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探偵ガリレオ 第一章 燃える 08
日期:2017-12-28 21:36  点击:497
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 インスタントコーヒーを入れたマグカップは、相変わらずあまり奇麗には洗われていなかった。だがこの男とこれからも付き合わなければならない以上、これにも慣れなきゃならんだろうと草薙は思った。
「それにしても、レーザー光線だったとはなあ」カップを置き、彼はため息をついた。
「正確にいうと炭酸ガスレーザーだ」そういって湯川は頷いた。
「なんだ、レーザーにもいろいろと種類があるのか」
「あるさ。代表的なのは炭酸ガスレーザー、YAGレーザー、ガラスレーザーというところかな」
「レーザーという言葉はよく聞くが、実際に身の回りにあるとは思わなかったな」
「CDプレーヤーなんかにも使われているんだが、人間を焼くほどのレーザー光線となると、SF映画のイメージになってしまうだろうな」
「レーザー銃というやつだな。でもあの工場にあったのは、とても銃とはいえない代物だった」
 時田製作所に置かれていたレーザー装置は、トラック一台ほどの大きさをした箱だった。社長によると、それもまた彼が以前働いていた会社から安く譲ってもらったものだという。それを使って、鋼板の切断や溶接を主に請け負っていたらしい。
「出力の大きいレーザー光線を発生させるには、炭酸ガスを含むレーザーガスを高速で流さなければならないし、高電圧放電を安定して行わせなければならない。装置が大きくなるのは当然だよ。あれだけ大きなレーザー装置でも、数ミリの鉄板を切るのがやっとなんだ」
「ジェームズ・ボンドはピストルぐらいの大きさのレーザー銃で、装甲車のボディを切ってたぜ」
「そんなことには百年経ってもならないと思うよ」湯川はあっさりといいきった。
「それにしても」草薙は腕組みをして、かつてのバドミントン仲間を睨んだ。「いつ気づいたんだ」
「何に?」
「レーザーだってことにだよ。かなり早い段階でわかってたんじゃないのか」
「ああ……」湯川は口を半開きにした。「少年の後頭部が先に燃えたという話から、その可能性についてぼんやりと想像してはいたが、確信したのは、やっぱりあの赤い糸の話かな」
「それも訊かなきゃいけなかった。あの糸の正体は何なんだ」
「なに、別に大したものじゃない。ヘリウム・ネオン・レーザーだ」
 湯川の回答に、草薙はついうんざりした顔を作った。
「またレーザーか」
「そう嫌な顔をするなよ。こちらは馴染みがあるはずだ。歌手なんかがコンサートでレーザー光線を使うだろう。あれと同じだ」
「それがなぜあんなところを走ってたんだ」
「レーザー装置というのは、光の経路の調節がとても大事なんだ。それをしないと目的の出力が出ないし、第一どこにどんなふうにレーザー光が出てくるのかわからないということになる。だけど調節をするのに実際に高出力のレーザー光線を使ってたんじゃ、危なくて仕方がない。そこで調節の時だけ、害のないレーザーを使う。それがヘリウム・ネオン・レーザーだ」
「するとあんなところに赤い糸が見えたということは……」
「犯人が炭酸ガスレーザー光線の経路を調節するために、試しにヘリウム・ネオン・レーザーを走らせたのだろうと推理したわけだ。そこであの付近にレーザー装置を持っているところが必ずあるはずだと踏んで、ちょっと歩いて探してみたんだ。その結果、案外簡単にあの工場が見つかった。僕が見た部屋にはレーザー装置はなかったが、レーザーを使って切断したとしか思えない部品がパレットに入れて置いてあったよ。具体的には切断面に、細かい皺が入るんだ。またあの部屋にはレーザーを発生させるのに必要な炭酸ガスやヘリウムや窒素のガスボンベも保管してあった。だから別の部屋に炭酸ガスレーザー装置があることはすぐにわかった」
 工場は、例のT字路から一区画行ったところを左に曲がった突き当たりにあった。二度目の事件の直後、警官が駆けつけた時には、そこの窓が開いていて、レーザー装置が真正面に見えたということだった。
「でもレーザーってのは、真っ直ぐにしか進まないんじゃないのか」
「だからミラーを使ったんだよ。おそらく工場から真っ直ぐにレーザーを飛ばすと、最初の角の電柱か何かに命中するんじゃないか。そこに表面に金をコーティングした専用ミラーを付けて位置を調整すれば、あのT字路に当てることもできるだろう。金はレーザーを百パーセント近く反射するからな」
「その調節に、ヘリウム・ネオン・レーザーを使ったということか」
「そういうことだ」
「でも見えたり見えなかったりしたのはどういうわけだ」
「基本的にレーザーは肉眼ではみえないんだよ。だけど何かの物質に当たると、反射光が見えることがある。ヘリウム・ネオン・レーザーの場合、煙なんかが舞っていたりすると、赤い筋になって見えるんだ。女の子に見えたのは、たぶんたまたま埃か何かが舞っていたからだろう」
「ふうん」草薙は頭を掻いた。わかったような、わからないような妙な気分だった。
「しかし、もう一人の作業員が犯人だったとは予想外だ。僕はてっきり、あの前島という青年が犯人だろうと思っていた。彼が現場近くに住んでいると、君から聞いていたからね」
「ところがそのもう一人の作業員も、同じアパートに住んでいたわけさ」
 それが金森だった。なぜ最初に会った時に二人の勤務先を訊いておかなかったのかと、草薙は悔やんでいる。
 幸い前島が湯川から聞いたことを金森に伝えたので罠が成功したが、一歩間違えればせっかくの仕掛けが無意味になるところだった。
「ところで、一つだけどうしてもわからないことがある」湯川がいった。それを見て草薙は、思わずにやりと笑った。
「なぜ二人の部屋が入れ替わっていたか、だろう?」
「そうだ。ええと、本来は一階が金森で二階が前島。それが逆になっていたんだったな」
「そういうことだ」
 事件の時にどこにいたかと草薙が訊いた時、前島は床を指した。草薙はそれを、この部屋にいたという意味だろうと解した。じつは彼は、下の部屋にいた、といいたかったのだ。
「なぜなんだ。二階のほうが現場を見下ろしやすいから、犯行の日だけ、何か適当な理由をいって金森が前島君の部屋を借りたのか」
「いや、そうじゃない。あの二人は、もっと頻繁に部屋を交換しているんだ」
「何のために?」
「それがまあ、今回の犯行動機だよ」草薙はわざとゆっくりコーヒーを飲んだ。たまにはじらしてやるのもいいと思った。
 そもそものきっかけは、金森が始めた声のボランティア活動だった。
 これは、目の不自由な人のために図書館などで貸し出している、本の朗読テープを吹き込む仕事だ。誰にでもできるというものではなく、やはり専門のトレーニングを受けなければならない。金森も本格的に吹き込めるようになるまで、半年間ほどスクールに通っている。
「金森の妹が、目が不自由なんだよ。それで、そういうことをしようという気になったんだろうな。しかしトレーニングしたからといって、簡単にできるものでもなかった。驚いたことに専用の機械といったものが殆どないらしい。大抵は、各自が用意するんだそうだ。ふつうのテープデッキでいいそうだが、マイクは特殊なものでないとだめだってことだ。金森も、この専用マイクだけは買っている」
「マイクだけはってことは……ああ、なるほど」湯川は頷いた。事情を飲み込んだ顔だ。
「そうだ。金森は録音をする時、前島のオーディオ機器を借りていたんだ。奴が吹き込んでいる間、前島は金森の部屋にいたそうだ」
 障害を持つ身である前島としては、金森の行為に協力しないわけにはいかなかったのだろう。彼は金森の部屋でテレビを見る時でも、イヤホンをつけるようにしていた。余計な雑音がテープに入ってしまわないようにという配慮からだ。
「そうしてもう一つ、金森としては前島の部屋を使うメリットがあった。それはすごい量の本だ。実際金森がこれまでに吹き込んだ本の大部分が、前島のものだ。事件の夜、『火星年代記』という本を読んでいたらしいが、それもそうだった」
「声のボランティアをするには、もってこいの部屋だったわけだ」
 湯川の感想に、草薙は頷いた。
「そういうことだよ。連中が現れるまではな」
「連中……か」湯川も不快そうに眉を寄せた。
 あのバイクの若者たちが出す騒音のせいで、最近はまともな録音が全くできなかったと金森はいっている。何とか吹き込めたと思っても、肝心なところにエンジン音が入っていたりしたらしい。
「それで頭にきて、殺すことにした……というのか」
「いや、殺す気はなかった、といっている。ポリタンクのガソリンに火をつけて、ちょっと脅かす程度の考えだったようだ」
「ところが容器の前に人が立ってしまったというわけか。レーザー光線は後頭部に命中して、あんなことになってしまった」
「延髄が先に焼けて、おそらく山下良介は即死に近かったんじゃないかと考えられている」医師から聞いた話を草薙はした。
「山下が倒れてから、レーザーは予定通りにポリタンクを燃やしたということか」
 湯川は眼鏡の中央を少し押し上げた。「金森は遠隔操作でレーザー装置を動かしたのか」
「電話を使ったそうだ。レーザー装置はパソコンで制御できるようになっていたらしいが、電話のプッシュ音をあるパターンで送ってやることで、電話回線に繋がれたパソコンが作動するようにプログラムされていたそうだ」手帳を見ながら草薙はいった。自分で話していながら、意味をよく理解していなかった。「そのために、コードレスホンの子機を前島の部屋に持っていってたらしい。前島は電話を持っていないからな」自分から伝えることのできない前島にとって、電話は苛立《いらだ》ちを呼ぶものにすぎないということだった。したがって彼の最高のコミュニケーションツールはポケベルということになる。
「それで金森としては、俊敏な操作ができなかったわけだな。光軸に人間が立ったとわかった時には、すでに遅かったのかもしれない」
「あいつも不幸な男なんだよ」草薙はしみじみといった。「前は騒音のせいでうまく吹き込みができなかった。ところが事件の後は、人を殺してしまったという動揺から、声が震えてやはりうまくいかなかったというんだな」
「わかるような気がするな」
「俺があいつを警察に連れて行く時、あいつは一つだけ俺に頼み事をした。何だと思う?」
「なんだ?」
「童話を一冊、吹き込ませてくれってことだよ。今なら、うまく読めるような気がするからだってさ」
「ふうん、童話をね」
 二人はしばらく沈黙した。やがて湯川は伸びを一つして立ち上がった。
「インスタントコーヒーのおかわりは?」
「もらおう」といって、草薙はマグカップを差し出した。

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