ある朝のことです。とつぜん、小さな男の子が泣きはじめました。
「あーん。あーん」
おなかがすいたのでは、なさそうです。おかあさんは首をかしげ、
「ぼうや、どうしたの」
と、言いました。しかし、ぼうやは、まだ言葉がわかりません。だから、泣きだしたわけを、聞きだすことができません。おかあさんは、しばらく考えていましたが、
「もしかしたら、オモチャがほしいのかもしれないわ」
と、近所のオモチャ屋に電話をかけ、青い色のタイコをとりよせました。すると、ぼうやは泣きやみ、たのしそうにタイコをたたきはじめました。おかあさんは、そのようすを見て、
「病気かと思って心配したけれど、オモチャがほしかったのね。よかったわ」
と、ほっとしました。しかし、これで安心ではなかったのです。しばらくすると、ぼうやはタイコを投げすて、また泣きはじめました。
「あーん。あーん」
さっきより、いくらか大きな泣き声です。
おかあさんは、
「タイコにあきてしまったのね」
と、こんどはライオンのオモチャをとりよせました。しかし、いったん泣きやんだぼうやは、まもなく、そのライオンもほうり出してしまいました。
「あーん。あーん」
こんどは、もっと大きな泣き声です。となりの家から、文句を言いにきました。
「静かにしてください。うるさくて困ります」
おかあさんはあやまり、泣き声が外にもれないように、家じゅうの窓を、ぜんぶしめました。しかし、ぼうやの泣き声は大きくなるいっぽうです。そのうち、窓ガラスにヒビがはいりはじめ、なかには、われてしまうのもでてきました。これはたいへん。
おかあさんは、あわててオモチャ屋に電話をしました。
「なんでもいいから、オモチャを早く、とどけてちょうだい」
オモチャ屋さんは、水デッポウを持ってやってきました。ぼうやは、いちおう泣きやみました。へやのなかが水だらけになりましたが、いまは、それどころではありません。
そのあいだに、おとうさんはガラス屋さんを呼び、窓のガラスを、大いそぎで厚いのにとりかえました。ガラス屋さんは、
「これは、じょうぶなガラスです。われることは、ないでしょう」
と、じまんしました。しかし、水デッポウにもあきたぼうやが、もっともっと大きな声で泣きはじめると、われないはずのガラスも、ばりばりとくだけてしまいました。
そればかりでなく、近くの家々の窓ガラスにまで、ヒビがはいりはじめたのです。おとうさん、おかあさんは困ってしまいました。どうしたらいいのか、考えつかないのです。
「あーん。あーん」
とうとう、警察に電話をかけて、相談をしました。すぐに、パトカーと救急車がかけつけてきました。しかし、そのサイレンの音も、いまのぼうやの泣き声にくらべたら、はるかにかすかな音でした。
ぼうやは救急車にのせられ、大きな病院に運ばれました。お医者さんたちが集まって、いろいろと診察をしましたが、どんな手当てをしたらいいのか、だれにもわかりません。
新しいオモチャを渡すと、しばらく泣きやみます。しかし、まもなくそれを投げすてて、もっともっともっと大きな声で泣き出してしまうのです。
「あーん。あーん」
トラックを使い、べつなオモチャをつぎつぎに運び、時間をかせぐほかに、方法がありませんでした。といって、それをいつまでもつづけることはできません、オモチャの種類には、かぎりがあるからです。
ぼうやは、オモチャがとぎれると、もっともっともっともっと大きな声をはりあげ、泣きはじめます。
「あーん。あーん」
病院の建物はコンクリートでできていましたが、その壁にもヒビがはいりはじめました。
病院の近くの人たちは、ひっこしの用意にかかりました。泣き声がうるさくて、しようがないからです。耳にセンをつめれば防げますが、それでは、おたがいどうしの話ができません。
このままでは、どうなることか見当がつきません。世界じゅうに助けをもとめることにしました。いろいろな国から、いろいろな珍しいオモチャが、飛行機で送られてきました。それによって、大さわぎになるのを、すこしだけ、さきにのばすことができました。
そのあいだに、みなは相談しあいました。
「どうしたものだろう。いまのように世界じゅうからオモチャをとりよせても、いずれは、たねぎれになってしまう」
「手のつけようがないな。オモチャのとぎれた時の泣き声は、大きくなるいっぽうだ」
「いまに、泣き声のために、この病院ばかりでなく、町じゅうの建物がこわれてしまうことになる」
しかし、いい方法は、いっこうに考えつきません。
おとうさん、おかあさんは、みんなにめいわくをかけているので、とても困りました。しかし、やはりいい方法は考えつきません。
やがて、さいごの時がきました。世界じゅうから集めたオモチャの、おしまいの一つをぼうやが投げすてたのです。みなは首をすくめました。
「あーん。あーん」
いままでの泣き声よりも、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと大きな声です。病院の建物は、いまにもくずれそうに、ぶるぶるとゆれはじめました。
おとうさん、おかあさんは、むがむちゅうで、思わず歌をうたいました。ほかに、どうすることもできなかったからです。
そのとたんに、ぼうやは泣くのをやめてしまいました。みなは、しばらくは信じられないといった顔つきでした。しかし、本当に泣きやんだとわかって、だれもかれも、ほっとため息をつき、それから笑い、話しあいました。
「なんだ。そうだったのか。ぼうやは歌が聞きたかったのだな」
「それに気がつかず、オモチャばかり渡していたから、こんなに大さわぎとなってしまったのだ」
やっと、町は静かになりました。ぼうやは家に帰り、ひっこした人たちも、もとの家にもどりました。泣き声でこわれた建物も修理がすんで、なにもかも、もとどおりになったのです。
うちへ帰って、なん日かたつと、ぼうやはまた、泣きはじめました。もう、大きな声ではありません。
「あーん。あーん」
おかあさんは、こんどは、それほどあわてません。さっそく、病院でうたった歌を、また、うたいました。しかし、ぼうやは、なぜか泣きやみません。
おかあさんは首をかしげ、ためしに、べつの歌をうたってみました。すると、ぼうやはすぐに泣きやみました。
おかあさんは、ほっとしました。しかし、いつまでも、ほっとしてはいられませんでした。
なぜなら、しばらくすると、ぼうやはまた、泣き声をあげたのです。
「あーん。あーん」
さっきよりも、もっと大きな泣き声です。そして、べつな歌、新しい歌を聞きたいとせがんでいるらしいのです。