むかし、むかし、あるところに、鬼が住んでいた。
そもそも、鬼はいったい、どこに住んでいたのだろうか。雲にかすむ遠い山脈をいくつも越えた、名もしれぬ山のほらあなのなかで「どうして人間たちから仲間はずれにされるのだろう」と、冷たく降りそそぐ雨のしずくに、ぼんやりと目をむけて、孤独の自分を見つめつづけていたのだろうか。
だれだって物事をこんな風にロマンチックに考えたいが、本当のところ、鬼たちはもっと景気よく暮らしていた。鬼が存在するからには、その両親だってあるはずだし、兄弟などの家族もたぶんいる。そう、鬼たちも、大ぜいで社会を作って暮らしていた。
鬼の国は暖かい南の、まわりをまっ青な海にとりかこまれた島にあった。こんもりとした古い松の木は、海岸のがけの上から白い波がしらにむかって手をさしのべ、その影の下では大小の魚が、虹のような海藻のあいだを群れていた。
島の中ほどの畠では豊作がつづき、幸いなことに、いろいろな鉱物もとれた。新鮮な空気と輝やかしい日光のため、服装の心配はなく、慈悲ぶかい王様のもと、鬼の国には平和な年月がつづいていた。
しかし、自然のめぐみと慈悲深い王だけで、平和な社会が保てるものではない。平和には、悪の抹殺が必要だった。鬼の社会にだって、社会があるからには秩序があり、秩序を乱す者は、制裁をうけなければならない。
そして、ちょっとだけ、その刑が重かった。窃盗、強盗、傷害、殺人などの反社会的な罪をおかした鬼は、大衆の要求で、王の手により首をはねられた。なかには、
「なにも、殺さなくても……」
と言う鬼もたまにはいたが、大部分は、
「税金の無駄さ。犯罪者を、われわれの税金で養えとでも言うのかい」
といった、しごく健全な意見だった。
いつでも、どの国でも、王様ぐらい一見おもしろそうで、その実こんなつまらない商売も少ないが、鬼の国でも同じといえた。
いかに国民のためとはいえ、処刑の役目を押しつけられては、たまったものではない。そこで、島に月のない夜が訪れると、王は処刑を待つ鬼たちの牢に、静かに近よる。
「ああ、わたしの不徳のいたすところ、おまえたちに罪をおかさせてしまった。なんとか助けてやりたいとは思うが、ここは、大衆の意見の強い国だ。わたしにできることは、これぐらいしかない。もう二度と戻ってくるなよ」
と錠をあけ、岩かげにかくしておいた小舟に案内する。
「そんなことをしては、王様があとで……」
と言いかけるのにむかって、王はにっこり笑う。
「その心配はいらない。岬のさきにある墓地に、あとで、おまえたちの人数だけ棒を立てておくからね」
「なんという、ご仁慈」
「お礼の申しようも……」
小舟の上の犯罪者の鬼たちは、ひれ伏しながら涙を流し、星影だけの暗い海の上を、海流に乗って遠く流されていった。
「おおい、まじめになるんだよ」
王は磯の香のたちこめる岩の上に立ち、せのびをし、ひとりでいつまでも手を振っていた。ヒューマニズムに加え、センチメンタリズムとナルシシズムをかねそなえた王は、
「これこそ、まさに王者の娯楽」
と、ぞくぞく身ぶるいしながら悦に入り、小舟のかくれ去った水平線にむかって、いつまでも手を振りつづけ、無上の快感を味わうのだった。
「なんという、ご仁慈」
小舟の上でも、鬼のひとりはまだ手を合わせていたが、ほかの鬼に背中をこづかれた。
「おい、もういいかげんで、やめたらどうだ。いつまで、そんなかっこうでいるつもりだ」
「ああ、もう王のお姿は見えないのか。助けていただいて、本当にありがたいことだな」
「なんだ、ありがたいだと。ちっとも、ありがたいことなんか、ありはしない。これからわれわれは、どうなると思う。見知らぬさびしい土地に流れついて、じわじわと野たれ死にするまで、なにをしたらいいのだ。半殺しとはこのことだ。死刑よりもっとひどい。あの王はわれわれが自殺できないことをちゃんと見抜いて、こんな目にあわせたにちがいない。あの、虫も殺さぬ笑い顔を見たか。あれこそ、サジストの人相だ。ばっさり死刑にするのでは物足りなくて、こんなことを思いついたにちがいない。時どき、野たれ死にするわれわれのことを想像しながら、のんびりと酒の味でも楽しもうというところだろう」
「なんという、ご非道」
「そうさ。しかえしをしてやりたいが、島に戻るわけにもいかない。こうなれば、王のもくろみに反して、したい放題のことをやって、うっぷんをはらすことにしようじゃないか」
「そうだ。どうせおいらは、きらわれ者だ」
「ほら、陸が見えた。元気を出せ、きっと酒も女もあるだろう」
島から流されてきた鬼たちは、いずれも陸にたどりつくまでに、このような決意をみごとにかため終り、あとは上陸して、それを実行にうつすだけとなる。
鬼たちは、まず馬を盗んだ。悪とスピードが結びつくと、いつの世でも、手のつけられない状態がもちあがる。
馬に乗った鬼たちは隊を組み、平野だろうが山だろうが、むやみに走りまわり、奇声をあげながら矢をうちまくる。
馬に荷車をひかせて、のんびりと交易の旅をしていた人びとは、まっさきにやられた。ひそかに山かげの道を通ろうとしても、先まわりをしていた鬼が、短刀をふりかざして、木や岩の上から飛びかかってくる。女たちはさらわれ、それどころか、時には村ごと、火をかけられて焼き払われた。
このように、したいことをしつづけた鬼たちも、心がまぎれるのは全速力で馬を走らせ、風が耳のわきをびゅんびゅん通りすぎているあいだだけで、あとは、酒を飲もうが女を抱こうが、歓楽のむなしさが身にしみるばかり。
そんな時には、きまって、王のにやにやした顔が目にうかぶ。このたまらない幻影を打ち払うには、夜が明けるのを待って、隊を組み、馬をとばし、奇声をあげながら矢をうちまくることを、くり返す以外にはないのだった。
かなわないのは村人たち、海流のかげんで、どこからともなく、つぎつぎと鬼が流れつく。不運といってあきらめるには、被害がひどすぎた。やつあたりしようにも、そんな対象はなく、あっちへ逃げ、こっちにかくれ、心の安まる時は一刻もないようになった。
なかには、ちょっと小才がきいて鬼の集まるところへ出かけ、
「鬼さん、仲間に入れて下さいませんか。一生懸命に働きますから、きっとお役に立ちますよ。えへへ」
と、ねこなで声で、話しかけてみたやつもあった。だが、鬼たちは
「おまえらなんかに、われわれの心の苦しみが、わかるものか。なにが、えへへだ」
と、どなり、酒を飲み、女を抱きながら、歌のようなものを大声でわめいた。えへへと言った男は、たちまち笑いをやめて顔をひきつらせ、とんで帰った。
「なるほど、鬼がああいうものだとは知らなかった。酒を飲み、女を抱くという、楽しくてしようがないはずのことをやりながら、心が苦しいとは、なんのことだ。まったく、世の中でなにが恐ろしいといって、想像もつかない考え方というもの以上に、こわいものはない」
と、つぶやきながら考えをまとめ、もっともらしい顔つきで、村人たちの集まりにでかけて、呼びかけた。
「さあ、なんとか、みなで力をあわせ、鬼どもを追い払うための戦いをはじめよう」
だが、だれも相手にしてくれないばかりか、反対にどやされた。
「おい、いまごろ、なにをいうんだ。鬼はウサギとはちがうぞ。少しばかり頭がいい人間と思っていたのに、どうしたのだ。正気なのだったら、まともな案をしゃべってくれ。こういう重大な時に、くだらないことを言って人をまどわすと、ただではおかないぜ」
あわれな村人たちは、あわれな知恵をしぼり、あわれな案を立ててやってみた。いわく、おそなえもの。いわく、人身ごくう。いわく、まじない。だが、そんなことで、鬼たちの心がやわらぐものではなかった。
「なんだ、こんな物。ああ、だれもおれたちの心をわかってくれない。ちくしょう、王め、島の善良でご立派なやつらめ」
と、ますます酒を飲み、馬のスピードをあげ、矢を乱射し、あばれ狂った。
悲惨をきわめた村人たちは、何人かが集まると、
「おれの方が不幸だ」
と、不幸の度合いをくらべあい、一人の時は
「なんという絶望の時代に、生まれあわせたものだろう」
と深刻な顔で、天を仰いでなげくばかり。食料も乏しくなり、食べ物といったら鬼が見むきもしないキビぐらいしかなく、それだって食うや食わず、どんな年寄りだって、生きるためにはなにか働かなければならなかった。
もはや、合理主義ではまにあわない。村人たちは天を仰いでいるうちに、平和な時代には忘れはてていた神のことを思い出し、だれもが心の底から神に祈り、救い主を求めた。
祈らない者にとっては無縁の神も、こう大ぜいに祈られると、だまっていられなくなるのか、ついに奇跡はもたらされた。
ひとり息子を鬼に殺され、柴刈りをしながら、ほそぼそと暮らしていたさびしい老夫婦。そこを経由してもたらされたこの出来事については、いまさら、あらためて述べるまでもない。
成長したこの若者は、あたりから鬼を追い払った。さんざんな目にあっていた村人たちが、いざ勢いをもりかえしてみると、復讐をしたくなったのも無理のない心境だった。
つかまえた鬼に本拠の島を白状させて、攻撃こそ最良の防御なり、といった理屈をつけ、その若者をおだてたり、泣きついたりして説きふせ、とうとううまく送り出した。
この世紀の遠征は、みごとに成功をおさめ、宝を山とつんだ車が村にもどった。
「ほら、あの金ぴかの品物」
「あれはサンゴかな」
「ねえ、あの錦の美しいこと」
「ばんざい」
よろこびの声はあたりにどよめき、なにもかも解決、めでたし、めでたし。
「復讐はいけない」
と言っていたひねくれ者も、これを眺めては、
「ねえ、みんなが被害者なのだから、公平に分けることにしようよ」
と、しぜんに顔がほころびた。
一方、これにひきかえ、鬼たちの島の不運は、いいようがなかった。青空、白い雲、潮風を受けて、犯罪はふえず、平和と繁栄に酔っていた上に、とつぜん襲いかかった無情な嵐。その嵐は、帆をかけ海流にさからって進む一そうの舟となって、近づいてきたというわけだった。
「あの舟はなんだろう」
「漂流しているにちがいない」
「いや、この島と仲よくつき合おうとして、やってきたのだ」
「いずれにしろ、あたたかく迎える用意をしよう」
しかし、その好意が裏切られるまではすぐだった。
舟からとび出した、えたいの知れぬ若造の指揮のもとに、暴れまわる畜生たち。えさに釣られて仕込まれてでもいるのだろうか、うなり声とともに、おそろしい歯をむき出して足にかみつき、きたならしい爪で顔をひっかく。なかでもとくに残酷だったのは、鋭い口ばしで目玉をつつき出す鳥だった。
驚きながらも、なにか話しかけようとした王の首を刀ではねた若造は、命ごいする鬼たちにむかって、
「改心しろ」
と、ふんぞり返り、宝物のありったけを強奪した。
「なにを改心しろというのだろう。われわれが盗んできたとでも、考えているのだろうか。あの品物は、この島でなければ作れないものだぐらい、見ただけでもわかるはずだ」
小声でつぶやく者はあっても、血に狂った若造に、面とむかって言える鬼はなかった。
引きあげていった若造たちのあと、いつもと変わらぬ南の明るい太陽が、惨殺されたたくさんの死体を照らしていた。
あまりの変わりように、生き残った鬼たちはすべて気抜けし、悲しみにひたることもできなかった。
「どういうことだろう」
「とても信じられない」
と相手かまわず話しかけ、事態をなんとか理解しようとするのが、せいいっぱい。だが、日がたつにつれ、少しずつ考えをとりもどした。
「あまりにも長く平穏になれすぎ、世の中には大きな悪のあることを忘れていた。これはそれに対する、いましめなのだ」
と反省したり、
「早く再建し、もう二度とこんな目に会わないように、心がけよう」
と、しごくまともなことを、まじめな顔で言いあった。
さらに時がたつにつれ、この悲惨な事件の思い出は、いくらか薄れていった。しかし、決して忘れられず、かえって、ますます思い出されるのは、持ち去られた宝のことだった。
「死んだ連中はもう成仏したころだが、宝物をとられっぱなしという話はない」
「そうだ。われわれや死んだ連中は、あきらめればすむが、これから育ってくる子供たちが、かわいそうだ」
「悪をのさばらしておくのも、悪だ」
意見は一致しているのだから、ここでも理屈は、どうにでもついた。
「まあ、早まるな。相手は手ごわい。へたに乗り込むと、かえり討ちにされる。まず、ようすをさぐってからだ」
選び出された機敏な鬼の若者は、舟をあやつって海にのり出した。
「しっかりたのむよ」
みなの期待をうけた若者は、陸にたどりつき、かたきのすみかを探って、くわしい報告を島にもたらした。
「やっと見つけましたが、いやもう、大変なやつです。持ち帰った宝は、ほとんど自分がひとりじめにし、大きな邸のなかで美女をはべらし、朝から晩まで酒びたりの勝手きまま。育ててくれた老夫婦が生きているうちは、まだしもひかえ目だったらしいが、いまでは、だれも手がつけられない。でっぷりふとって赤ら顔。いやらしい目つきで、なにもかも言語道断です。あんなやつを生かしておいては、天が許しません。早くやっつけましょう」
鬼の若者は、正義感に身をふるわせて憤慨した。それを聞いて、老人の鬼が意見をのべた。
「ふとったとは好都合だ。島から持ち去ったカクレミノも、もう着られまい。むかしほど強くはなさそうだが、充分に準備をして行くのだぞ」
作戦が立てられて、島の洞穴のなかで秘薬が作られた。この作り方は、むかしから口伝されていたので、あのいまわしい強奪の時にも気づかれないで、難をまぬがれていた。
「まず、宝物をかえせと交渉して、応じない時に、その薬を使え。にくむべきはあの男ひとり、宝物さえかえれば、それでいい。ほかの村人たちには、手を出すなよ」
「わかりました」
鬼の一隊は、薬をたずさえて島を出た。
「やい、宝物をかえせ」
美女のひざでうたた寝をしているところを、たたきおこす。
「なんだと」
と、うす目を開けるのにむかって、
「おとなしく宝物をかえせば、許してやる」
と言い渡した。
「やあ、なんだ鬼か。みつぎものでも持ってきたのかと思ったら、なにを言う。すると、前に改心すると言ったのは、でたらめだったのか。まったく、図々しいやつらだ。盗人たけだけしいとは、このことだな」
酒でいくらかぼんやりした頭でも、鬼を見ると、青年時代を思い出し、元気が戻った。これを聞いた鬼たちは、驚いた。
「その言葉を、こいつから聞こうとは。宝をひとりじめにして、酒と女か。泥棒め」
「やい、おれがなにを盗んだ。この宝は、お礼に村人たちからもらったものだ。あれだけ働いたのだから、一生遊んで暮らせるだけのものをもらっても、文句はあるまい。酒の好きなのは体質で、金があるから、たくさん飲めるまでだ。女もみな、むこうから寄ってきた。これも体質だから、仕方がない。もっとも、なかには金めあてのもいるだろうがね。あはは。まあきみたち、そうすごまずにおとなしくしていれば、なにかめぐんでやらないこともない。どうだ、すわって一杯飲まんか」
酒くさい息を吐く。鬼たちは、かっとなる。
「これは驚いた。反省の色が、少しもない」
「もう、これ以上がまんはできぬ」
鬼のふりかざした壺から白い液が、さっととび散り、ふとったからだでは、身をかわすひまもなかった。
「反省とは、なんのことだ」
と身を起こしかけた時は、もう手おくれ。秘薬のききめで、からだが少しずつちぢみはじめていた。鬼たちは、あわてふためく美女たちをなだめた。
「さわがなくてもいい。宝物さえかえしてもらえば、乱暴はしない」
鬼たちは、とりかえした宝のなかから代金を払って車を買い、それに宝物をつんだ。
「そろそろ、ひきあげるか」
「正義の勝利は、気持がいいものだ」
「そうそう、やつはどうなった」
「みろ、こんなに豆粒のように縮んだぞ。どうしてくれよう」
「川へでも投げ込め」
鬼のひとりは、そばに生えていた桃の木から、実をひとつもいだ。
「このなかに押し込んで流すか」
「それもいいだろう」
桃の実に木の枝で小さな穴をあけ、そのなかに詰めこんだ。
「おととい来い」
桃の実は二、三べん浮き沈みして、川をゆらゆら流れはじめたが、鬼たちはそんなものには目もくれず、島の歓呼と、これからふたたび築かれる平和と繁栄を思い浮かべながら、うきうきと車をひきはじめた。
すべては灰色の時間の霧のかなたに薄れ去った、むかしの話。だが、冬の夜に語り伝えられるうちに、いまではずいぶん変わってきている。
それでも、時たま子供たちは、この物語りの真相を知ろうとして、鬼ごっこという遊びを試みる。するときまって、
「逃げる方が鬼なの、追っかける方が鬼なの」
と、だれかが言い出し、そこでみな、ちょっととまどうのだ。