今夜まで待て!
「君は、なんてことをいうんだ!」
吾朗はまっかになっておこった。それはむりもない。だれだって、面とむかって、今夜あなたの家の隣から火事が出ますといわれて、おこらないはずはないのだ。
「だって、ほんとうなのよ」
和子は、吾朗をおどかして悪いとは思ったが、そうでもいわないことには、自分のいうことがうそでないという証明をすることができないので、泣きそうになっていった。
「ば、ばかな……。ばかな……」
かんしゃくもちの吾朗は、おこってロがきけなくなったらしく、いきなり立ちあがって、へやを出て行ってしまった。
「おこっちゃったわ、どうしよう」
和子は、深町一夫と顔を見あわせた。一夫は、ちょっと困ったようにまゆをひそめた。
「あいつは、いいやつなんだけど、すぐおこるからなあ……。でも、今夜になれば、君のいったことが正しいかどうか、わかるさ」
吾朗がなかなかもどってこないので、一夫はかれをさがしにへやを出ていった。吾朗は、玄関の板の間にある電話の前で、電話帳をめくっていた。
「なにをしているんだい?」
一夫がたずねると、吾朗は答えた。
「精神病院をさがしているんだ」
一夫はびっくりし、あわてて電話帳をひったくった。
「おい、よ、よせよ。芳山君が、かわいそうだよ。君は自分の友だちを、キチガイ病院へかつぎこむつもりなのか!」
「そんなこといったって……」
吾朗も、むきになって、いいかえした。
「芳山君は、ぜったいに頭がへんだよ。早いとこ、医者にみせないと、ほんとうに気がくるってしまうぞ!」
「待ちたまえ。芳山君が病気かどうか、たしかな証拠があるのか?」
「だって、あんなおかしなことをしゃべるんじゃ、とても正《しょう》気《き》とは思えないさ!」
「でも、もし今夜、ほんとうに地震があり、火事があったらどうする?」
「あるはずがない!」
「君はそういうけど、でも、今夜になってみなけりゃ、わからないよ」
一夫は、吾朗に顔を近づけ、小さな声でいった。
「ねえ。とにかく今夜、どんなことが起こるか、待ってみようじゃないか。もしなにも起こらなければ、君の気がすむように、どこへでも電話したらいい。精神病院へ電話するのは、あすだっておそくはないだろう?」
「ううん……」
吾朗はしぶしぶ承知した。
その日、一夫の家から帰ってきたものの、和子はなにも手につかず、夕食ものどにとおらなかった。おかずはゆうべすでに一度食べたものとまるっきり同じなのだし、食卓での、母や妹たちとの会話も、まるでおさらいのように、同じ話題のくり返しだった。
――まるで、おしばいをしてるみたい!
和子はそう思った。ただ母がいちど、
「和子、おまえ顔色が悪いね。どうかしたの?」
と、心配そうにたずねたのだけが、前とちがっていた。
宿題も、する気にならなかった。ノートからは消えてしまっているが、すでに一度やった宿題だから、思い出そうとさえすれば、いつでも思い出せるという気持ちが、もう一度やることを、おっくうがらせたのだ。
なにもすることがないから寝ようとしたが、やがて地震があるとわかっていては寝つけるものではない。和子はしかたなくベッドの上へ服のまま寝そべって、高校受験用の参考書を読んだ。受験勉強にかぎっては、一日だけ得をしたことになる。
知らぬまに、和子はうとうとした。服のまま、参考書を顔にのせて眠ってしまったのだ。
ドゥドゥドゥとにぶい地ひびき。そして横ゆれ。地震だ!
「そらきたっ!」
和子はとび起きた。悲鳴をあげて、母や妹たちもそれぞれのへやからとび出した。
「こわがらなくていいわ、そんなに大きな地震じゃないから」
和子はそういって妹たちを安心させておき、自分は浅倉吾朗の家のほうへかけだした。もうすぐ、ふろ屋の台所から火が出るはずだ。ぼやとわかってはいても、できるだけ早くみんなに知らせたほうがいいと思ったのである。
火事になるのは確実だとわかっているから、ほんとうなら、
「火事だ! 火事だ!」
と叫びながら走ってもいいのだが、もし、まだ火事というほど大きくなっていなかったら、人さわがせな子だと、みんなからしかられてしまうだろう。
ふろ屋の前まで来ると、ゆうべとちがって人はいなかった。しかし、すでに裏口のほうから、白い煙にまじって赤い火の粉がとんでいるのが見えた。和子は、大声で「火事ですよ!」と叫ぼうとして、はっとして口をおさえた。もしも自分が火事の発見者ということになると、浅倉吾朗がどう思うだろうかと心配になったのである。
自分のいうことを、ぜんぜん信用していない吾朗のことだ。予言を的中させるため、和子自身が火をつけたなどと、いいだしかねないではないか! そんなことになればたいへんだ。自分は放火魔ということになって、警察へひっぱられてしまう!
――和子はそう思ってふるえあがった。
じゃあ、どうしたらいいのだろう――ここで立ちすくんだまま、火の手があたりにひろがっていくのを、ただぼんやりと、つっ立って見ていなければならないのだろうか?