エヌ氏は、金融業者から金を借りていた。そして、返済の期日となった。当然のことながら、金融業者がやってきて言う。中年の男だ。
「ひとつ、お約束どおり、お貸ししてあるお金を、かえしていただきましょう」
エヌ氏は答えた。
「もちろん、おかえしいたします。しかし、元金だけですよ」
「利息のほうは、どうなのです。ははあ、しばらく待ってほしいと、おっしゃるわけですね」
「しばらくどころか、永久に払わないつもりです。払うべきでないと思うからです。覚悟して下さい」
これには、相手も驚いた。
「ご冗談は困ります。わたしはあなたを信用して、お金をお貸しした。払っていただかなければ、困りますよ。これがわたしの商売なんですから。世の中のきまりです」
エヌ氏は反論した。
「いったい、お金を借りたら、なぜ、利息というものを、払わなければならないのです。その説明をして下さい」
「ふざけるのは、いいかげんになさって下さい。こっちは、いそがしいんです」
「ふざけてはいません。まじめです」
とエヌ氏が言うと、金融業者は顔をしかめた。
「変なことに、なってきたな。利息をまけてくれと泣きついてくる人には、会ったことがある。払えない勝手にしろと、いなおる人も、たまにはある。しかし、こんなふうに質問されたのは、はじめてだ。頭がおかしいのじゃないのかな、……なぜっておっしゃるが、金を借りたら利息を払うものと、きまっているじゃありませんか」
「だれが、どういう理由できめたのです。それを教えて下さい。さあ……」
「弱ったな。そこまでは知りません、しかし、あなたも利息を払うことを承知し、この通り約束なさったじゃありませんか」
金融業者は、カバンから証書を出した。手渡すと破かれるかもしれないと警戒し、少しはなれたところで、ひらひらさせた。しかし、エヌ氏はそれを眺めながら言った。
「その時は、わたしが無知だったからです。だが、いまは事情がちがいます。わたしは、めざめた。利息の不当なことを、さとったのです。だから、絶対に払いません」
「むちゃな。理屈もなにも、ないじゃありませんか。利息を取るのは、法律もみとめているんですよ」
「そもそも、そんな法律がいけないのです。金が人間を支配するなど、許しがたいことだ。そちらが法律に訴えるのなら、こちらもあくまで争う。最高裁判所まで、がんばる。そこでも負けたら、一大国民運動をおこし、法律を変えさせる。海外にも呼びかけ、全人類の良識に救いを求める。世界をゆりうごかし、新しい世紀への大行進を展開する。これこそ、いまやわたしの信念であり、信仰でもあります」
「やれやれ、とんでもないやつに、金を貸してしまったものだ。お話にならない。まあ、また日をあらためて、まいります。頭をひやしておいて下さい……」
金融業者はあきれ顔で帰っていった。
しばらくすると、ひとりの青年が、エヌ氏を訪れてきた。
「うわさによると、あなたは利息は不当だとの新説を、おたてになったそうで……」
「もう評判になりましたか。そうなんですよ。よく来てくれました、お話ししましょう。そもそも……」
エヌ氏はとくいになり、また、怪しげな説をふりまわした。しかし、青年は目を輝やかせながら熱心に耳を傾け、うなずきをくりかえした。
「ああ、なんとみごとな、お説でしょう。すばらしい。利息というものをはじめて発明した人も偉大だが、そのご、長いあいだ世の中を支配したその常識をくつがえしたあなたは、もっと偉大です。天才と言うべきか、革命者と言うべきか、新しい教祖と言うべきか、ほめる言葉に迷ってしまいます。必ず歴史に残るでしょう」
エヌ氏は喜んだ。
「賛成していただけて、うれしい」
「ぼくに、ぜひお手伝いをさせて下さい。あなたのお説を、さらに完全なものにして、相手をやっつけてあげます。ぼくにやらせて下さい。その金融業者の野郎を、あしたでも呼んでおいて下さい」
その作戦どおり、つぎの日、金融業者がやってきた。エヌ氏は一室に案内し、あとは青年にまかせて相手をさせた。
室内では議論が展開されている。青年の大きな声が、エヌ氏の耳にも聞こえてくる。
「こんな簡単なことが、わからないのか」とか「哲学的神学的に分析すれば」とか「この、もうろくやろう」とか「時間と物質との関連を、四次元的に図解すれば」とか叫んでいる。
エヌ氏は、感心した。最近の若者のなかにも、優秀なやつがいる。まるで、一心太助とアインシュタインを、足して二で割ったようではないか。
数時間ほどの激論のあと、金融業者はすごすごと帰っていった。青年はエヌ氏に報告する。
「この通りです。元金だけで承知させました」
そして、証書を見せる。エヌ氏の借用証に、まちがいない。
「本当に承知したのか」
「ええ、そうですよ。反論の余地を与えず、言い負かしました。相手のくやしそうな顔といったら……」
「そうだろう、そうだろう」
エヌ氏もまた、うれしそうだった。だが、青年は、証書を受け取ろうと、手を出したエヌ氏に言った。
「しかし、ぼくへのお礼を払っていただかないと、この証書はお渡しできません。きょうの議論にそなえて、昨夜は眠らずに勉強しました。また、きょうの応対だって、緊張のしつづけで、頭も使いました。これは、正当な働きでしょう。報酬が必要です」
「それはそうだ。払うとも。こういうことに対しては、払わなくてはいかん。わたしも、いい気分だ。気前よく、払わせてもらうよ」
エヌ氏はかなりの札束を出し、青年に渡した。
青年は家に帰って父親に言う。
「おとうさん、うまくいきましたよ。この通りです。入金して下さい」
父親である金融業者は、目を細めて言う。
「おまえの才能には、舌を巻いたよ。わしのあととりとして、立派なものだ。もうろくよばわりされた時など、金のためにはこんな作戦をも思いつくおまえに、心から敬服した。おまえの代になったら、この店は何十倍にも発展することだろう」