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「……それは嵐の接近を待っているときに似ていた。まず待ち受けるときの静けさがあり、次には、気候が移り変り、影になり、蒸気になって大地に吹きくだるときの、かすかな空気の圧迫感がある。その変化はあなたの耳を圧迫し、あなたは近づく嵐を待つ時間のなかで宙吊りになる――」
彼は本から顔を上げ、ため息をついた。
うまく、読めなかった。気持ちが少しも集中していない。ほかのことばかり考えている。無論、ほかのこととは唯一つだ。
彼は窓際に立ち、カーテンを開けた。あの夜の出来事が、惨劇が、脳裏に蘇る。
燃えた、見事に――。
あれほどのことになるとは、夢にも思わなかった。彼は目の前に起きたことが現実だとは、にわかに信じられなかった。しかし事実なのだ。
彼は瞼《まぶた》を閉じた。あの夜以来、この街に静けさが戻ってきた。だが皮肉なことに、今の彼はこの静けさを持て余していた。夜、部屋に一人でいると、底知れぬ闇に落ちていくような孤独感と恐怖に襲われるのだ。
彼はふと気づいて、オーディオ機器に近づいた。そのスイッチを操作し、テープデッキのテープを入れ替えた。さらに再生ボタンを押す。
ステレオから、明るい声が聞こえてきた。
『お兄ちゃん、元気ですか。荷物、届きました。面白そうな小説を、いっぱい送ってくれてありがとう。お兄ちゃんのおかげで、あたしもすっかり小説好きになりました。この間送ってくれた、パトリシア・コーンウェルの検屍官シリーズには、どきどきさせられました。今度送ってくれたものの中にも、コーンウェルの小説があるみたいなので、とてもうれしいです。でも睡眠不足になっちゃうのが、ちょっと悩みの種です。お兄ちゃんは、風邪なんかひいてないよね。こっちでは、おかあさんが三日前まで熱を出していました。でももう治ったから心配しないでね。あたしはとても元気です。この頃は、よく食べるといって冷やかされています。おなかのあたりを触ってみると、ちょっと肉がついたような気もします。だけど、少しぐらいいいよね。今度はいつ頃帰れますか。帰れる時には手紙をください。お仕事大変だと思うけど、がんばってね。はるこでした』
妹の声のバックには、彼女の好きな女性歌手の声が流れていた。彼はそのBGMが終わるのを待って、ステレオのスイッチを切った。
静かな夜の闇に目を向けていると、故郷の町の景色が鮮やかに蘇ってくる。妹の手を引いて散歩した道、誰もが優しく声をかけてくれた町並み。
こんな目に遭うために、あの町を出てきたわけじゃない。心の中で、彼はそう呟いた。