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所有者
日期:2017-12-30 17:14  点击:288
 カオ博士という、とんでもないやつがいた。恐るべき人物。どんなふうに恐るべきだったかは、のちほどのべる。
 そのカオ博士、その日は公園を散歩していた。目つきが鋭く、頭のよさそうなひたい、意志の強そうな口。ひとくせある外見だが、いまはうれしげな表情で、軽く口笛を吹いている。そのため、ますます奇妙な顔つきとなっていた。
 公園のなか、むこうのほうから、あわただしくかけてくる青年があった。
「どなたか、お医者さんはいませんか」
 と叫んでいる。カオ博士は聞いた。
「どうしたのです」
「あなたはお医者なのですか」
「いわゆる医者ではないが、医学をまなんだ。いまでも医学を研究している。この分野に関しては、わたしにまさる者はあるまい。ノーベル賞なんか……」
「つまり、医学の心得があるというわけですね。自信がありそうだ。にせ医者ではないようだ。ちょうどいい。このさき、むこうの木の下に人が倒れているんです。苦しんでいる。みてあげて下さい」
「それは気の毒。医は仁術だ。行ってみましょう。しかし、散歩の途中だから、診察器具も薬も持っていない。あなたは、電話をさがし、救急車を呼ぶべきです」
「そうしましょう……」
 青年はかけていった。博士は木の下へ行ってみる。やじうまが五人ほどいたが、だれも遠くから見ているだけ。五十歳ぐらいの男が倒れていた。みすぼらしい服装で、やせおとろえたからだ。
「こ、こ、こ……」
 と苦しげにわめき、青ざめ、激しい息をしている。
「しっかりしなさい。わたしは医者です。どこがどう苦しいのです」
 博士は介抱した。だが、男はただ苦しがるばかり。どういう病気なのか、まるで見当がつかない。博士は脈をとる。そのうち、男は無念そうに叫んだ。
「これを……」
 にぎりしめていた手を開き、ぐったりとなった。なにかが地面に落ちた。博士はそれをポケットに入れながら、あわてて男をゆさぶる。しかし、もはや男の心臓はとまっていた。その時、やっと救急車がかけつけてきた。博士は言う。
「もはや手おくれです。もっとも、少し早く来てたとしても、同じだったでしょう」
「あなたはお医者のようですが、病名はなんだとお思いですか」
「なんともいえませんな。苦しんだあげく、ばったりでした。古くなった料理を食べての食中毒、またはアル中のひどくなったものかもしれない。あわれな姿から察して、そんなたぐいといったとこでしょう」
「服のポケットをさがしたが、身元の手がかりになるようなものは、なにもない。あと始末に手数がかかりそうですな。では……」
 その死体をのせて、救急車は戻っていった。
 
 カオ博士も、口笛を吹き、笑いながら公園から自分の住居兼研究所へと帰ってきた。
「さっきは妙なことにぶつかったな。診察など、久しぶりだ。みすぼらしい男の、行倒れか。あわれなものだ。ああいう人間が発生するというのも、世の中が悪いからだ。しかし、遠からず、全世界がいい社会になるぞ。それも、わたしの力によってだ。考えただけでも、楽しくなってくる。うひひ……」
 異様な笑い声とともに、大変なことをつぶやく。しかし、冗談でも、気がちがったのでもなかった。彼はすぐれた学者であり、出まかせをしゃべるような性格ではないのだ。
「わたしはやっと完成したのだ。思えば努力のしつづけだったな。脳に作用する薬品の研究にとりつかれ、さまざまな新薬を発見した。そのなかの傑作がこれだ。この微量を吸いこんだだけで、当人はたちまち従順になってしまう。命令のままに動く人間になってしまうのだ。うひひ……」
 薬びんを手に、うれしげにながめる。
「……しかし、このたぐいの作用の薬は、いままでにないわけではなかった。これだけの発見だったら、そう威張れたものじゃない。われながらすばらしいと思うのは、この触媒の発見のほうだ。この触媒を作って、空中にばらまけばいい。すると、大気中の物質が太陽光線の作用で化合しはじめ、さっきの従順薬がしぜんにできあがってゆく。自動的に化合し、世界じゅうにひろがるのだ……」
 カオ博士は触媒の製法を書いたノートを見つめ、こみあげる笑いを押えきれなかった。この触媒物質をまくと、人を従順にしてしまう薬が、大気中にしぜんにふえてゆく。
 あらかじめ解毒剤を飲んでおけば、その作用をまぬがれる。すなわち、命令する側に立てるのだ。博士の命ずるままに、全人類が動かされるということになる。
「……そのあと、この分解触媒をばらまけば、空気中から従順薬が消える。それまでのあいだに、わたしの好きなように世界を変えてしまえばいいのだ。ぶつぶつ言うやつらがあらわれたら、また触媒をばらまけばいい。ふたたび、みなが従順になる。史上だれもやれなかった、世界の征服と支配ができるのだ。どんなふうにやるかな。まあ、そんなことは、ゆっくり考えればいい。わたしは最高の力を手に入れたのだ。うひひ……」
 早くいえば、世界征服薬を発見したというわけ。笑いたくも、口笛を吹きたくもなるだろう。支配される人類にとってはいい迷惑だが、自由に支配できるカオ博士にとっては、こんな面白いことはないだろう。恐るべきものを完成したのだ。
 口笛を吹きながら、研究室のなかを歩きまわる。なにげなくポケットに手を入れると、指にさわったものがあった。
「そういえば、さっき、行倒れ男が、手からなにかを落したな。それを拾った……」
 引っぱり出してみると、ペンダント。きらきら白く輝く宝石に、金のくさりがついている。それを見て、博士がつぶやく。
「きれいなものだな。ちょっと見ると、ダイヤモンドのようだ。しかし、そんなことは、ありえない。あのみすぼらしい男が、こんな大きな本物のダイヤを持っているわけがない。ガラスにきまっている。だから、この窓ガラスにこすりつけても、きずがつか……つか……ついた。や、本物だ」
 もう一回やってみて、博士は飛びあがって驚く。こんな大きなダイヤがあるとは、聞いたことがない。これが本物とはねえ。ただならぬ、あやしい美しさがある。しかし、ふしぎでならない。あのみすぼらしい男が、なぜこんな高価なものを持っていたのだろうか。わけがわからない。
「こういうものは、一生かかっても、わたしには買えそうに……」
 そう言いかけて、首をふる。
「そんな考えは、早く改めねばならん。以前はそうだったが、いまはちがう。世界征服薬を完成させたのだ。金など、思いのままに手に入る。いや、金など払わなくたっていいのだ。みなが従順になるのだから、よこせと言いさえすればいい、うひひ……」
 またも笑い声。
「……ひとのものは、おれのものだ。世界全部が、おれのものなのだ。いったん返して、それから巻きあげるのも、ばかげている。第一、返してやろうにも、あの男は身元不明だったしな。これは、さいさきいい記念品として、もらっておくとするか……」
 大きなダイヤをながめているうちに、博士は思いついた。
「そうだ、世界征服の触媒、および分解触媒の製法を、このダイヤの裏に書きこんでおくとするか、特殊の液でだ。見ただけではわからないが、ある波長の光を当てると、字が浮き出してくるというぐあいに……」
 博士はその作業をやった。そして、ノートを燃やし、ペンダントを首からかけた。世界征服の秘密と大型ダイヤとは、いまや博士とともにあるのだ。まことにいい気分。彼は酒のびんを持ち出してきた。
「前祝いに一杯やるとしよう。いまこそ、祝うべき時ではないか。ほろ酔い気分で、世界征服の構想でもねるとしよう……」
 博士はグラスを重ね、ほろ酔いを通りすぎ、そのまま眠ってしまった。
 ところが、壁に耳あり。さっきからの博士のつぶやきは、部屋にしかけられてあったかくしマイクによって、某国のスパイのZ9号にすべて盗聴されていた。つつしむべきは、ひとりごと。
 まもなく、そのZ9号は博士の研究室にしのびこんできた。
「よく眠っているな。この先生、ひとのいいのが欠点だ。構想の雄大さと頭のよさには敬服するが、警戒心がまるでない。なにもかも、こっちへつつ抜けだ。うふふ……」
 と、にやにや。
「……もっとも、それがスパイの商売というわけだけどね。博士がなにやら、とてつもない研究をやっているらしいとは、以前から気づいていた。あとは待つだけ、完成した時にやってきて、それを取りあげればいい。学者は果樹、スパイは収穫係。われわれプロにとって、アマチュアはものの数じゃない。そもそも、世界の征服とか支配なんてことは、しろうとの手におえることじゃない。われわれその道の専門家にまかせてもらったほうが、はるかにうまくゆく。先生の夢は、かならず実現してあげますよ。では、気の毒だが、おやすみなさい」
 |拳銃《けんじゅう》をとりだし、眠っている博士にむけて一発。博士は世界征服の夢を見て眠りながら、そのまま永遠の眠りについてしまった。
 博士を生かしておいては、触媒の製法がよそにもれる可能性がある。その防御法を開発されることだってある。そうなっては、この秘密の価値がなくなる。秘密情報は唯一だからこそ意味があるのだ。スパイの考え方は、冷酷にして非情、そして理屈にあっているとくる。
 あわれをとどめたのは、カオ博士。こんなものを発見しなければ、天寿をまっとうしたものを。また、部屋をよく調べておけば、つぶやく習慣さえなければ、番犬でも飼っておけば……。
 なんという不運。
 
 本当は不運なんていうものでなく、必然の経過だったのだ。その大きなダイヤのせいだった。
 このダイヤが掘り出されたのは、二百年ほどのむかし。山からおりてきた男が、鉱山技師のところへ持ってきて言った。
「ほら穴の壁を掘ったら出てきた。いやに大きいが、本物のダイヤでしょうか」
「ちょっと見せなさい。うむうむ、や、これは本物だ。すごい」
 そう答えるやいなや、喜びかけた発見者をナイフでぐさり。
「な、なんとひどいことを……」
「これを手にしたとたん、欲しくてたまらなくなったのだ。悪く思うなよ……」
「これが悪く思わずにいられるか。こんなことで殺されるなんて、あんまりだ。うらみつづけ、のろいつづけてやる。あの世に行ってからもだ。このままでは、死んでも死にきれない……」
 そして、息がたえた。かくしてダイヤは技師の手に移ったが、ぶじにはすまなかった。親友だからと安心して、それを見せる。
「ちょっとしたものだろう」
「なるほど、すごい。見ていると、返したくなくなってくるぜ。どうしたらいいか。こうでもするか……」
 技師は殺され、ダイヤは奪われる。それ以来、そのくりかえし。だれでも、見たら所有したくなる。加工され、きらめくようになってからは、なおさらのことだ。
 欲しくなるのはいいが、あまりに大きいので値のつけようがない。いかなる金持ちにも、手のだせぬ価格になる。となると、所有者をぐさりとやって巻きあげる以外にない。やられたほうは、うらみ、のろいながら死んでゆく。
 だから、ある国の王の所有になるまでに、何人が殺されたか、数えきれぬほど。その各人の無念さが、何重にもダイヤにとりついた。ついに完全なる、のろわれた宝石というやつになってしまった。だれもそうとは気づかないまま。
 のろわれた宝石かもしれぬと思う者があったとしても、現物を見ると、なにもかも忘れて欲しくなる。それほどすばらしいダイヤなのだ。だが、現実は死者たちのうらみの受信機。
 所有した王だって、長くはつづかなかった。反乱によって殺され、ダイヤはその首謀者の手に移る。さらに所有者はかわりつづける。独裁者、それを殺した殺し屋、殺し屋を殺したその情婦……。
 いちいち書いていたら、きりがない。所有者の交代は、金銭での売買によらない。ほとんどが、死をともなった強奪だ。だから、宝石商の目にふれ、値のつけられるということがない。ひそかに持ち主がかわっている。
 のろいは、そのたびに強力確実なものとなり、所有したら最後、ただではすまない。
 すでに公園でみすぼらしい男が原因不明の死をとげたし、カオ博士も殺された。
 
 ダイヤをカオ博士から奪ったスパイ、Z9号は本部へ無電で報告した。
〈大変な秘密を手に入れました。世界を思うがままに支配できる物質の製法です。二、三日中にそちらへ送ります〉
〈そんな大変なものなら、すぐ送れ〉
〈警戒がきびしくなったようです。行動は慎重にしたほうがいいようです〉
〈それもそうだな。いずれにせよ大手柄だ。その情報が本物だったら、ボーナスがたくさん出るぞ〉
〈そんなご心配はいりません。これが職務なのです〉
 まったく、ボーナスなんかどうでもいいのだ。このダイヤのすばらしさにくらべたら。
 そもそも、本部へ送るのは、物質製造についての情報だけでいい。このダイヤは、ちょうだいするとしよう。
「ある波長の光を当てれば字が出てくると、博士が言っていたな……」
 Z9号はその仕事にとりかかる。
「……見れば見るほど、すごいダイヤだ。これが、所得税なしで手に入る。この程度の役得は、あっていいよ。なにしろ、命を|賭《か》けて、スパイという仕事をやっているんだから……」
 光線を当てる仕事に夢中になっていると、いつのまにか、みしらぬ男がそばに来ていた。そいつは拳銃をつきつけ、Z9号に言った。
「では、命をいただくとするか。勝負はついたのだ。いやにきれいなものを、いじくっているな。まず、それをいただいてからだ」
 銃をつきつけられては、さからえない。ダイヤを取りあげられてしまった。Z9号は泣きつく。
「あ、それは返してくれ。命より大事なものなのだ。いったい、あなたはだれだ」
「ご同業さ。所属国籍はちがうがね。RR3号という。すなおに従ってくれれば、命だけは助けてやる。命がそれほど大事でないというのなら、それもいただいてゆく。こっちは、もらってもそうありがたくないがね」
「なんのお話です」
「とぼけてもだめだ。さっきの無電を傍受してしまったのだ。暗号表がこっちの手に入ったばかりだった。これだけ話せば、おわかりでしょう。不運とあきらめ、製法の秘密とやらを渡すんですな」
「いやだと言ったら……」
「まず痛めつけてみるかな。手かげんはしないよ。死んだら死んだでいいんだ。それからゆっくり、さがしてみる。そのへんから、なにかが出てくるだろう。出てこなければ、面白くないから、ここを爆破する」
「ひどい、むちゃくちゃだ」
「おいおい、世間の常識を持ち出すなよ。スパイの世界は、ひどいのが当り前だ。おまえだって、身におぼえがあるはずだ」
「うむ。それはそうだ。ところで、どうだろう。取引きといこう」
「すなおじゃないね。なにをのんきなこと言ってるのだ。この道の経験が少ないらしいな。おれはスパイから情報を盗むのを専門にしているスパイだ。学者を果樹とすれば、おまえは収穫係、おれは山賊となる。こっちのほうが一段うえなのだ」
「取引きもだめか」
「なにもかも、いただいてゆく。そのかわり、命だけは助けてやる。これが条件だ。同業のよしみだし、そのうちまた役に立ってくれるかもしれぬからな。さて、イエスかノーか」
 こうなっては、いやもおうもない。
「仕方ない。死んでは、なにもかも終りだ。言いますよ。いまの宝石に書きこんである。ある波長の光を当てると、読みとれるらしいのです」
「そうかいただいてゆくよ」
「不要になったら、あとでダイヤを返してくれませんか」
「まだぶつぶつ言ってやがる。だめだね。おれだって、役得にありつきたいもの。命を助けてあげたのだから、心から感謝してもらいたいところなんだぜ。元気で仕事にはげんで、せいぜい情報を集めるんだな。そのうち、また巻きあげに来るから。あばよ」
「ああ、ああ……」
 泣いてもむだ。ついに情報もダイヤも奪われた。殺されないですんだのは、相手がいち早くダイヤを見つけ、とりあげて所有してしまったためかもしれない。
 しかし、のろいの宝石と知らない当人は、くやしがる。おれ以上に不運なやつはないだろう。情報も、ダイヤも、ボーナスも、昇進も、なにもかもふいになってしまった。こんなことがあって、いいのか。あのダイヤには、もう二度とお目にかかれないことだろう。
 本部から無電連絡が入る。
〈どうなった。待ちかねているのだ〉
〈もう、くやしくて、くやしくて。あ、敵に暗号を知られています。べつな暗号表に変更しましょう〉
〈よし。さて、どうなった〉
〈くやしくて、くやしくて……〉
〈それはわかった。感想でなく、報告を知らせてくれ〉
〈だめになってしまいました。対立国のスパイに奪われました。ダイヤごと〉
〈ダイヤなんか、どうでもいい〉
〈そのなかに、秘密がしるしてあったのです。ああ、ああ……〉
〈いまさら泣いても、まにあうものか。どうやら、ダイヤに気をとられていて、油断してたようだな。このまぬけ。もう、おまえには、まかせておけぬ。かわりの者を本部から派遣し、取りかえさせる〉
〈ああ、ああ……〉
 Z9号、みるもあわれなほどの落胆。本部の信用まで、なくしてしまった。思い出すのは、あの大きなダイヤのことばかり。ほかのことは頭に浮かばない。魂が抜けたように、ぼんやりと毎日をすごす。
 そのあげく、道を歩いていて交通事故死。本当に魂が抜けてしまった。やはり、のろいの宝石の力は健在だった。
 
 本部はすご腕の女スパイを派遣した。若く美人で、頭がよくクールという、とびきりの情報部員。
 RR3号のかくれ場所をつきとめ、出かけてゆく。
「あらあら、部屋をまちがえましたわ」
「あなたのような美人にまちがえられるとは、この部屋も光栄です。わたしも幸運。一杯つきあっていただけませんか。ちょっとしたものを、ごらんにいれますよ」
「あたし、たいていのことには驚かないつもりよ」
「驚いたら、どうします。ひと晩おつきあいいただけますか」
「ええ。で、どんなものなの」
「これですよ、ほら……」
 とダイヤを出す。この、のろいのダイヤ。なんとなく他人に見せて自慢したくなる。それがのろいであり、だからこそ悲劇がつづくのだ。美人スパイは目を丸くする。お芝居でなく、本心から驚いた。
「まあ、きれい。見ていると胸がいっぱいになってくるわ」
「でしょう。ゆっくりしていって下さい」
「ええ」
 RR3号は、まさか女がスパイとは気がつかない。このダイヤには、女をふらふらとさせる魅力があるらしい。いいものが手に入った。しめしめ。にやにやしていると、酒のなかに毒を入れられ、のろいの言葉を最後に、死んでしまった。またしても死者。
「これで任務をはたしたわけだわ。だけど、それにしてもすごいダイヤね……」
 男でさえ理性を失うダイヤ。まして、女とくる。この輝きの魔力にはさからえない。
「これだけのものを、本部へ提出してしまうなんて、もったいないわ。あたしが持っているうちは、危険な秘密もよそにもれないわけだし。そこは適当に……」
 とスパイ精神がおろそかになる。身につけてひとに見せびらかしたくなるのだから、どうしようもない。よせばよいのにとは、第三者のいう言葉。
「あなたのようなお美しいかたにお会いしたのは、はじめてです」
 身だしなみのいい紳士が、ささやくように話しかけてきた。このほめ言葉、ダイヤへのものとは彼女も気がつかない。
「あら、やさしいかたねえ」
 一流の女スパイなのに、だらしないことおびただしい。柔道の心得もあったのだが、相手が悪かった。この紳士は詐欺師兼すり、いつのまにかダイヤと紳士は消えていた。彼女はダイヤの幻を追うかのように自殺。本部は責任感によるものと判断したが、どっちにしろ悲劇であることに変りない。
 世界征服の秘密がかくされている大型ダイヤ。その存在に関するうわさが、各国の情報組織にひろがっていった。
「金に糸目はつけない。いかなる手段に訴えてでも、それを入手せよ。どんな非合法なことをやってもいい。考えてもみろ。そんなのが他国の手に渡ったら、どうなる。わが国は、めちゃめちゃだ」
 どこもこんな指令を出す。スパイたちの動きが活発になる。
 犯罪者たちのあいだにも、その話は伝わった。理由はわからないが、大型ダイヤをみつけると、とてつもない値で売れるそうだ。その所在についての情報提供だけでも、かなりの金がもらえるそうだ。そこで子分たちが動員される。みな目の色を変えて、ダイヤをさがしもとめ、追いかける。
 女スパイからダイヤを奪った紳士も、盗品故買屋に見せたのが運のつき。たちまちギャングのボスに通報され、射殺され、取りあげられた。ギャングのボス、それを見て言う。
「これが問題のダイヤか。なるほど、すばらしい。いかに高価でも、手放す気にはならないな」
 しかし、いい気になってはいられない。故買屋はよそへも情報を売っている。それは、秘密警察の知るところとなった。ギャング団といっても、秘密警察にはかなわない。その一隊に包囲されて全滅。
 ダイヤは、その隊長の手におさまった。
「まてよ。これを上役に渡しても、ほめられるだけで終りだ。昇進したって、しれている。よその国へ売りつけて、大金をさらったほうが賢明というものだ」
 それを持って逃走。秘密警察の隊長だけあって、巧妙に脱出した。しかし、自国内にはくわしくても、国境から出るとそうはいかない。道に迷って、力つきて倒れ、そのまま死亡。ダイヤは、国境警備隊のひとりの手に渡った。
 
 こうなってくれば、普通だったら、のろわれた宝石と気づいてもいいころ。しかし、大秘密がからんでいるのだ。争奪にともなう犠牲者が出るのも当然と思われ、だれもそうは思わない。
 たとえようもなく美しく大きなダイヤ。それに秘密情報の価値が加わっている。うわさを聞くと、その入手に人生を賭けてみたくなる。一度でも目にすると、わがものにしたいとの衝動にかられる。
 いかに訓練された情報部員も、その魅力には勝てない。自己の立場を忘れ、所有欲が優先してしまうのだ。それはそうだろうな。
 上役は部下を殺してでも取り上げたくなるし、金庫にしまっておくと、その番人が変心し、持ち出す。それを見ていた者は、対立国にそのことを知らせてしまう。
 自分のものにできないとなると、くやしさのあまり、対立国だろうがギャング団だろうが、そこへ情報を流して金にする。
 ダイヤが移動するにつれ、そのあとには死者が何人も発生する。うらみと執念を残した、死者たちだ。そして、その何倍もの裏切者が出る。だから、どこの国においても、情報部も、秘密警察も、一般警察も、内部が大混乱。組織の機能低下がいちじるしい。
 しかし、上層部はどこも、やっきとなって指令を出しつづける。
「争奪が激しいのは、それだけ秘密が重要だからだ。あくまで努力をつづけろ。絶対に他国に負けてはならぬ。あきらめるな」
 裏切者を大量に処刑し、新しい人員がダイヤ作戦につぎこまれる。そして、つぎつぎに死んでゆく。のろいの宝石なのだから、それは必然なのだ。死者がふえるにつれ、宝石へののろいも強くなる一方。
 とめどなく人員と資金がつぎこまれたが、成果はいっこうにあがらない。いたずらに死者がふえてゆく。これに関連したどこの国のスパイ組織もめちゃめちゃ。壊滅寸前。
 みごとにダイヤを手に入れ、飛行機を操縦して逃亡したやつがあった。当人は幸運な成功と思ったことだろう。しかし、宝石ののろいのほうが強い。計器に故障がおこり、無人島へ墜落。救助信号を残して消息を絶った。
 その情報は、あっというまにひろがる。各国は軍艦や潜水艦をそこに急行させる。にらみあいとなって、どこも手が出せぬ。むりに上陸しようとしたら、そこで砲撃戦がはじまり、増援隊がかけつけ、世界大戦のきっかけともなりかねない。
 各国の首脳たちが交渉をはじめた。
「武力衝突だけは避けましょう。なんとか話しあいで……」
「ただごとではありませんな。報告によると、どこの国もこの件によって、すでに被害甚大のようですな」
「情報部はどこも、がたがた。金と人員がへる一方。優秀な人材から死んでゆく。へたすると、国家までぐらつきかねない」
「どうも異様です。もしかしたら、これはわれわれの常識をこえた力が、働いているのかもしれませんよ」
「どういうことです」
「神の意志といったものかもしれない。世界征服という恐しいことは、だれにも許されないことでしょう。それをさとらせるために、それとなく罰を与えているのかも……」
 のろいの宝石のせいとは知らず、物質製造の秘密のせいと思っている。
「そんな気がします。国の対立のむなしさも感じます。あのダイヤがいくら高価だといっても、しれています。ばかばかしい損失です。これ以上つづけることはない。この件は、凍結ということにしましょう」
「そうですな。島へは、武器を持たない共同捜索隊を上陸させる。発見したら、どこの国のものともしないで、秘密を解読することなく、そのまま国際管理ということにしましょう」
 その提案にみなが賛成した。ダイヤはこわれた機内の死体のそばにあった。ダイヤは島から運び出され、そのために建てられたビルのなかにしまわれた。各国の人員によって編成された警備隊により、厳重な警戒がつづけられることとなった。もはや、だれにも手が出せない。
 完全な国際管理。おそるべき秘密は発表されることなく押えられ、これで世界の危機は去った。平和と連帯の確立。
 すばらしい結末だ。しかし、それはどうかな。ダイヤは全人類の共有になったのだ。のろいはダイヤの、所有者におよぶ。すなわち、いまや全人類が所有者。どうなることか。
  

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