西暦二六六〇年
一夫の話というのは、次のようなものだった。
西暦二六〇〇年代にはいると、地球の人口は急激に増加した。このころ、すでに月や火星には植民地ができ、労働力の過剰のため、地球に住めなくなった人たちは、どんどん他の惑星へ移住をした。だが、これらはすべて、金のない、下層階級の人たちの話であって、上流階級の人びとや、科学者や教授などの知識人たちは、力を合わせて地球上の機械文明の発展に力をつくしていた。
二六二〇年。原子力の平和利用で、地球の文化は大きく飛躍し、さまざまな科学的な発明が行なわれた。だが一方では、あまりに科学が高度に発達したため、一般の人たちは、これらの科学知識に、ついていくことができなくなってしまった。科学者たちも、専門化され、分業化された。その結果として、自分の研究していることだけはよく知っているが、その他のことは、初歩的なことさえ、ぜんぜん知らないという、いわば精神的な不具者が多くなったのである。
困ったのは、学校その他の教育関係の機関である。今までのような学校教育では、物ごとの、ごく初歩の段階しか教えることができない――つまり、卒業して世の中へ出ても、ぜんぜん役にたたないような、いわば常識以前のことしか教えることができないのだ。そこで、教育期間が延長された。子どもは四歳になるとすぐ小学校へ入れられる。そこで十四年間の基礎教育を終えると、こんどは五年間の中学課程に進む。ここまでが義務教育である。
だが、そこをでたからといっても、まだ就職することはできないのだ。簡単な労働や計算なら、オートメーションの機械や、電子頭脳がやるのだから、中卒程度の人間は、どこの職場でも必要ないわけで、サラリーマンになろうとすれば、そこからさらに、それぞれの専門教育を受けるため、高等学校や専門学校へ五年間通学しなければいけない。
ここを卒業すれば、やっと普通の技術者、あるいは事務員になれるわけだが、医者や学者になるためには、まだまだ勉強しなければならないのである。
こうして、専門家になるための最後の学校を卒業したときには、その人間は若くて三十八歳、場合によっては五十歳近くにもなっているという、ひどいことになってしまった。たいていの人間が、四十歳を過ぎてから結婚するため、子どもの出産率が減り、ついには地球全体の人口が減少しはじめたのである。
「これはいかん。このままでは、人類は衰退の一途をたどることになる」
医者や科学者は、この状態に驚き、なんとかしようとして研究に研究をかさねた。
そして、二六四〇年。とうとう画期的な発明がなされた。これが睡眠教育あるいは潜在《せんざい》意《い》識《しき》教育と名づけられた、新しい教育方法である。
「なあに? その睡眠教育って?」
夢中になって、一夫の話に聞きほれていた和子は、思わずからだをのりだして、かれに尋ねた。かの女は、もうすっかり一夫の話を信じこんでいた。でたらめというには、その話は、あまりにもいきいきとしていたからである。
「うん、睡眠教育というのはね、子どもが眠っている間に、その脳へ直接、いろんなことを記憶させる教育方法なんだ。録音した磁気テープを、頭部に電極をあててプレイバックさせる。人間の潜在意識というのは、すごく大きな力を持っているから、あたえられたそれらの記憶を、必要なときにはいつでも呼びさますことができるんだ」
和子に説明する一夫の目も、なぜかいきいきしていた。かれはうなずきながら、さらに話を続けた。
「そのために、人間の教育は、すごく短期間ですむようになってしまった。三歳ぐらいのときから、その方法で教育すると、この時代でいえば中学一年くらいの年に、今の大学教育程度の学問を卒業してしまえるんだ。そしてぼくも、その教育のおかげで……」
一夫はそこで、ふっとロをつぐんだ。和子は、さっき感じた疑問が少し解けたように思い、ふたたびかれに尋ねた。
「じゃあ、あなたは、ほんとうは今、なん歳なの?」
一夫は、少しまごついてから答えた。
「十一歳だ」
「なんですって!」
和子はあきれて、自分よりは十センチ以上背の高い一夫を、見あげ見おろした。
「じゃあ、わたしより四つも年下じゃないの! でも、ほんと?」
一夫は照れくさそうに頭をかきながら、微笑して答えた。
「つまりだねえ、二六六〇年ごろになると、子どもの発育はすごいんだよ。でも、ぼくなんかからいわせると、むしろこの時代の子どものほうが発育不良なんだけどね」
「まあ、わたしは発育不良?」
和子は自分の小柄なからだを見まわしながらいった。
「おこっちゃいけないよ。もっともぼくたちの時代――二六六〇年ごろには、食物は、みんなカロリーの高い栄養食ばかりになってしまっているんだ。でも、だからこそ精神と肉体とのつりあいがとれるわけだ。だってそうだろ? 大学程度の学力がある赤ん坊なんて、気持ちが悪いだけじゃないか」
「じゃ、あなたは大学生くらいの学力があるわけなのね?」
和子が尋ねると、一夫はうなずいた。
「ああ、そうだよ。ぼくは大学で、薬学部にいるんだ」
――道理でこの人、勉強がよくできたはずだわ――和子はそう思った。
「でも、どうしてあなた、今の時代にやってきたの? しかも、この学校に。それから
………それから、なんのために、この時代の人間みたいな顔をして、みんなといっしょにいるの? 未来へ帰るつもりはないの?」
一夫はあわてて、洪水《こうずい》のようにあふれでる和子の質問を押しとどめた。
「ま、まあ、待ちたまえ。順を追って話すから……」