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ごたごた気流
日期:2017-12-30 17:52  点击:434
「これがその、事件発生機とでも称すべきしろものなのだ」
 と父親が満足そうな口調で言った。それを聞き、むすこは喜びの声をあげた。
「おとうさん、ぼくのためにと、これを作って下さったのですね」
「そうだよ」
「ありがとうございます。だけど、完成させるのは大変だったでしょう」
「それはそうだ。いままで、このたぐいの品は世に存在しなかったのだからな。改良とか性能向上というのとはちがう。なにもかもはじめてのことばかりだった……」
 そう話しながらも、父親は目を細めつづけだった。みるからに頭のよさそうな、六十歳ちかい男。これまでにもさまざまな新製品を開発してきた、すぐれた科学者だった。その特許料収入をもとに、小さいが充実した研究所を作り、その所長をやっている。
 一方、むすこの青年は父親と反対に、あまり優秀とはいえなかった。大学を出てなんとかテレビ局に入社したはいいが、いっこうに才能を示さない。もともと彼には才能などなかったのだ。局のほうも持てあましぎみ。第一線からはずし、つまらない地位へ転任させようとの動きがある。
 父親はそれを見るにみかねた。ひとりっ子。できの悪い子供ほどかわいいという。つまり、親ばかだった。なんとかしてやりたいものだ。そこで、ひそかに頭脳と資金と研究所の設備とを動員し、このような装置を作り上げた。
 ショールダー・バッグぐらいの大きさ。大きさばかりでなく、肩にかけるひものついている点も似ていた。しかし、本体はちょっと重みがあり、精巧そのものといった印象を受ける。
「どうやって使えばいいのですか」
 青年は質問した。なによりもまず、それが問題だった。父親は装置の一部を指さして言う。
「ここにあるこれが、小さなレーダー・スクリーンだ。いいか、この装置を肩からかけ、ぐるりとひとまわりする。なぜまわるかというと、この肩ひものなかにアンテナがしかけてあるからだ。周囲のただならぬけはいをキャッチする。すると、スクリーン上に変化があらわれる。ほら、いくつもの点があらわれただろう」
「ええ」
「ここからの距離は、これでわかる。いまは実験だから、いちばん近いやつを目標にしてみよう。つまり、あの方角だ。そこにねらいをつけてボタンを押すぞ。見ていてごらん」
 ここは自宅の二階。父親の書斎だった。窓からは通りを見ることができる。午後の四時ごろ。大ぜいの人が歩いている。本当になにかが起るのだろうか。
 三十歳ぐらいの男女が、いっしょに歩いている。仲むつまじいようすだった。ながめていると、反対側からひとりの男がやってきた。すれちがいかけ、三人がみな一瞬、足をとめて顔をみつめあった。そして、事件が発生した。
 ひとりの男が、まず女を、つぎに連れの男をぶんなぐった。女は道に倒れて泣き声をあげはじめる。しかし、連れの男はそれを助けようともせず、身をかわし、なぐられるのをよけるだけで、さして抵抗もしない。
 それぞれなにか叫びあっているらしいが、なにごとなのか、その声までは聞くことができなかった。
 人だかりがしてくる。だが、なぜか制止しようとする者も出ず、面白がってながめている。なぐっている男は暴力団らしくもなく、警官もかけつけてこない。
「たしかに、なにか事件のようですが、なにごとでしょう」
 青年が疑問を口にし、父親は答えた。
「わたしの観察によるとだな、浮気の発覚といったところだ。あの女が好きな男と出歩いていた。しかし、ぐあいの悪いことに、道で亭主と会ってしまった……」
「なるほど、そうかもしれませんね。理は亭主のほうにあり、弁解のしようもなく、二人はなぐられっぱなし。やじうまたちも、浮気のむくいだからと、とめようとしない。警官を呼ぶほどのことでもないわけですね」
「というわけさ」
「ううん。それにしても残念だなあ。小型撮影機があれば、この光景をずっとフィルムにおさめることができるのに。テレビに乗せられる。ドラマとちがって、本物はやはり迫力があります。特だねで、みなを驚かすことができたのに。あ、倒れていた女がけっとばされた。いいシーンなのに……」
 しきりとくやしがる青年に、父親が肩をたたいて言った。
「まあ、そう残念がることはないよ。この装置の性能は、これ一回きりというわけではないのだ。これからずっと使えるのだ。これを持ち、カメラを用意して街に出ればいい。レーダーの指示する方向にむけてカメラを回しボタンを押せば、事件がうつせるということになる。浮気発覚といったものだけでなく、もっといろいろな事件がな」
「そういうことでしたか。ありがたい。なんとすばらしい装置でしょう」
「おまえのことを思えばこそ、わたしはこれを作り上げたのだ。たぶん役に立つはずだ」
「ええ、もちろん大助かりです。夢のようだ。おとうさん、心から感謝します」
 青年は目を輝かし、おどるような足どりで部屋のなかを歩きまわった。使い方は簡単だ。これさえあれば、テレビ局でなんとか自己の存在を示すことができそうだ。
 翌日、帰宅した青年が父親に言った。いささか興奮ぎみ。
「おとうさん。もう、なんと言ったものか、みごとに……」
「あれが役に立ったのだな」
「はい。もうすぐニュースの時間です。ぼくの撮影したフィルムが放送されますよ」
「それはぜひ見なくては……」
 父親はテレビのスイッチを入れた。それは交通事故のシーンだった。あきらかに酔っぱらい運転の自動車。右や左にゆれながら走っている。しかもスピード違反の高速。そのうち、前の車を追い越そうとした。そのとたん、タイヤがスリップし、道ばたの街灯に激突。
 車は大破してめちゃめちゃ。運転していた人は、もちろん即死。目撃していた通行人たちの悲鳴。やがて、救急車のサイレンの音が近づいてくる。
 なんの説明もいらない。だが、画面から目をはなすことはできなかった。少し間をおき、アナウンサーの声が入った。
〈自動車の運転には、くれぐれも注意しましょう〉
 まさに重みのある映像だった。これまで事故のフィルムといえば、直後のさわぎをうつしたものばかり。しかし、これは走行中から激突の瞬間までがうつされている。特殊撮影といった作りものでなしに。
「すごいものだな。われながら感心した。装置の威力を、現実にこう見せられると」
 父親は腕組みをしてつぶやき、青年は言った。
「これを見てテレビ局の連中、上役も同僚もびっくりしていましたよ。いっぺんに、ぼくの名が高まった」
「そうだ、注意し忘れていた。おまえ、その装置のことは他人に話さなかったろうな。秘密にしておかなければならないぞ」
「わかっていますよ。ぼくだって、そこまでばかじゃない。装置のおかげとわかったら、せっかくの働きもかすんでしまいます。前を走っている車の動きがおかしい。むだになるかもしれないと思いつつも、無意識のうちにカメラを回していた。勘とでもいうべきでしょうか。そんなふうに説明しておきましたよ」
「それがいい。しかし、それにしてもいまのシーンは強烈だったな。刺激的すぎる。いささかどぎつい。血なまぐさいのは問題だぞ。つまりテレビの本質である、お茶の間むきに反するというわけだ。死はよくない。死の出てくるシーンは避けるように、装置を改良するとしよう」
 父親は事件発生機のふたをあけ、配線の一部に手を加えた。青年はのぞきこみ、首をかしげながら言う。
「すると、たとえば自殺の瞬間といったたぐいが、撮影できなくなってしまうわけですね。もったいないような気がしてなりません」
「いや、これもおまえのことを思えばこそだ。人の死ぬ光景ばかり撮影していたら、そのうち死神あつかいされて、いやがられるぞ。おまえの姿を見ただけで、人びとが逃げてしまう。なにも死ばかりが事件ではない。この装置を使えば、ほかにもいろいろな興味ある事件をつかまえることができるのだ」
「そううかがって安心しました」
 数日後、青年の撮影したフィルムが、またニュースの画面に出た。
 あるホテルのロビー。ひとりの男が|椅《い》|子《す》にかけて、あたりに視線を走らせている。そこに外人の女があらわれた。近づいて、包みを渡す。その時、横から出てきた男が声をかけた。
「なかみを拝見させて下さい」
 と警察手帳を示す。彼は刑事であり、麻薬取引の現場をつかまえたというわけだった。刑事は感想をのべる。
「以前から怪しいとにらんでいたのです。とうとう逮捕できました。社会に害毒が流れるのを未然に防止できて、よかったと思います」
 そのシーンを、青年はフィルムにおさめることができたのだ。画面をいっしょにながめていた父親に、彼は言う。
「万事順調。順調すぎるような感じで、なんとなく妙な気分にさえなります。いったい、この装置はどんなしくみになっているのですか」
 あらためて見なおし、ふしぎがる。父親はわかりやすいようにと努力して解説した。
「てっとり早くいえば、こんなところかな。これは精巧な運勢探知機でもあるのだ。各人にはそれぞれ運勢というものがある。また、場所にも運勢がある。といって、それは固定したものでなく、時間の流れとともに刻々と変化し、その複合が事件となってあらわれる。運命の霊気とでも呼ぶべきかな。その雲行きの怪しげなところを、このレーダーがキャッチし、教えてくれるというわけだ」
「なんとなく天気予報みたいな話ですね」
「そうだ。おまえも、なかなかいいことを言うようになったぞ。まったく、その通りだ。社会は、運命という低気圧、高気圧の作り出す気流の変化のなかにある。晴れたり曇ったり、時には台風とか集中豪雨とでもいうべき事件にも進展する。人間はそのなかでゆれ動く、木の葉のようなものさ」
「しかし、天気予報には当らないことがありますよ。むしろ、正確に的中することのほうが少ない。だから、所によりにわか雨なんて、巧妙な逃げ口上を使っている。そういうものでしょう。しかし、この装置はぴたりと予測する。カメラをむけると、ちゃんと事件が起ってくれる。なぜ、そううまくゆくんです」
「この押しボタンのことを忘れちゃ困るよ。その効果だ。どうやら、これも天気で形容するほうがいいようだ。上空に湿気を含んだ空気があるとする。やがては雨となるわけだが、いつ、どこへ降るかとなると、断定はむずかしい。しかし、人工降雨の方法を使えば……」
「人工降雨って、どうやるんです」
「上空のその湿気のなかに、核となるものをばらまいてるのだ。すると、それらの粒を中心にして水滴ができはじめ、たちまち雨となる。だから、いずれはどこかへ降る雨を、目の前に降らせることができるというわけだ」
 父親の説明に、青年はうなずく。
「装置のこのボタンが、つまり運勢の人工降雨……」
「そういうことだ。たとえば、最初の実験の時の、浮気中の夫人。彼女は運勢として、遠からず発覚することになっていた。あの場合にもそのような運勢があった。しかし、亭主がよそ見や考えごとをしていたら、あの場合、ぶじにすんだかもしれない。時間の問題だが、占いだとそこまでの正確なことはいえない」
「それを少し早めたというわけですか」
「ああ、目の前で雨にしてしまったというところだよ。あの麻薬犯の逮捕も同じことだ。いずれはつかまる運勢にあった犯人さ。刑事は、前から怪しいとにらんでいたなんて言ってたが、本心じゃないよ。わけもなく、ふと思いついて包みを調べてみる気になったというところだ。画面で見ていて、なんとなく自信のなさそうなようすだったよ。装置のボタンによって、きっかけが作られ、そそのかされた形で動作をしたというわけだ」
「自動車の事故死の人もそうですか」
「|無《む》|軌《き》|道《どう》な性格のドライバーだった。どっちみち事故はさけられない運勢にあった。ボタンによって、それが少し早められただけのことさ。他人を巻きぞえにせず、よかったともいえる。だから、そう気にすることはないよ。といっても、改良によってもう死の光景の撮影はできないがね。どんどんボタンを押して、事件をとりまくることだね」
「そうでしたか。べつに気にもしていませんでしたが、それを聞いてますます安心しました。火のないところに煙を立てるのがマスコミの本質ですが、それにくらべ、こっちのほうがまだましだ。黒雲を雨にして、さっぱりさせる。いずれどこかで発生する事件。それを目の前に現出させるだけのことですから。大いにやりますよ。記録と報道はテレビの使命。みなも喜ぶ……」
「しかし、万一その装置を盗まれでもしたらことだ。秘密が知れわたったら、世の中が混乱する。その防止対策が必要だ。なかをこじあけようとしたら、小爆発でこわれるように手を加えておこう」
「だけど、これがこわれてしまったら、ぼくは……」
「心配するな。また作ってあげるよ。その原理はわたしの頭のなかにある」
「なにもかも、おとうさんのおかげです。これで人びとを、喜ばせ楽しませることができるというわけです」
 
 青年のやることは簡単だった。装置とカメラを車につんで、街へ出ればいい。そして、レーダーの示す地点へ行き、ボタンを押し、その方角にカメラをむけて回していればいい。事件はそこで自然に発生してくれるのだ。なにごとも起りそうになくても、必ずはじまる。
 女の人が叫び声をあげた。
「ひったくりよ。だれか、あいつをつかまえて……」
 ハンドバッグを奪って逃げる男。通行人のなかから、それを追っかける者が出る。犯人がなんとか逃げおおせるか、あるいは、ひっとらえることができるか。はらはらする緊張のシーンだった。
 追っかける人数が、しだいにふえる。そのなかには足の早い人もいた。やがて一人が追いつき、飛びかかり、犯人はその下敷きになって倒れ、なぐられ、けとばされ、袋だたきにされた。
 それはテレビで放送される。青年は指さし、父親に言う。
「きょうの収穫は、こんなところです。いい眺めでしょう。悪をにくむ大衆の協力、正義心があふれています。利己主義の時代だという説への、強い反論となっているでしょう」
「大衆というものはね、相手が弱いとわかると、とたんに勢いづくものなのさ。正義心とはちょっとちがうな。しかし、悪ほろび善さかえ、めでたしめでたし、視聴者が喜べば、それでいいわけだな」
「いまのシーン、ボタンを押すことで、だれをそそのかしたことになるんでしょう」
「出場者みんなさ。あの犯人は、もともと機会があればひったくりをやる人間だった。あの女は、すきの多い性格。追っかけつかまえた連中は、なにかぱっとしたことをやりたがっていた。起るべき条件はできていた。女のすきがちょっとふえ、犯人の出来心がちょっと高まり……」
「そのおかげで、視聴者は楽しめた。もう、申しぶんありません」
「いい気になるのもいいが、おまえ、テレビ局の連中に、変に思われているのではないかい」
 父親はいささか気がかりのようだった。青年は言う。
「運がいいのか勘がいいのか、いやについてるなとは言われますよ。しかし、装置のせいとは気づかれない。こんなものがあるなど、だれも考えませんものね。幸運もひとつの才能だと、テレビ局の上役たち、ぼくを大事にしてくれます。同僚たちはうらやましがる。いい気分の毎日です」
「そうだろう、そうだろう」
「すべて、おとうさんのおかげです」
 装置の使い方に青年がなれてきたためか、より面白いシーンにめぐりあうことが多くなった。
 花火会社の倉庫の火事。しかも、夜だった。人家から離れたところにあったため、被害はほかに及ばなかった。
 はなやかな色彩、美しい輝き、それが四方八方に散り、音響もとだえることなくつづいた。
 それはテレビのカラー画面にぴったりだった。最初の小規模な段階から、しだいに大きくなり、幻想と狂気の世界が展開し、下火になってからも、思い出すように火の花が飛びあがる。
 あまりにぴったりすぎ、青年は警察官の取調べを受けた。
「おまえが火をつけたのではないのか。話がうますぎる。なぜ、あの時にあそこへむけてカメラを回していた。火事になる前から……」
「偶然ですよ。いや、勘というべきかな、なにか起りそうだという。こういう仕事をしていると、第六感のようなものが、しぜんに身についてくるものです。警察の人だって、そうでしょう。なにかぴんとくると……」
「警官にはあるさ。しかし、テレビの連中にそれがあるなんて、信じられん。なんだか疑わしい。それとも、放火するという情報を、あらかじめ知ってたのか。そういう取材源についてとなると、きみたち報道関係者はしゃべりたがらないが」
「そんなのともちがいますよ。知っていたらお話しします。弱りましたな。なんと説明したらいいのか……」
 装置の秘密を口にするわけにいかず、青年は言葉に窮した。しかし、父親のやとった弁護士がかけつけてきてくれたし、警察の調査によって、倉庫の番人の火の不始末が原因と判明し、いちおう疑いは晴れた。
 つぎに青年は、さらに珍しいシーンを撮影することができた。もっとも、装置の指示に従ってのことだが。
 宝石店への強盗だった。普通のありふれた方法ではなかった。よくならした毒ヘビのコブラ。それをカゴに入れて持ちこんだのだ。
「さあ、おとなしく宝石を渡せ。さもないと、こいつが飛びつくぞ。|拳銃《けんじゅう》とちがって音がしないから、だれもかけつけてこないぞ」
「命だけはお助け下さい。宝石はお持ちになってけっこうですから」
「もらって行くぜ。あとを追わないように、ヘビはここに残しておく」
 毒ヘビぐらい気持ちの悪いものはない。店の者は青ざめ、ふるえつづけ。そのあいだに、犯人は逃走した。
 青年は望遠レンズでその成り行きをカメラにおさめ、警察へ電話した。かけつけた警官がヘビを射殺、やっと一段落となった。
 この放送も視聴者の興味をそそった。毒が抜いてあったのかもしれないが、コブラとの対面には緊迫感がある。青年はそのフィルムを警察へ提出した。
「どうぞ、証拠としてお使い下さい。報道関係者だって、悪をかばう者ばかりじゃありませんよ」
「協力していただき、ありがたい。犯人の人相、逃走に使った車が、はっきりうつっている。かならず逮捕します」
「つかまえたら、よく調べて下さいよ。ぼくがあらかじめ犯行を知っていたかどうかを。もっとも、テレビ関係者に予告した上での強盗なんか、あるわけがありませんけどね」
 警察への信用はつけておいたほうがいい。装置の存在を気づかれるのがいちばん困るのだ。
 ライオンが競馬場へ出現する光景にもめぐりあえ、テレビで放送することができた。動物園への輸送中、車の戸が開いてライオンが逃げ出し、そばの競馬場へ入りこんだというだけのことだ。
 麻酔弾で捕えたとはいうものの、場内の混乱は大変なものだった。異変に対する大衆および馬たちの反応の記録として、貴重なものだった。
 いうまでもなく視聴者は大喜び。つぎはどんな放送があるかと、当然のことのように期待してしまうのだ。どんな人気歌手の番組も、いかによくできたドラマも、現実の突発的事件の迫力には及ばない。
 青年のほうも、そういった大衆の期待にこたえた。
「あいつはただものじゃないよ。テレパシーかなんかそなえているんだろう」
 最初のうちは反抗心を持ち、競争しようとしていた同僚たちも、いまやあきらめ、特別あつかいにしてくれるようになった。彼にとって、そのほうがありがたかった。ほっといてもらったほうが、仕事がしやすい。
 現金輸送車の踏切での事故もフィルムにおさめた。信号機の故障で、輸送車が踏切を通過した時、電車が横からぶつかり、車の後半部がこわれた。札束が飛び散り、壮観だった。数えきれぬほどの紙幣が、あたりに乱舞した。
 すぐにパトロールカーが到着したが、それまでのあいだ、青年はカメラを回しながら叫びつづけた。
「勝手に拾ってはいけませんよ。ここでフィルムにおさめています。拾った人はあとで逮捕されます……」
 たくさんの札束を目の前にしながら、手を出せない。その連中のくやしげな表情は面白かった。テレビ放送になった時も、そこが最も好評だった。視聴者、だれだって、他人がうまいことをするのを喜ぶわけがない。
「ざまあみろだ。いい時にテレビ局の人がいたものだ。もっとも、おれがあの場合にいあわせ、カメラがなかったら、けっこうねこばばしただろうなあ……」
 そんな感想をいだかせるのだった。
 
 装置はある銀行でのさわぎも教えてくれた。コンピューターが故障し、預金の払い戻しに手おくれがあった。それが何人かつづき、お客たちはいらいらしはじめる。そのうちデマが流れた。
「あの銀行には現金の用意がないらしい」
「たぶん、不良貸付けをして、こげついたのだろう」
「早く行かないと、預金がおろせなくなってしまうぞ」
 人数はしだいにふえ、デマはひろがり、大混乱となった。警官隊が整理にやってくると、それがさわぎに輪をかけた。これはただごとでない、本当に銀行があぶないらしいと。なんとかおさまったのは夜で、何時間もかかった。
 青年は電話でテレビ局の中継車を呼び、その実況を放送させた。普通の番組より、よっぽど面白い。官庁の責任者を解説に出席させたので、混乱の拡大防止の役に立った。
 テレビの信用。解説つきで中継されていることがわかると、さわぎはおさまるのだった。一方、視聴者たちにとっては、めったに見られないシーンで楽しく、また少しだが経済機構についての知識をえた。
 つぎはジェット旅客機の不時着という場面にもめぐりあえた。このころになると、局には中継車が待機しており、青年から連絡があるとすぐに出動できる態勢ができていた。
「海上におりるぞ。それまでのシーンはフィルムにおさめてある。中継車を早くここへよこしてくれ……」
 と青年は電話し、いい場所を占領しておく。だから、その局の独占中継となってしまうのだった。
 旅客機はゆっくりと海に沈む。救命胴衣をつけた乗客たちが、ゴムボートに移り、つぎつぎに岸へとたどりつく。緊張の極から安心の表情へと変わる変化まで、カメラははっきりとうつしだす。
 それだけでも人の目をひきつけるが、ほかにもさまざまな興味あるシーンがつづいた。装置の作用かもしれなかった。
 乗客のなかに、有名タレントの男女が乗っていた。芸能週刊誌の目をのがれ、外国でそっと結婚しようとしていたところだった。記事にすれば、あれこれふくらませかなりのものになるところだが、テレビはそれを一瞬のうちに報道してしまった。
 また乗客中には、大金を持って国外へ逃げようとしていた大詐欺師もあった。最後まではなさなかったカバンのなかには、高額紙幣がいっぱいつまっていた。その場でたちまち逮捕された。
 海岸に流れついた書類入れを、だれかが拾ってきた。あけてみると、外交に関する機密文書。経済援助とその代償についての、微妙な内容のものだった。それも画面を通じて、いっぺんに表ざたになってしまった。
 それは不時着さわぎが終わったあとまで問題となった。国会でそれに関する質問がなされ、政府側の説明はまことに歯切れが悪く、内閣がぐらつきはじめた。
 
 青年は自宅でテレビを見ながら、父親に言う。
「おかげで、局内でのぼくの地位はゆるぎないものになりましたが、これでいいのでしょうか」
「どういう意味だ」
「なんだかしらないけど、装置のさしずしてくれる事件が、しだいに大きくなってくるようです。はじめのうちは、花火屋の火事ぐらいだった。そんな調子でつづいてくれるものとばかり思っていました。それなのに、しだいに刺激的になってくる」
「そういえばそうかな」
「銀行でのさわぎ、いまや内閣までゆらぎはじめた。これはどういうわけでしょう。おとうさん、説明して下さい」
「わたしにもよくわからん。作った時の原理からは、予想もしなかったことだ。大衆の欲求がその装置に反応し、世の運勢を増幅しているのかもしれない」
「そんなこともあるのですか」
「ないとはいえんのだ。連続して人工降雨をやったとする。気流も変化し、おかしな状態になりかねない。つまり、異常気象が、定着してしまう。だから、最初に装置に教えこんだ、一般の運勢公式とちがったものになりかねないのだ」
「計算しなおし、新しい公式とさしかえるわけにはいかないのですか」
「そこまでは、わたしの才能ではできない。それとも、このへんで中止するか」
「それはできませんよ。最高の視聴率です。中止したら投書が大変です。いまや大衆は、これが当り前と思いこんでいるのです」
「そうだろうな」
「局の上の連中も許してくれない。みなでわたしをつかまえ、こつを聞き出そうとするでしょう。あくまで装置の秘密をしゃべらなかったら、わたしの頭の生体解剖だってやりかねない。人びとの事件への執着は、それほど恐しいものなのです。そんな目にあわされたら、まさに大事件だ。事件発生機の持主が、事件の焦点になってしまう。たまったものじゃない。おとうさん。どうしましょう」
「弱ったことだね。といって、わたしにもすぐには案が出ない。しようがない。しばらく、手かげんしながらつづけてみるんだな」
「手かげんのしようがありませんよ。装置の指示するところへ行き、カメラをむけ、ボタンを押す。そこでなにがはじまるかは、発生してみないことにはわからないのですから」
 青年は仕事をつづけなければならなかった。いまや装置に使われているような立場。
 ある国の大使館。そこへ他国の武装したスパイ団が侵入した。先日の例の外交機密文書から派生した結果だった。ビルの上から望遠レンズで、その中継放送をやる。
 見物する側にとっては、これまた面白い事件だった。大使館内でうちあいがおこなわれている。警察はそのなかへ入って行けない。ついに大使が人質にされてしまった。
 他国のスパイ団の人質になっていても、大使は大使。警察の介入は断わると言われれば、手が出せないのだ。なにやら声明書を発表しはじめたが、それを正式の外交文書とみとめるべきかどうか。
 そのうち、とらわれた大使の国の軍隊が、飛行機でやってくる。
「おくにの警察は手が出せないという。だから、われわれがやってきたのです。われわれが自国の大使館に入って、どこが悪い。強行突破。力ずくでも敵を追い出し、正常化します。おまかせ下さい。いえいえ、お礼などおっしゃるには……」
 とめるわけにもいかず、手伝うわけにもいかず、その連中は自国の大使館内に攻めこんでいった。機関銃がうなり、催涙ガスが流れる。まさに小規模な戦争だった。
 これほどスリルにみちたテレビ中継は、めったにない。だれも高みの見物。戦っているのは外国人ばかりなのだ。そのうち、かなりの負傷者が出て、占拠していたスパイ団は降伏した。
 そして、この事件は幕となった。
 しかし、以前の平穏に戻ったわけではない。この事件でショックを受け、各国の大使館が再発防止のための改造にとりかかった。へいや壁を鋼鉄製にし、銃眼をつけ、機関銃をそなえ、屋上にヘリコプターの発着所を作り、地下に食料や弾薬の貯蔵庫を作り、兵士たちをそろえ、装甲車まで用意した。
 どれも外交官の荷物として運んでくるので、とめようがない。バズーカ砲や、高射砲をそなえつけるのもあらわれ、どの大使館も軍事基地と化していった。
 異様な光景だった。だが、軍備のなんたるかを知らない子供たちは、さまざまな武器をテレビで見て面白がる。大衆がそれに気をとられているうちに、クーデターが発生した。
「このありさまはなんだ。国内に各国の軍隊が入りこんできたようなものだ。占領されたも同然。こんなみっともないことはない。理屈はどうでも、われわれは断固として、やつらを追い出さねばならない。このままでは、いつ戦争に巻きこまれるかわからない。平和のため、いまこそ実力を示す時だ……」
 支離滅裂。もっとも、クーデターとはそういうものなのだ。
 父親の科学者が、青年に言う。
「わたしもなんだか心配になってきたぞ。ただごとでない。ますます社会の運勢の気流がおかしくなってゆく。この調子だと、どうなるかわからん……」
「どうしましょう、おとうさん。しかし、この装置だけはこわしたくない。こわしたら、ぼく自身の破滅です」
 青年も、装置がなければただの人ということを知っている。
「わかっているよ。おまえを不幸な目にあわせるつもりはない」
「おねがいです。いい知恵を貸して下さい」
「どうだ、海外取材旅行を申し出てみたら」
「これだけの実績をあげてきたのです。申し出れば許可になるでしょう。なるほど、それはいいアイデアですね。大事件さわぎは国外で……」
「そういうわけだ」
「どこへ出かけたらいいでしょう」
「それは装置に聞いてみるんだな。ちょっとアンテナを大きくしてみよう。雲行きのおかしな方角がわかる……」
 父親はそれをやった。レーダーはある方角を示している。以前から、国際的にくすぶっている地方。
「……やはり、ここだ。遠い火事ほど面白いというぞ。みなも喜ぶだろう。思う存分やって、集中豪雨を見せてくれ。わたしも衛星中継で楽しませてもらうよ」
「はい、きっと期待にこたえます。おとうさん」

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