたは思うかもしれないけれど、これは前々からずっと考えていたことなのです。それについてはあなたに何度か話をしようと思っていたのですが、とうとう切り出せませんでした。口に出しちゃうのがとても怖かったのです。
いろんなことを気にしないで下さい。たとえ何が起っていたとしても、たとえ何が起っていなかったとしても、結局はこうなっていたんだろうと思います。あるいはこういう言い方はあなたを傷つけることになるのかもしれません。もしそうだとしたら謝ります。私の言いたいのは私のことであなたに自分自身を責めたりしないでほしいということなのです。これは本当に私が自分できちんと全部引き受けるべきことなのです。この一年あまり私はそれをのばしのばしにしてきて、そのせいであなたにもずいぶん迷惑をかけてしまったように思います。そしてたぶんこれが限界です。
国分寺のアパートを引き払ったあと、私は神戸の家に戻って、しばらく病院に通いました。お医者様の話だと京都の山の中に私に向いた療養所があるらしいので、少しそこに入ってみようかと思います。正確な意味での病院ではなくて、ずっと自由な療養のための施設です。細かいことについてはまた別の機会に書くことにします。今はまだうまく書けないのです。今の私に必要なのは外界と遮断されたどこか静かなところで神経をやすめることなのです。
あなたが一年間私のそばにいてくれたことについては、私は私なりに感謝しています。そのことだけは信じて下さい。あなたが私を傷つけたわけではありません。私を傷つけたのは私自身です。私はそう思っています。
私は今のところまだあなたに会う準備ができていません。会いたくないというのではなく、会う準備ができていないのです。もし準備ができたと思ったら、私はあなたにすぐ手紙を書きます。そのときには私たちはもう少しお互いのことを知りあえるのではないかと思います。あなたが言うように、私たちはお互いのことをもっと知りあうべきなのでしょう。
さようなら」
僕は何百回もこの手紙を読みかえした。そして読みかえすたびにたまらなく哀しい気持になった。それはちょうど直子にじっと目をのぞきこまれているときに感じるのと同じ種類の哀しみだった。僕はそんなやるせない気持をどこに持っていくことも、どこにしまいこむこともできなかった。それは体のまわりを吹きすぎていく風のように輪郭もなく、重さもなかった。僕はそれを身にまとうことすらできなかった。
風景が僕の前をゆっくりと通りすぎていった。彼らの語る言葉は僕の耳には届かなかった。
土曜の夜になると僕はあいかわらずロビーの椅子に座って時間を過した。電話のかかってくるあてはなかったが、他にやることもなかった。僕はいつもTVの野球中継をつけて、それを見ているふりをしていた。そして僕とTVのあいだに横たわる茫漠とした空間をふたつに区切り、その区切られた空間をまたふたつに区切った。そして何度も何度もそれをつづけ、最後には手のひらにのるくらいの小さな空間を作りあげた。
十時になると僕はTVを消して部屋に戻り、そして眠った。