そのとき暴走トラックが……
交差点には、まだ吾朗はきていなかった。和子はほっとして、横断歩道の手前にたたずんだ。
――そうだわ。浅倉さんは、遅刻しそうになって、あわててやってくるはずだわ。
ただ、和子が困ったのは、かの女がそうやってぼんやりと立っている前の歩道を、つぎつぎと同級生や顔見知りの生徒が、かの女に不審の目を投げかけて通り過ぎて行くことだった。
――なにをしてるのかってたずねられたら、どう返事したらいいのだろう? まさか、もうすぐ浅倉さんが大型トラックにひかれそうになるからそれを助けるのだなんて、とてもいえたものじゃないわ。そんなこといったら、受験勉強で気がへんになったと思われちゃう!
ぼんやりとかの女がそんなことを考えていると、教室でかの女の隣の席にかけることの多い神《かみ》谷《や》真理子《まりこ》がやってきた。
「まあ。芳山さん、なんでそんなところに立ってるの?」
――そうら、きた!
和子はちょっともじもじしてから、しかたなく答えた。
「あ、浅倉さんを待ってるのよ」
これは、ほんとうのことだ。しかし真理子は、どうやらおかしなぐあいに解釈したらしい。
「ああら、浅倉さんを……」
真理子のほおに、意地悪そうな笑いが浮かんだ。深町一夫や浅倉吾朗と親しくつきあっている和子のことを、真理子はすこしやいているらしいのである。
かの女はいった。
「へええ。わたしは、芳山さんは深町さんのほうが好きなんだと思っていたわ」
「じょうだんじゃないわ!」
和子は、たちまちまっかになってしまった。とんでもない誤解である。
「そ、そんなのじゃないのよ」
「いいから、いいから」
真理子は高らかに笑うと、和子の肩をぽんとたたき、横断歩道へ出ながらいった。
「弁解しなくてもいいわよ。でも、浅倉さんはよく遅刻するから、あなたまで遅刻しないようにね!」
真理子の姿が見えなくなってから、和子は小さく地だんだをふんだ。
――いやな神谷さん!
やがて吾朗が、息をはずませて走ってきた。ちょうど信号は赤だった。かれは和子の前に立つと鼻息を荒くしながらいった。
「おはよう! 遅刻するかもしれないね!」
――わたしが遅刻しそうなのは、あなたのせいよ! 和子はよほどそういってやろうかと思った。しかし、いまはそれどころではない。信号が青に変わったとき、どうやって吾朗を引きとめるか考えなくてはいけないのだ。遅刻しそうなのだから、吾朗は、信号が変わるなりとびだして行くにきまっている。
「遅刻しそうになっているとき、よく車にひかれるんですってね」
和子がそういうと、吾朗はいやな顔をした。
「君は、えんぎの悪いことばかりいうね!」
「だって、そうですもの」
「芳山君は母性愛過多だよ。わかったよ。気をつけりゃいいんだろ」
「そうよ。信号が変わっても、急にとびださないことよ」
「わかったよ、わかったよ!」
そのとき、信号が青に変わった。
吾朗はわざとらしく、左右をゆっくりと見てから、横断歩道へ一歩足をふみだした。
「待って!」
和子はかれの背中に叫んだ。
交差点のほうから、大型トラックが暴走してきた。吾朗は、おどろいてあわてて歩道へとびのいた。
「ひゃっ! なんだあの車は!」
トラックは吾朗の目の前を通り過ぎ、ぶかっこうに車体をふるわせ、はげしい勢いで歩道にとびあがった。たちまち、通行人の悲鳴が、あたりにひびきわたった。
「いねむり運転だ!」
吾朗と和子は息をのんだ。
トラックは、ごみ箱がわりのドラムかんをはねとばした。それは通行ちゅうのサラリーマンの上半身にぶつかり、かれは石だたみの上に転倒した。
トラックはさらに若い主婦をはねとばし、最後に洋品店の店さきにとびこんだ。ショーウィンドーのガラスがするどい音をたててくだけ、あたりにとび散った。
車のフロント・ガラスはこわれ、車体の前半分がきみょうな形によじれ、ゆがんだ。エンジンが煙をはきはじめた。
「助けてくれっ!」
洋品店の中から、足をけがしたらしい中年の人が、叫びながらはうようにして出てきた。全身が血にまみれ、この世の人とは思えないすさまじい姿だった。
店の中では、女の人の悲鳴がとぎれとぎれに救いを求めていた。
和子と吾朗は、信じられないほどの近さで起こったこの大惨事に、目を大きく見ひらき、ただ立ちすくんでいるばかりだった。