お金持ちのアール氏のところへ、ひとりの男がたずねてきた。
「どなたです。そして、ご用件はなんですか」
とアール氏が聞くと、男は答えた。
「わたしは発明家です。じつは研究を重ねたあげく、すばらしい薬を、やっと完成しました。あなたに応援していただいて、どんどん作って売れば、おたがいに大もうけができると思います。いかがなものでしょう」
「ああ、有利な事業なら、資金を出してもいい。しかし、いったい、どんな薬なのだ」
男は錠剤の入ったビンを取り出し、そばの机の上に置きながら言った。
「忘れてしまったことを、思い出す薬です」
「なるほど、おもしろい作用だな。それで、使い方はどうなのだ」
「簡単です。飲めばいいのです。この一錠を飲めば、きのうのことを、すっかり思い出します。また、二錠ならおとといのこと、三錠なら三日前のこと、といったぐあいです」
アール氏はビンをながめ、質問した。
「いろいろな大きさの錠剤があるようだが、それはなぜだ」
「成分は同じですが、量が多くなっています。中型のは一錠でひと月前のことを、大型のは、一錠を飲めば一年前のことを思い出すのです。だから、うまく組合わせて飲めば、過ぎさったどの日のことでも、思い出せるわけです」
「しかし、どんな役に立つのだろう」
「あらゆる方面で、役に立ちます。忘れっぽくなった老人でも、これがあれば若い人に負けずに働けます。また、メモや日記をつけるひまもないほどいそがしい人も、安心して仕事に熱中できることでしょう」
「世の中のためにもなりそうだな。だけど、これに害はないだろうな」
「もちろん、その点は大丈夫です。わたしも使ってみましたし、動物を使っての実験も、何度もやってたしかめました」
男は書類を出してくわしく説明しようとしたが、アール氏は手を振った。
「たしかに無害なら、それでいい。となると、問題は、はたして効果があるかどうかだ。いま、自分で飲んで、ためしてみることにする。それで確実とわかれば、資金を出すことにしよう」
「何錠ぐらい、お飲みになりますか」
「たくさんくれ。十歳ぐらいだったころのことを、思い出してみたいのだ。そんな昔のことでも、効果はあるのだろうな」
「まだ、わたしはやってみませんが、あるはずです。それよりも以前の、うまれたてのころとか、うまれる前となるとむりですが」
「では、やってみることにしよう」
アール氏は錠剤の数をかぞえ、コップの水で、つぎつぎに飲みこんだ。そして、目をとじてイスにかけていたが、やがて目を開いた。待ちかまえていた男は、身を乗り出して聞いた。
「いかがでしたか」
「うむ。すばらしいききめだ。子供のころのことを、ありありと思い出せた。とてもなつかしい気分を、味わえた」
「それは、けっこうでした。では、資金を出していただけるわけですね」
「いや。そのつもりだったが、気が変った」
アール氏は首を振り、男はふしぎそうに文句を言った。
「それでは、お約束とちがうではありませんか。なぜです」
「知りたければ、いまと同じ量の薬を飲んでみたらいい。すっかり忘れていたが、子供のころ、近所にいじわるな子が住んでいて、わたしはよくいじめられた。こんなやつとは、二度とつきあうまいと決心したものだった。そいつとは……」
こう言いながら、アール氏は前にいる男の顔を指さしたのだ。