その青年は部屋のなかでねそべっていた。安っぽいアパートの、せまい一室だった。内部はそう乱雑でもなかった。なぜなら、ほとんどなにもなかったからだ。
なにもかも、売っぱらってしまった。とっておきの上着さえ売りはらい、一昨夜の夕食になってしまった。それ以来、口に入れたものは水ばかり。動くと腹がへるので、じっと横になっているのだった。
青年は、自分ほどあわれな人間はいないのではないかと考えた。現在がそうであるばかりか、これまでもずっとみじめだった。
子供のころ、彼の母は自動車事故で死んでしまった。また、彼は生まれつき頭のいいほうではなく、大学にはいるのに三年も浪人をした。やっと入学したと思ったら、父親が仕事で失敗をし、大学の月謝をアルバイトでかせがなくてはならなくなった。そのうち、過労のため父が死んだ。あとに残ったのは、借金ばかり。
それでも、なんとか大学は出たのだが、あいにくと世の中が不景気で、大変な就職難。苦心して勤めたとたん、在学中の無理がたたって病気となる……。
すべて、こんな調子だった。いまは失業中。なんとかしなければと、役所や知人やあらゆるところをたずね、あわれな話をくりかえしたが、どうにもならない。ついに、最悪の事態におちいってしまった。
見るに見かねて、アパートの主人が言った。
「どうだ、選挙演説のサクラをやらないか。勤め人ふうのかっこうで、候補者のそばで拍手をしてくれればいい。たいした金にはならないが、からだは疲れないですむ」
「ありがとうございます」
青年は引き受けたが、よく考えてみると、着ていく服がない。完全にゆきづまった。もはや、奇跡でも起こってもらう以外にはない。
青年はぼんやりと立ちあがり、なにげなく押し入れをあけた。その時、奇跡が起こった。そこにはなにひとつないはずなのに、一着の服があったのだ。いったい、なぜ……。
まるでわけがわからなかったが、ありがたいことだった。青年は着てみた。なんとか、からだに合う。さっそく部屋を出て、たのまれていたサクラの仕事をやった。
そして、いくらかの金をもらうことができた。ほっとして、彼は帰りかけた。その途中、ぐあいの悪い相手につかまった。借金をしている人だ。相手は青年を見つけ、声をかけた。
「おいおい、いい服を着て、景気がよさそうだな……」
「いや、これは……」
説明に困ってまごまごしていると、ポケットをさぐられ、せっかくもらったばかりの金を、取りあげられてしまった。
やれやれ、もとのもくあみだ。今夜も食事抜きになりそうだ。服を売りたいが、あすの仕事にさしつかえる。すきっ腹をかかえて部屋に帰り、服を押し入れにしまおうとした。
なんと彼はそこに食事を発見した。スープとパンと、甘いジュースだった。青年はそれに飛びつき、口に入れた。味がよかったことに気がついたのは、食べ終って人ごこちがついてからだった。
それから青年は、服や食事の出現した原因を考えてみようとした。さっぱり、わからない。いままでがあまりにあわれだったので、神が助けてくれたのかもしれないと思った。ほかに考えようがない。
つぎの日の朝、青年が目ざめると、頭痛がしていた。かぜをひいたらしい。薬を買う金はなく、仕事には行かねばならない。彼はひそかな期待とともに、押し入れをあけてみた。
そこには、薬の錠剤らしきものがあった。飲んでみると、頭痛はすぐに消え、かぜはなおり、出かけることができた。
なぜ押し入れの中に、こうもつごうよく、さまざまな品があらわれるのだろう。原因はわからないが、幸運であることはまちがいなかった。青年はこの秘密を、だれにも話さないようにしようと思った。そっとしておけば、もっとすばらしい品が出てくるかもしれない。
そのつぎの朝、彼は胸をおどらせながら、押し入れをあけた。こんどはそこに、大きな箱があった。一辺が一メートルぐらいある。なにがはいっているのだろうか。あけてみると、金属製のものと、説明書のようなものがはいっていた。説明書といっても字は書いてなく、組み立て方が図示してあっただけだ。
青年は部屋のドアにかぎをかけ、好奇心とともにその作業にとりかかった。仕事が進むにつれ、ひとつのロボットができあがった。手足は細く、なかなかスマートな外観だった。
依然として出現の理由はわからないが、いままでの例から考えて、いい贈り物にちがいない。青年は、話しかけてみた。
「どこからやってきたのだ」
「未来からです」
とロボットは答えた。それによって、先日からの一連の現象が少し理解できた。すべての品は、必要を見こしたような出現のしかたをしていたようだ。
「なにをしにやってきたのだ。ぼくの手伝いをするために、送られてきたのだろうな。ありがたいことだ。さて、なにをまずたのむとするかな」
「いいえ、あなたをつかまえにきたのです」
ロボットはこう言い、そばにあったヒモで、|呆《ぼう》|然《ぜん》としている青年をしばりあげてしまった。反抗しようにも、いやに力が強かった。青年は、やっと言った。
「こんなことをされる覚えはない。なぜ、つかまえられなければならないのだ」
「あなたが必要だからです。それが理由であり、わたしはそのために派遣されたのです」
「さっぱりわからん。あの、服や食事が出現したのはなぜだ」
「一種のワナです。むかしスズメをつかまえるのに、えさを点々と並べ、スズメが安心して進んでくると、さっとカゴをかぶせる方法がありました。それを時間的に変えたものです。あなたはまんまとひっかかり、わたしを組み立ててしまった。もう逃げられません」
「どうやって、未来に連れてゆくのだ」
「まもなく箱が現れます。それにはいると、自動的に未来へ行けるのです」
どうやら本当のようだった。あわれきわまる生活の連続で、なごり惜しい現代ではない。とはいうものの、知りあいのひとりもいない時代へ行くとなると、決心をつけかねた。
「どうだろう。二日ほど考えさせてくれ。見おさめのために見物しておきたいし、あいさつ回りもしたい」
声が大きくなる青年の口を、ロボットは押さえながら言いわたした。
「だめです。あなたは、あしたの夜、足を踏みはずして川に落ち、おぼれ死ぬ運命になっているのです。そんなことになるより、このまま未来へ行ったほうがいいはずです」
「そうきまっているのか」
「ええ。だからこそ、あなたが目をつけられたのです。あなたをさらったところで、歴史が大きく変わることもありませんからね。さあ、出かけましょう」
押し入れのなかに、金属製の箱があらわれた。ロボットはそのなかに青年を押しこみ、自分もはいりながら言った。
「この箱が突然に出現したら、あなたは警戒して、はいろうとはしなかったでしょう。だから、わたしの出現も必要だったのです。また、わたしが完成した姿であらわれ、他の人に見られたら、ひとさわぎです。部品で送られれば、あなたはひそかに組み立ててくれるはずでした」
「まったく、うまい作戦だな」
青年は覚悟をきめてうなずいた。どういうしかけになっているのかは不明だが、しばらく軽い震動がつづいた。時間の流れのなかを飛んでいるのだろう。
箱から出ると、そこは未来だった。広いホールで、床も天井も美しいプラスチック様の物質でできていた。窓から外を見ると、整然とビルが並び、空を精巧で小型な乗り物がたくさん飛び回っていた。なにもかも豊かな世界のようだった。
やがて、上品な人物がやってきた。ゆるやかな服を着ている。あくせく労働のたぐいをしなくてもいいのだろう。その人物は、青年のヒモをほどきながら言った。
「よくおいでくださいました。事情はロボットからお聞きでしょうが、わたしたちはあなたを、喜んでお迎えいたします」
「なんで歓迎されるのかわからない。ぼくは、なんの才能もない、役にたたない人間ですよ」
「そんなことは、ありません。テレビに出演していただければ、いいのです。そして、あわれな話をしてください。わたしたちは豊かななかで暮らしているので、そのたぐいの生活を知らないのです」
青年はしかたなく承知した。かつて、金を借りるために、知人たちにむかって何度もしゃべったことのある、あわれな身上話を一席やった。はじめは勝手がちがったが、しゃべり出すと、なれているのでしだいに調子が出てきた。
その反響は、もちろん大変なものだった。だれもかれも、あまりの面白さに大喜びし、青年はそれ以来、何回もしゃべらされることになってしまった。