「ボス、このところ、なんだか元気がありませんね。心配です。どうかなさったのですか」
子分のひとりが言った。ボスと呼ばれたのは、中年の男。すごみのある顔つきで、鋭い目をしている。ある犯罪組織の首領なのだ。
しかし、このごろずっと、その肩書きにふさわしくなく、豪華な机にむかってじっとしている日が多い。子分が事情を聞きたくなるのも、もっともだ。ボスは答えた。
「からだのぐあいは、なんともない。わたしはある問題について、考えつづけているのだ」
「これは、驚きました。ボスが物思いにふけるとは……」
子分がふしぎがるのも当然。このボス、若いころから、なにかというと無茶な暴力をふるって名をあげ、顔を売り、強引な実行力でなわばりをひろげ、今日の大きな犯罪組織を作りあげたのだ。思慮ぶかいとか、センチメンタルとは、およそかけはなれた性格の主。
ボスは言う。
「なにも、変な顔をすることはない。つぎの計画を、ねっているのだ」
「そうでしたか。安心しました。ボスがそんなに熱心に考えているのですから、きっと大仕事なんでしょうね」
「そうだ。しかし、ただの大仕事では、面白くない。回想してみると、わたしはこれまで、悪事悪徳の限りをつくしてきた。しかし、まだやってない悪があるのではないかと、思えてきたのだ」
「ははあ……」
「それをやりたいのだ。なにか、あっというような、ものすごく派手で、悪の歴史に残るようなやつをだ……」
悪の魅力にとりつかれたような感じだ。たいていのことをやりつくした悪党のボスとなると、そんな心境になるのかもしれない。大物への尊敬の念のこもった口調で、子分は指を折って数えながら言った。
「傷害、恐喝、強盗のたぐいは、われわれ何度もやりましたね」
「とっくのむかしにやったし、何回となくやり、いずれも成功した。なわばり争いにからんで、殺人もやった。また、保険金を取るための、放火もやった。詐欺などは、数えきれないほどだ」
ぶっそうな言葉がぽんぽん出るが、それを話すボスの顔にはあきあきしたという表情がある。悪事の中毒症状で、まともなことでは満足できないわけであろう。
子分は思いつくまま、数えあげた。
「文書偽造もやりましたし、麻薬の密売は現在もつづいて、大きな収入源となっている。贈賄もやったし、脱税はしょっちゅうだ。となると、困りましたな、まだ、しのこしている犯罪の種類となると……」
「選挙運動の買収も大がかりにやったし、外国人のスパイの手先にもなった。だが、まだやってない悪事があるような、気がしてならない。うんと非道徳的で、刺激的で、人間性を大きくはずれたようなやつだ。悪魔というものが存在し、それを教えてくれるなら、魂を売り渡していいような気持ちだ。考えてみてくれ」
「はあ……」
しかし、悪への才能も情熱もはるかに劣る子分たちに、そんなことの思いつけるわけがなかった。ボスひとり、腕を組んで考えつづけることになる。
しかし、やがてボスは、うれしさにみちた声で叫んだ。
「あった。やっと思いついたぞ」
「本当ですか。それはよかったですね。われわれはボスのためなら、いかなることでも命をかけて働きます。みなが今日あるのは、ボスのおかげなのですから。命令して下さい。どんな仕事なのですか」
身を乗り出す子分たちを制し、ボスは言った。目には狂的な光がこもり、口もとには楽しげな笑いがただよっている。
「まあ、そうあわてるな。これまでにやったことのない、最初にして最高の悪だ。だから、慎重に計画の打ち合わせをやらなければならない」
「で、どうしましょう」
「あすの夕方、町はずれの、いつもの倉庫に集まってくれ。組織の者の全員を、呼び集めるのだ。情報のもれないよう、気をつけてやってくれ」
「はい。かり集めます。逃げ腰になるやつがいても、おどかしてでも連れてきます……」
翌日の夕方になった。子分たちは指示された場所に、ひそかに集まった。しかし、時刻がすぎても、ボスはなかなか姿を見せない。
「どうしたのだろう。だれかが密告し、ボスがつかまったのだろうか」
「われわれのなかに、そんなやつはいないさ。もうすぐ現れるだろう」
「しかし、こんどは、どんな悪事なのだろうか。きっと、われわれの予想もしたことのない大計画であることは、まちがいない」
緊張と期待にふるえながら、小声で話しあって待っていると、そとで声がした。
「警察の者だ。まわりは完全に包囲したぞ。みな、おとなしく出てくるのだ。抵抗してもむだだぞ」
のぞいてみると、警官がとりまいている。とても逃げられそうにない。また、たよりにするボスが、いないのだ。言う通りに、せざるをえない。みな逮捕されてしまった。
警察の留置場に押し込められていると、あとからボスもほうりこまれた。それを迎えて子分たちは口々に聞く。
「どうして、こんなことになったのでしょう。あの倉庫に集合したのを、ほかに、だれかが知っているはずはない。それに、まだなにもしていないのだから、逮捕される理由もないはずなのに」
ふしぎがる子分たちに、ボスは笑いながら言った。
「じつは、わたしが密告したのだ。わたしが警察へ自首し、子分たちの悪事のすべてを知っていて、証拠も持っている、証人にもなりますと言ったのだ」
「それで、われわれがつかまったというのですか。あんまりだ。ひどい……」
子分たちは泣き、うらみごとを言い、絶望的な声をあげた。ボスはにやにやしながら言う。
「わたしの思いついた、最大の悪というのは、なんだったと思う。これがそうだ。つまり、わたしを信頼しきっている連中を、なさけ容赦もなく裏切って見捨てるという行為だ。こんなに非人間的で、刺激的な悪はない……」
子分たちは、こみあげる怒りを押さえきれずに言った。
「こうなったら、腹の虫がおさまらない。ここで、みなであなたを、なぶり殺しにしてしまう。あとがどうなろうと知るものか。さあ、覚悟しなさい」
だが、ボスはさほどあわてずに答える。
「まあ、待て。いまのは冗談だ……」
「冗談にも、ほどがあります。これで、みんな刑務所に送られれば、それで終りじゃないですか」
「いやいや、最高の悪事というのは、それからはじまるのだ。まだやってない悪事に、集団脱獄の残っているのに気がついたのだ。それを、やろうというわけだ。しかも、どうせやるのだから、大きくやろう。刑務所に入っている悪人を、みんな逃がしてしまおうじゃないか。こんなすごい犯罪はないぞ。われわれなら、できるはずだ」
子分たちはため息をつきながら、敬服の目で言う。
「なるほど。さすがは、われわれのボスだ……」