ここは病院の一室。重症患者専用の部屋。つまり回復不能、もう長いことはないという病人ばかり。もちろん医師はそんなことを告げはしないが、患者というものは独特の勘で、どうもそうらしいと、うすうす気づいている。
いうまでもなく、陽気なムードはない。お通夜の前夜といった感じがただよっている。大げさな形容をすれば、窓のそとの木の枝ではカラスが葬送の序曲を歌い、空を見あげれば、はるか上でハゲタカが舞っているかもしれない。
この部屋、三人の男がそれぞれベッドに横たわっていた。
「あああ、ぼくの人生もまもなく終りか。こんな不運なことはない。心残りばかりだ。おもしろくないな……」
と、ひとりがぼそぼそとつぶやく。三十歳ぐらいの男で、顔はなかなかの美男子、憂愁のかげがある。それに対し、となりのベッドの男が声をかけた。
「天をうらみたくもなるだろうが、身の不運をなげく点では、おたがいさまだ。しかし、あんたのほうが、おれよりまだましと思うな。あんた、なかなかハンサムじゃないか。こっちから横顔をながめると、メロドラマ映画のラストシーンによく出てくる図だぜ。まさに、それにぴったりだ。使い古された手法だが、何回見てもいいものだ。二枚目の最期。きよらかで悲劇的、静かにセンチメンタルなメロディーが高まり、終という字があんたの上で大きくなる。女性たちがみな涙を流すところだ。うらやましい。すばらしい。望んで得られるものじゃない。最高級だ」
「妙なうらやましがられ方も、あるものだ。買いかぶりだ。そんなことはないよ。きみはテレビか映画の見すぎだよ」
とハンサム男が苦笑いしたが、となりの男は自説をまげない。
「いや、おれの考えている通りのはずだ。あんたはこれまでに、いくつもの夢のようなロマンスを経験しているにちがいない。美女たちとさまざまな大恋愛をくりかえし、普通の人の一生の何倍もの思い出を持っているにちがいない。ちきしょうめ。不公平だ」
「いやいや、そういうしくみなら、あきらめもつくさ。しかし、ぼくは青年時代のはじめ、色道修行をはじめようと、まずスポーツカーを買った。スピードを出し面白半分、歩行者をおどかしたりしたものだ。そのバチが当ったというのだろうな。ガードレールに激突し、事故をおこした。それによって下半身不随、ずっと寝たきりの生活さ。そのうち、ほかの病気が併発し、かくのごとしというわけ。つまり、女性関係はまるでなしだ。一度でいいから女にもてたい。いや、もてたかったと言うべきかな。これだけが心残りだ」
「なるほど、そうとは知らなかった。うらやましがったりして、申しわけなかった。さぞ心残りだろうな」
「ぼくにしてみれば、きみにうらやましさを感じているよ。きっと、刺激にみちた人生をすごしてきたんだろうな」
ハンサム男がこう言ったのも根拠のないことではなかった。となりのベッドの男もやはり三十歳ぐらいだが、顔に刃物の傷あとがあり、胸や腕はたくましく、すごみのある印象。
「たしかにおれは、腕っぷしが強く、暴力団の一員だった。|縄《なわ》|張《ば》り争いで血の雨をくぐったこともある。しかし、これも映画で見るほど楽しいものじゃないぜ。なぐられれば痛いし、切られて出るのは本物の血だものな。それに、おれは頭がよくない。いつも損な役まわりばかり押しつけられ、危険なところへかり出される。だから、顔じゅう傷だらけになった」
「しかし、女にはもてたはずだ。テレビや映画で見ると、暴力団の連中はいつも女にもてている。おもしろくない。不公平だ」
「あんたもテレビ中毒だねえ。しかし、顔にこう傷があっては、女はこわがって寄ってこない」
「でも、ベッドに入り電気を消せば、あとは、そんなこと無関係だろう」
ハンサム男もしつっこい。むこう傷の男は、ためらったあげく言った。
「えい、どうせ先が長くないのだから、言ってしまおう。はずかしがっても、しようがない。じつはだ、おれは体質的に腸が弱いんだ。しょっちゅう下痢ぎみだ。興奮したりすると、生理現象がすぐ起る。だから、女とベッドに入ると、これも一種の興奮さ。たちまちムードがこわれ、女は逃げてしまう。他人にとっては喜劇だろうが、世にこんな悲劇はないんじゃなかろうか。腕っぷしは強いが、顔でもてず、ベッドでもだめ。一生のうち一度でいいから、まともに女にもてたかった。まったく、心残りだ。ちくしょうめ」
「そうとは知りませんでした。おたがいに悪い星のもとに生まれたんですね。その星には女の住民がいないにちがいない」
ハンサム男が同情し、悲しげに顔をしかめた。この病室には、もうひとり男がいる。五十歳ぐらいのふとった男。髪の毛はうすく、色は白く、好色そうな目つきだ。むこう傷の男は、こんどはそいつにむかって話しかけた。
「この部屋の三人のうち、あんたが一番いい思いをしているようですね。さぞ、たくさんの女をものにしたことでしょう」
「いや、なんともいえませんな。ごらんの通り、わたしは白ブタのごとき姿。あんたらのようにハンサムでもなければ、男性的肉体の持ち主でもない。だから、たよるのは金だけだった。女をものにするには、金にものをいわせなければならなかった。非合法の商売にも手を出し、せっせと金をもうけ、女をあさった。さらに、女性の歓心をかうべく、性のテクニックをいろいろと研究した。〈酔いどれ|爬虫類《はちゅうるい》〉とか〈バルカン半島の回転木馬〉という外国の秘術まで身につけた」
「うらやましい」
「しかし、どの女も金の切れ目が縁の切れ目。おちぶれたら、みんな逃げていってしまった。いま人生の終幕にのぞんで反省してみると、金の威を借るキツネ、わたしの金がもてたのであって、わたし自身がもてたことは一回もなかった。むなしい。くやしくてならぬ。それが心残りだ。女にもてたかった……」
「そういうものかもしれませんね。どうやら、われわれの共通点は心残り、女にもてなかったということですな」
三人はあわれな声を出し、おたがいに同情しあい、おたがいに不運をなげきあい、なんとかならぬものかと……。
その病室に医師がやってきた時、ふとった男がみなを代表して言った。
「われわれ三人、いろいろと相談したのですが、ぜひ先生にお願いが……」
「はい。なんでもやってあげますよ」
「われわれ、いずれも先は長くない。先生がそんなふうに、すぐやさしく承知して下さるのが、なによりの証拠。覚悟はできております」
「や、まずいことを言ったかな。しかし、まあ、そんな弱気ではいけません。回復への自信をお持ちなさい。大丈夫です」
「はげますのは医者の役目、はげまされるのは患者の役目。お言葉はありがたいが、みこみはなさそうです。|夢枕《ゆめまくら》の死神が、待ちかねていらいらしている。われわれ、あまり世の中のためになる人間でもないようですから、このへんであきらめます。しかし、あきらめきれないことがある。女にもてなかったという点です」
「なにを言い出すかと思ったら、また、なんと現実的なことを……」
医師は二の句がつげなかった。ふとった男はあらたまった口調で言う。
「そこでお願いというわけです。いよいよ臨終となったら、われわれ三人を切断し、組立てなおしていただきたい」
「といいますと……」
「それぞれから三分の一をちょん切るのです。わたしは腹部から足にかけての部分を残しておく。胸と腕の部分は、その暴力団のおにいさんのを使う。首から上は、そのハンサムなおにいさんのを。つまり、価値があってまだ使える部分を集め、ひとつの人間に仕上げていただきたいというわけでして……」
「なんですって、生体移植の大手術をやれというのですか。それは困ります。いえ、わたしに才能がないというわけじゃあありませんよ。腕前は優秀だ。だけど、生体移植には微妙な感情問題がからんでくる。提供するほう、されるほう、なかなかうまくいかんのです。この場合、だれが提供者で、だれが被提供者になるのか、はっきりしませんが……」
医師はしりごみした。しかし、むこう傷の男が口をはさんだ。
「その点なら、ご心配なく。三人の意見が一致の上でのお願いです。みな承知の上であり、希望でもある。書類を作成し、あとに問題が残らないよう、先生にご迷惑をおかけしないよういたします。死にのぞんでの最後の願い。それでも聞けねえと言うのかよお」
「そう興奮してはいけません。ほら、あなた、また下痢をした。しかしねえ、かりにやってみても、拒絶反応がおこるかもしれないし……」
「おこるわけはないでしょう。女にもてたい、その思いにみなこりかたまっている。それに関してはぴたりと一致。その執念のあげくのお願いです。|三《さん》|位《み》|一《いっ》|体《たい》の一心同体、同志的結合のチームワーク。拒絶反応など起りようがない。ぜひやって下さい。やってくれないのなら、いいですよ。執念の行き場がなく、先生のところへ化けて出る。三交代制で化けて出てやる。一日二十四時間、休みなく出現し、うらめしやと、わめきつづけてやるから……」
「いやな脅迫だな。しかし、どうも気が進まないな。成功したとしても、とやかく言われるだろうしな。神を恐れぬ行為だとか……」
「神を信じないやつに限って、そんなことを言うんですよ。そんな雑音、気にすることはない。先生こそ神ですよ。神はアダムの胸の骨から、もうひとりお作りになった。似たようなものです。勝てば官軍、成功してごらんなさい。医学史上に先生の名が残る。金文字で印刷されて残るかもしれない。ジェンナー、エールリッヒ、パスツール、ドクトル・ジバゴにドクター・ノオ、これらの輝かしき博士たちと並んで、先生の名がたたえられることになるのですよ」
「虚栄心がむずむずするようなことを言うなあ。妙な名もまざっていたが……」
医師の心は少しぐらつき、三人はそこをもう一押しする。
「名声がおきらいなのでしたら、むりにとはいいませんよ。これだけ条件がそろっているんです。ほかの先生に交渉してみますから」
「うむ。おどしたりすかしたりで、痛いところを突いてくるなあ。学術研究発表会での、はれがましい光景が目に浮かぶ。えへん、諸君、これから、わたしは世界最初の……」
「そうこなくちゃいけません」
「なんとなく、わたしも乗り気になってきた。いずれにせよ、このままではあなたがた、長いことはないんだしね。や、また口がすべった。いまのは取消しだ。みな、まもなく回復する。わたしが保証する。しかしだ、万一ということもある。その三人がそろって万一おかしくなった時にそなえておくのも、必要かもしれぬ。万の三乗はいくつになるかしらんが、ありえないことではない。医学の進歩のために身を投げ出そうという、きみたちの熱意には負けた。考慮しよう。大いに考慮すべきことだ。そうときまれば、一刻も早く書類を作っておこう。手おくれになっては、とりかえしがつかんからな……」
というわけで、合成人間ができあがった。経過はすべて順調。いちおう外出してもいいという許可がでた。一般人なみに行動できるかどうかを、まずたしかめてみる必要がある。医師は言う。
「わたしはせい一杯やり、ここまでなしとげた。上出来か不出来かは、なんともいえない。あなたがはじめてなので、比較しようにもほかに前例がないからだ」
「これでけっこうです。なんとお礼を申しあげていいのか。大感激です」
「しかしだ、なにしろ三つの部分品をよせ集めてあるのだ。神経のつながりかたが、まだ完全とはいえない。そのうち調和してスムースになるだろうが、動作には気をつけるようにな」
合成人間はからだを動かしてみる。
「なるほど、どことなく妙です。わが身にしてわが身にあらずといった気分。こればかりは、当人でないとわからんでしょう」
手を出して医師と握手する。医師は叫ぶ。
「痛い。そう力をこめるな」
「すみません。ぼくはそんなつもりじゃなかったんですが、手が勝手に力を出してしまうんです。きっと、この部分の暴力団のおにいさん、こうなって喜んでるんでしょう」
「ところで、外出したら、まずどこへ行くつもりだ」
「花を買い、お墓にそなえに行きます。これを第一にやらないと、気持ちの整理ができないようです」
「それはそうだろうな。まあ、新しい人生を大いに楽しんできなさい」
「はあ、そのつもりです」
合成人間は病院から出る。ゆっくりと歩く。足の歩くのと、手のゆれるのと、どうも調子が合わぬ。このかけがえのない生命を、車にはねられて失っては、とりかえしがつかぬ。注意してゆっくり歩くに越したことはない。
お墓まいり。新しい墓が三つ並んでいる。合成人間はそれにむかい、感無量。
「こっちの墓の下には、下半身のないでぶ男の遺体が埋葬されてある。まんなかは、胸と腕以外の、むこう傷の男の墓だ。そして、こっちの墓の下には、首のないハンサム男の遺体が眠っている。ああ、みなさん、迷わず成仏しておくれ。きみたちは、みな、生前はいいやつだった。なつかしい。もはやきみたちに会えないかと思うと、つらくてたまらぬ。悲しい……」
合成人間は涙を流し、それぞれの墓に花をそなえ、手を合せた。しかし、やがて首をかしげる。
「ここに墓が三つある。となるとだ、ここでおがんでいる自分は、いったいどういうことになるのだ。かつてはやった巧妙な犯罪、変造紙幣みたいなものだな。紙幣を少しずつ切りつめ、はりあわせ、十枚の札から十一枚の札を作り出してしまうというやつだ……」
ぶつぶつつぶやき、人間の存在の根本問題について深遠な思考にふけりかけたが、それはやめた。
「結論だけいえば、われこそ三人の執念によってうみだされた存在。その執念とは、女にもてることだ。それこそ存在の意義、存在の目標、唯一にしてすべてだ。ほかのことは考えるべきでない。さて、それにとりかかるとするか」
いまこそ行動。しかばねを乗り越えて進め。合成人間は墓地から出て行き、盛り場へとむかい、一軒のバーを見つけて入る。
だんだんなれてきたとはいえ、まだ頭、腕、足のバランスは完全でない。酔っぱらいのごとき足どり。
それでも、カウンターの席につき、注文をする。
「あの、お酒を飲ませて下さい……」
首から上はハンサム男なので、おとなしい口調。いささか女性的なやさしい声。バーテンが聞きかえす。
「なんにいたしましょう」
「さあ……」
ハンサム男は酒を飲んだことがなく、どれがいいのやらわからず、首をかしげる。しかし、腕の部分は勢いよく指を鳴らし、酒の|棚《たな》をさす。バーテンはうなずき、
「はい、ウイスキーでございますな」
ダブルの水割りとなって出された。腕はなれた手つき、さっと口に持ってゆくが、口は酒を飲むのになれていない、むせるやら、胸にこぼすやら、不器用きわまる。しかし、手はまた酒の棚を指さし、おかわりを請求。それを顔をしかめて飲み、手は気持ちよさそうに酔った動きをする。バーテンふしぎがり、そっと聞く。
「お客さん、お酒が好きなんですか。そうでないんですか。どことなく変ですねえ」
「いや、これにはいろいろと事情があってね……」
合成人間は言葉をにごす。そのうち、胸と腕の部分が、なぜかもぞもぞと動きたがる。バーの片すみをむきたがるのだ。首の部分は首をかしげ、やがてつぶやく。
「ははあ、トイレに行きたがるのだな。なにしろ、この胸につながっていたそのむかしの下半身は、ああ、ややこしい。ようするに、その下半身は下痢症だったのだ。その習慣が残っているのだろう。習慣の力は強いものだ。しかし、もう心配することはないのだぞ。現在のおまえの下半身は、すなわち、ぼくの下半身ということだが、ふとった男のおかげで、いまは健康なのだ。なんだか複雑だな。早く神経の統一がとれてくれないかな」
やがて、店にいる女の子たちが、ちらちらと流し目を送ってくる。たいへんな美男子、そのうえ、胸と腕の筋肉はたくましく男性的。目立つのもむりはない。なかには、そばへきて話しかける女性もある。
「あなた、おひとりなの……」
「ええ、ぼく、あの、本当は三人なんですけど、それがこうなっちゃって……」
合成人間の首の部分は、恋愛体験をまるで持っていない。こんなことは、ほとんど生まれてはじめて。女性に話しかけられ、ぽっと赤くなり、どぎまぎした返事。それが女にはたまらなく好ましく見える。
「うぶなかたねえ。三人でいっしょに飲もうとしたけれど、はぐれちゃって、あなたひとりになってしまったというわけね」
「ええ、まあ、そうなんです……」
女性の顔をまともに見ることもできず、目を伏せて、おどおど。しかし、手のほうは勝手に、女の手を強くにぎりしめている。それがまた、彼女にとっては魅力となった。
「あなた、内面はすごく情熱的なのねえ。この力強い手。しびれるようだわ。そのくせ、口かずが少ない。いまどき珍しい男性だわ。普通の大部分の男ときたら、美男子でもないのにうぬぼれが強く、口からでまかせの大きなことをしゃべり、だまそうとする。あなたはその反対、ほんとに感じがいいかたねえ」
女性たちの人気は合成美男に集中し「すてきなかた」とか「ハンサムねえ」とか「このたくましい腕」とか、よってたかってサービスをする。
これでいいのだ。これこそ執念の悲願、いまこそ実現しつつある。霊魂も照覧あれ。これでこそ死んだかいがあり、生きているかいがあるというものだ。合成美男、まんざらでもない気分になりつつあった。
しかし、世の中、そうすべて順調にゆくものとは限らない。当然のことだが、バーのなかのほかの男の客たちは面白くない。こうひとりがもてては、いんねんもつけたくなる。
「やいやい、そこの客。ひとり色男ぶりやがって、どういう気だ。おれたちへの、いやがらせか。このやろう、不愉快だぞ」
酒の勢いもあり、大きな声。合成美男あわててあやまる。
「いえ、ぼく、そんなつもりなんか、少しもありません。すみません。許して下さい。あやまります。乱暴はやめて下さい」
合成美男の首はペコペコ前に傾き、おわびを言った。それを見て他の客、くみしやすい相手と判断し、調子に乗って言う。
「よし、じゃあ、よそで飲みやがれ。おれたちがここから、ほうり出してやるから」
しかし、お客たちの手が肩にかかったとたん、合成美男の胸と腕の部分が反射的に動き出した。暴力団にいただけあって、けんかの神経はなかなかのもの。
ひとりの顔をひっぱたき、ひとりの腹をなぐりつけ、もうひとりの首をしめあげ、ついでに投げとばす。その一方、首の部分の口は、おとなしい口調であやまりつづけている。
「すみません、すみません。ぼく、乱暴するつもりなんか、ないんです。だけど、理不尽なことをされると、この腕が勝手にかっとなって、あばれてしまうんです。あなたがた、けがをしたくなかったら、はなれていて下さい」
ただ正直に言っただけなのだが、これがまた相手のかんにさわる。
「やいやい、三文映画で覚えたようなせりふをぬかしやがって、ますます面白くない。油断をさせておいてなぐりかかるなんて、|卑怯《ひきょう》だぞ。そっちがその気なら、こんどこそ、ただではすまんぞ。おい、みんな」
ほかの連中も身がまえ、またも飛びかかる。合成美男の口はあやまりつづけている。
「ああ、ぼく、困っちゃいますよ。けんかなんか、まるで自信がないんです。やったこともないんですよ。ほんと。弱いんです。あやまりますから許して下さい。お助け下さい。助けて……」
それにおかまいなく、腕の部分は勝手に動き、上着をぬぎ、シャツをぬぐ。たくましい筋肉。ところどころに刀の傷あともある。
げんこつがさっと伸び、そばのひとりをぶちのめした。つづいて、もうひとり。他の連中はあまりのことに息をのむ。おとなしそうな顔と声のくせに、腕っぷしはすごい。暗黒街のボスの|御《おん》|曹《ぞう》|子《し》なのかもしれず、特殊な機関に属する一流のスパイなのかもしれない。ひとまず、あやまっておいたほうがよさそうだ。
「まあ、お待ち下さい。おみそれしました。もとはといえば、われわれが悪かったのです。この場はごかんべん下さい。どうぞ、ごゆっくりお飲み下さい。おわびのしるしとして、われわれがおごらせていただきます」
「そうおっしゃられると、ぼく、どうしていいのかわからなくなっちゃいますよ。ぼくのほうが悪かったのです。乱暴は許して下さい。ぼくがみなさんにおごりますから」
「とんでもない……」
連中は少々うすきみ悪く感じる。しかし、合成美男はあどけなく言う。
「遠慮なさることはないでしょう。それとも、ぼくのおごりでは飲めないとおっしゃるのですか」
「いえ、いえ、決してそんなわけでは。ありがたくごちそうになります」
さわぎは一応おさまり、他のお客たちは酒を飲みはじめた。おごってもらうのなら、女の子たちのサービスが悪くても、べつに文句はない。
合成美男は、女の子たちを独占できた。独占するつもりはなくても、女の子たちのほうでほっておかない。寄ってたかって、ほめたたえる。
「なんてすごいんでしょう。表情も変えず、ハンサムで、口調はていねい。そのくせ、けんかとなると腕っぷしは強くて、勇ましい。こんな男性、テレビ映画のなかにだけしかいないはず。きょうまでそう思っていたのに……」
「ほんと、あたし、まだ夢を見ているようだわ」
「ねえ、これまでなになさってたの」
そう聞かれ、合成美男は答える。
「普通の人の三倍の人生をすごしてきたよ。話せば長くなってしまう」
「それなのに、ちっともすれていないのねえ。で、奥さんはいらっしゃるの」
「そんなもの、まだいない」
独身とわかり、女の子たちの声はひときわ高くなる。
「あたしにおごらせてよ。お好きなものをお飲みになってよ……」
さっきぬいだ上着を着せかけてくれる女もあった。合成美男は気づき、その上着の内ポケットから札束を取り出した。かなりの金額。
この金はつまり、それぞれのかけていた生命保険金が入ったのだ。本当は三人分の保険金が入るはずなのだが、保険会社が支払いをしぶった。三人が死んだのかもしれないが、現にここに一人は生きている。算術の原理からいって、差引き二人です。二人分でしたらすぐお払いしますが、三人となると、裁判にかけて判決がおりてからにします。合成美男はめんどくさいから、それでいいと答え、二人分で満足したのだ。医師を仮の受取り人にでもしておけば、三人分とれたかもしれない。こんど死ぬ時はそうしよう。
そういういわれの金。合成美男は女の子たちにチップとして渡し、他のお客の飲み分の代金も払ってやった。なにしろ気前がいい。どうせ一度は死んだからだだ、丸もうけのようなもの。もてるために使うべき金なのだ。
女の子たちはため息をつく。色男にして、金ばなれがよく、そのうえ力もある。さらに独身とくる。彼女たちの目が輝き、叫び声は高まり、熱狂的なさわぎ。
合成美男、神経の伝わり方はまだにぶいが、頭の部分はこれらの事情をやっとのみこむ。なるほど、なるほど。女にもてるとは、かくのごときことだったのかと、現実を理解しはじめる。これから、こんな生活をずっとつづけることになるのだ。なんとすばらしい。
これだけちやほやされれば、だんだん自信もついてくる。自分の使命も思い出す。
「そうだ、ぼくには、いろいろとしなければならないことが、あるんだった」
「いいじゃないの。今夜はあたしとつきあってよ。楽しい夜をすごしましょうよ」
「いえ、あたしとよ。ね、そうでしょ」
「だめ、このかたはあたしとよ」
他の客たちはみな帰ったあとだった。もし残っていてこのありさまを見たら、また頭に血がのぼり、いくらなんでももてすぎると、また乱闘がはじまっただろう。バーテンはまだ店にいたが、大量のチップをもらい、これも商売とがまんしている。
よりどりみどり。なかで一番のグラマー美人を、合成美男は指名した。
「じゃあ、今晩はきみと行こうかな。さよなら」
と、さっと連れ出す。ぐずぐずしていると、女たちの争奪戦がすごくなる一方だろう。その仲裁の自信はないのだ。合成美男は女に言う。
「ぼく、どこへ行ったらいいんだろう」
「ホテルへ行くんじゃないの」
「あ、そうか。だけど、ホテルって、どこにあって、どうやったらとめてもらえるのか、知らないんだよ。自動車で行くのかい」
「ああ、街から出ようってわけね。いいわ、あたし、静かな温泉地のホテルを知ってるわ。そこでよかったら、まかしといて」
悲願の達成もまもなくだ。
「うん、どこでもいいよ。楽しみだねえ。ベッドの上ですごいことが起るよ。きみはきっと、びっくりするから」
「あなたって、うぶなんだか、すごいのかわからない人ね……」
かくして、夜のホテルの一室。静かさ。豪華なベッド。ほのかなあかり。ムードは満点。うす暗さのなかで、女はささやく。
「光のかげんかしら。あなたって、胸のへんはたくましいのに、下半身から足にかけて、ずいぶん色が白く、ふっくらしているようねえ」
「なんだって。あ、そうか。いや、いろいろとわけがあってね。そんなことはどうでもいい。これから、すごい驚きがはじまるんだよ」
しばらくののち、女は声をあげた。
「あ、なんかもげたわ。これ、なにかしら」
あかりのほうにさしのべてみると、男性の部分。女は首をかしげる。
「驚かせるって言われてたから、悲鳴はあげなかったけど、それでもちょっとびっくりさせられたわ。あなたって、ユーモアもあるのね。ますますみなおしたわ」
「変だな。どれどれ。や、本当だ。ゴムのような感触の物質でできている。驚きはぼくのほうだ」
合成美男、急いで電話のそばへ寄り、病院にかける。
「先生、夜おそく申しわけありませんが、ぼくの下半身のようすが変なんです。どういうことです、これ……」
受話器のむこうで、医師の声。
「いや、約束が正確に履行できなくて、その点はこちらがあやまらねばならない。しかし、やむをえなかったのだ。ハンサム男とむこう傷の男は、ほぼ同時に死んでくれた。しかし、下半身の部分の提供者、あのふとった人は死ぬのが二日のびた。やつがいけないんだぞ。むりに殺して死期を早め、下半身を取ることは医師の良心としてできなかった。といって、下半身不随のハンサム男のでも、下痢症のむこう傷の男のでも困るわけだ。しかし、天の助け。ちょうどその当日、交通事故で運ばれてきた死者のなかに、下半身の健康なのがあった。なんとか、それでまにあわせたというわけだよ。きみがそうやって活動できるのも、そのおかげだ。感謝してくれとは言わんが、まあ、それでがまんしてもらいたいと思うよ」
「事情はわかりました。しかし、参考のためにうかがっときたいのですが、下半身の提供者はどんな人だったんです」
「名はあかせないが、ある若い女の人だ」