その大杉という男は、四十歳ちょっとの年齢。彼は医師であり、医院を経営していた。それは商店街と住宅地との境のような場所にあり、いろいろな患者がやってきて、けっこう繁盛していた。
午前中は医院にやってくる患者を診察し、午後は往診に出かけ、夕方はまた医院で患者を相手にする。まあ、医師として普通の日常だった。往診の仕事のない日の午後は、二階の自分の部屋で書類の整理をしたり、医学雑誌を読んだりする。
その二階の部屋の窓からの眺めは、あまりいいとはいえなかった。商店街が見えればいちおうはなやかなのだが、そのひとつ裏通りとなると、なんの特徴もない。大杉は、そとの景色に関心を抱いたことがなかった。
しかし、その日、彼はぼんやりとそとを眺め、質屋の看板が出ている店のあることに気がついた。
「あんなところに、質屋があったんだな。いままで気にとめたこともなかったが、ずっと前からあったのだろうか……」
大杉の医院は経営順調で、金に困ったこともない。したがって、手軽な金融機関である質屋に、金を借りにゆく必要はなかった。また、質屋とはあまり目立たないように商売をするものだし、そう大きな店でもなかった。そんなわけで、いままで大杉は、見すごしていたのだろう。
なんとなく眺めていると、包みをかかえた三十歳ぐらいの男が歩いてきて、その質屋の前で足をとめた。そして、あたりを見まわし、すばやくなかへはいっていった。金に困っていることを他人に知られるのは、いやなものだ。その気持ちが、あんな動作をとらせるわけだろうな。また、質屋に出入りする人をじろじろ見つめるのも、失礼なことだ。
大杉は、自分も失礼な人間ということになるのだろうなと思いながらも、退屈なので、あれこれと想像をめぐらせた。いまの人、|質《しち》|草《ぐさ》になにを持っていったのだろう。小型テレビだろうか、カメラだろうか。金を借りて、なんに使うのだろう。バーへの支払いか、旅行の費用かなにかかな。このごろは昔とちがって、生活費のやりくりのために借金する人は、少ないんじゃないかな……。
質屋にはいっていった男は、なかなか出てこなかった。ひとのことなどどうでもいいけど、金額で、もめているのかな、あそこの主人と、雑談でもはじめたのだろうか。そんなことまで想像しかけた時、やっと出てきた。さきほどの包みは、かかえていない。うまく金を借りたらしいな。
ひとごとながら大杉はほっとしたが、同時に彼は、ふと変な感じがした。なぜそんな感じがしたのか、最初は自分でもわからなかった。しかし、やがて気がつく。いま出てきた人が、さっきはいっていったのと別人ではないかと思えたのだ。服装は同じようだが、どこかちがう。歩き方がちがうようだ。
といっても、さっき、さほど注意していたわけではないので、断言はできなかった。いまさら確認のしようもない。また人間というものは、金を借りる前とあとでは、足どりもちがうだろう。大杉の頭には、もやもやしたものがひっかかり、気になる感じが残った。
そんなことは、すぐ忘れてしまうのが普通だが、またつぎの日に、同じ窓からそとを眺めると、しぜんと思い出してしまうというのも、普通よくあることだ。二階の室でひまになると、大杉の目は質屋へのお客をさがし求めてしまう。もちろん、電話があったり急患があったりすれば、本職第一で、質屋のことなどどうでもよくなる。だから、なかなか結論はでなかった。
しかし、何日かたつにつれ、店にはいっていったのとちがう人が出てくるようだとの印象は、ますます強くなっていった。女の客がはいって行くこともある。包みを持たずに出てくるのだが、服は同じようでも、髪の形があきらかにちがっていたこともあった。少しやせて出てくる場合もある。あの店は質屋であって、美容院やスタイル調整所ではない。別人が出てくるとしか、考えられないのだった。
疑問を持ちつづけるというのは、いい気分ではない。大杉は医院へくる患者に、雑談の途中でそれとなく聞いてみたりする。
「この近くの商店街の裏通りに、質屋さんがありますね……」
だが、手ごたえのある答えは、えられなかった。「そうでしたねえ」とか「質屋の世話にならなくても、なんとかやっています」とかいう答えが大部分で「借金するのは、体裁のいいものじゃありません。金に困ったら、知りあいに顔を見られないよう、もっとはなれた質屋に行きますよ」と言う人もあった。
そのうち「あの質屋へは、一回だけ行ったことがありますよ」と言った学生があった。
「どんなようすの店ですか」
大杉は身を乗り出して聞いた。しかし、学生の答えも、あまり役に立つものではなかった。
「郷里からの送金がおくれて、金に困った時です。しかし、あそこの主人、いやにぶあいそなやつでしてねえ、面白くないんで、そのまま帰ってきてしまいました。商売なら、もっとあいそよくすればいいのに。よその質屋は、もっとサービスがいい。あんなことで、やってけるんですかねえ」
結局、なんにもわからなかった。昔の思い出話としてならまだしも、いま質屋の常連であると、くわしく話す人はいないのだ。また問題の質屋の主人なるものも、あまり近所づきあいをしないらしく、顔を見た者はあっても、どんな性格で景気はどうかとなると、だれもよく知らなかった。
どうでもいいことじゃないか。大杉はいつも、そう自分に言いきかせるのだが、二階の窓のそばに立つと、つい眺めてしまう。眺めると、つい考えてしまう。
どう説明したら、いいのだろう。偶然の重なりなのだろうか。似た服装の先客があって、それが出てきたということかもしれない。それとも、あの家の家族が出てきたのを、お客の帰りとかんちがいしているのだろうか。
もしかしたら、秘密のパーティーでも開かれているのかもしれない。非合法の賭けかなにかが、おこなわれているのだろうか。しかし、出入りする人たちに、そんな感じはまったくなかった。
あの店には裏口がべつにあるのだろうか。大杉は外出の時、それとなく調べてみたが、裏口など、ないようだった。となると、地下道があるのだろうか。だが、その仮定は、あまりに飛躍しすぎている。なぜ質屋に、地下道が必要なのだ。彼はにが笑いした。
大杉は窓のそばに、双眼鏡をおいた。もっとよく観察しようという気に、なったのだ。双眼鏡でのぞくと、質屋へ出入りする人の顔が、大杉のすぐそばに引き寄せられた。その日、彼はそれに熱中し、よそからの電話を居留守をつかってことわった。
たしかに別人が出てくる。別人でなかったら、顔やからだつきを整形して出てくることになるが、そんなことはありえない。あきらかに別人だ。
それを確認したとはいうものの、どうしたものかとなると、大杉にはなんの案も思いうかばなかった。警察にとどけても、しようがないだろう。なんの事件もおこっていず、なんの被害者も出ていないのだ。警察としても、本気で話を聞いてはくれないだろうし、そんなことのために人員をさいて、張り込ませたりはしないだろう。よけいなことをしたら、営業妨害になりかねない。
だが、大杉としては、その先にある事情を知りたかった。手のつけようがないため、その思いはいっそうつのる。
そのチャンスは、意外に早くおとずれた。もはや習慣のようになってしまっており、いつものように大杉が双眼鏡で眺めていると、質屋からひとりの男が出てきた。そして、あたりを、きょろきょろ見まわしている。
その時、走ってきたオートバイが、そいつに接触した。きょろきょろ見まわしていながら、よけそこなうなんて、ちょっとどうかしている。そいつは、ぎこちなく倒れた。
オートバイの人はあわてて停車し、助けおこした。それに対し、たいしたことはないと答えているような身ぶりだった。オートバイは、あやまりながら走り去った。
いいチャンスだ、と大杉は思った。こんな機会をのがしたら、あとで後悔するぞ。彼は医院を出て、そこへ急いだ。そいつはまだそこに立っていて、足をさすっている。いくらか痛いのだろう。四十歳ぐらいの男だった。大杉は話しかける。
「あなたはいま、オートバイにぶつかりましたね。わたしは、むこうで見ていました。けがをなさったでしょう」
「いや、たいしたことは、ないようです」
相手は、なまりのある話し方で言い、ほっといてほしいような表情だった。
「手当てをなさっておいたほうが、いいですよ。うんだりするといけませんから、せめて傷の消毒ぐらいは、すべきです。わたしは、すぐそばで医院をやっている者です。料金のことは、ご心配なく。医者として、このまま見すごすことができない気分なのです。さあ、手をお貸ししましょう」
大杉は早口でしゃべり、相手にいやと言わせるひまを与えず、医院へと連れこんだ。足の傷はたいしたこともなく、骨折もなかった。大杉は薬をぬったあとで言った。
「念のためです。注射をしておきましょう」
そして、すばやく注射をうった。だが、それはサルファ剤や抗生物質ではなく、自白剤だった。スパイ小説や映画などに出てくる、心のなかのことをしゃべってしまう薬品。といって、そのための薬品が、この医院に用意されていたわけではない。手術の時に使う麻酔薬の一種なのだが、自白剤と同じような作用をも持っていることを、大杉は知識で知っていたのだ。
こんなことをして、あとで問題になるかなと、彼は考えた。しかし、けがをした患者がいて、痛みがある、それに麻酔薬を使ったからといって、大問題にはならないだろう。いちおう、そんな理屈をつけてみた。
そのうち、薬は作用をあらわし、男は眠いみたいだと言った。大杉はあいている病室に案内し、ベッドに横たえた。それから、ためしに質問してみる。
「あなたは、どこへ行くつもりだったのですか」
「町を見物に……」
変な返答だった。質屋へ行く人は、金を必要とする急用があるはずだ。町の見物だなんて、のんきすぎる。大杉はさらに聞く。
「こんな町、どこが面白いんです。見物することもないでしょう」
「面白さには理屈もなにもない。この見物、前から楽しみにしていたんです。みやげ物も買いたいし……」
「そういうものかねえ」
「交通にはくれぐれも気をつけろと、ずいぶん注意されてはいたんですが、つい興奮して、オートバイにぶつかり……」
「いったい、あなたの家は、どこなんです。どこから来たんですか」
「どこって……」
それまでは質問に答えていたのに、ベッドに横たわっている男は、そこで口ごもった。それにしても、おかしなことばかり言うやつだな、と大杉は思い、さらに追加して注射をした。こんなあいまいな答えでは、満足できない。はっきりした事情を、知りたいのだ。
薬がさらにきくのを待ち、また質問する。こいつが正気なのかどうか、まず簡単なことから聞くことにした。
「さて、きょうは何年の何月何日でしょう」
「二三八一年、六月九日……」
「なんですって。はっきり答えてください」
「二三八一年……」
同じ答えが、くりかえされた。ふざけているのだろうかと、大杉は思った。しかし、その可能性はないようだった。普通の状態とちがい、あれだけの注射をうったのだから、うそのつけるはずがない。となると、こいつは未来の人間なんだろうか。半信半疑で大杉は質問した。
「すると、あなたは、過去へやってきたということになりますね」
「そうです……」
ベッドの男は、薬の作用により表情を変えることなく、単調な声で答えた。
「ありうることなのかなあ。で、この過去の世界から未来へと戻るのには、どうすることになっているのです」
「通行人に気づかれないよう、あの質屋のなかにはいり、わたしの番号、六三二を告げればいい。すると、タイムトンネルによって、帰りつけるのです」
話の内容は、とてつもないものだった。しかし、うそをついているような感じもなかった。大杉は質問を、さらに進めてみた。
「未来における、いや、あなたの時代において、あなたはどんな生活をしているのですか。世の中のようすは……」
「それは……」
またも口ごもった声になる。
「あなたの住んでいる家は、どんなですか」
「それは……」
質問の形を変え、いろいろくりかえして聞いても、なんの答えもでてこなかった。大杉は考え、それについて、ひとつの仮定をたてた。どうやら、未来の生活に関したことは、しゃべれないようになっているらしい。この男の頭のなかに、なにか特殊な心理的なブレーキがほどこされていて、未来の話ができないようになっているようだ。
そういうものかもしれないなと、大杉はうなずく。未来の人間が過去へやってきて、未来のことをあれこれしゃべると、パラドックスが発生する。
たとえば、未来の発明品を過去に持ちこんだら、その結果として、未来は変わらざるをえなくなる。アメリカ大陸ののった世界地図を、コロンブスの前の時代のヨーロッパに持ちこむようなものだ。
ベッドの男は薬のためぐったりとし、眠りはじめた。大杉は毛布をかけてやる。この男の言うこと、本当なのだろうか。それとも、頭がおかしいのだろうか。精神異常で〈おれは未来から来た人間だ〉との妄想を信じこんでいれば、自白剤でも、そのようにしゃべることになる。どっちなのかの判定は、すぐには下せなかった。
「さて……」
と大杉はつぶやいた。真実なのか狂気なのかの判定は、つけようと思えば簡単だ。自分で行って、たしかめてみることだ。この男の話だと、あの質屋のなかに、未来からのタイムトンネルの出入口があるという。未来は、どうなっているのだろう。のぞいてみたいものだな。その好奇心は、高まる一方だった。
大杉はベッドの上の男に目をやる。いまがチャンスなのだ。年齢もからだつきも、おれとそうちがわないではないか。大杉はそいつの服をぬがせにかかる。いうまでもなく、自分がそれを着るためだ。
大杉は質屋の入口をはいった。はいる前にあたりを用心ぶかく見まわしている自分に気づき、彼はにが笑いをした。こんなところで知人に話しかけられたら、金を借りるにしろ、未来をのぞくにしろ、やはり困ってしまうだろう。
手で押すと、ドアは音もなく軽く開いた。なかは事務所風になっていた。普通の質屋もこんなふうなのかどうか、大杉は知らなかった。骨董品のようなもの、カメラのたぐい、そんなのが一隅の棚に並んでいた。以前にだれかが言っていたように、ぶあいそな感じの男が、大きなテーブルのむこうの|椅《い》|子《す》にかけ、退屈そうにしていた。
大杉はそいつに言ってみた。
「六三二だ」
「禁制品は、持っていないだろうな」
とそいつが言った。いったい、なにが禁制品なのか、見当もつかなかった。骨董品や、なにかを撮影したカメラなどがいけないのだろうか。棚に並んでいるのは、その没収品なのかもしれない。しかし、いずれにせよ、大杉はなにも持っていなかった。
「ごらんのとおりだ。なにもないよ」
「みやげ物なしとは、あんたも珍しい人だね。手間がかからなくて、おれにとっては大助かりだ。みんなそうしてくれると、おれは楽なんだがね。しかし、どいつもこいつも、みやげ物をむやみと買いたがる。さあ、むこうのドアへ……」
そいつはあごでドアを示した。大杉は内心でうなずいた。ここへやってくるやつの包みのなかみは、質草なんかでなく、未来へ持ち帰るみやげ物だったのか。
教えられたドアは、別室へのものらしかった。大杉はそこへはいる。窓のない殺風景な室だった。なかにはいると、ドアが自動的にうしろでしまった。どうなるのかとの不安を感じる。
あたりが暗くなり、暗くなるにつれ、大杉は無重力になる気分を味わった。降下するエレベーターのなかにいるようだ。足で床に立っているという感じが、しないのだ。しかし、そのくせ、落下している気分でもなかった。
といって、静止している感じでもない。どこかへ移動していることはたしかだった。どこへむかってだろう。つまり、これが未来へむかって動いているということなのだろう。
暗いなかで、大杉の不安はつづいた。しかし、やがてそれも終った。重力感が戻り、まわりが明るくなる。さっきの殺風景な室かと思ったら、そうではなかった。
見まわすと、まっ白な円形のホール。直径は三十メートルぐらい。彼はその中央にいた。かなり広い感じだった。見あげると天井があり、やわらかな光を放っていた。どうやって、こんなところに移されたのだろう。時間を通り抜けてということなんだろうな。で、ここが未来というわけか……。
壁の一部が四角く開いた。そこから男が出てくる。からだにぴったりした、銀色の服を着ている。近づいてきて、大杉に言った。
「ご旅行は、いかがでしたか。お楽しみになれましたでしょうか」
「ああ……」
と大杉は、あたりさわりのない答えをした。
「どうかなさいましたか。ご気分が悪いようですな」
と聞かれる。なんと答えればいいのだ。大杉はひたいに手を当て、なんとかいいわけをでっちあげた。
「じつは、過去の世界へ行って、オートバイにぶつかった。そのショックのせいか、医者に注射をされたせいか、頭がぼんやりしている。記憶が薄れたような……」
「さようでございますか。時間旅行の帰途にそのような気分になられるかたは、時たまございます。少しお休みになれば、もとのようにお元気になれるでしょう。どうぞ、こちらへ……」
一室に案内された。ホールの壁の別な一部がさっと開き、そのなかの部屋だ。大杉はそこでひとりになる。スマートな曲線の椅子があった。だが、椅子にすわるのより、未来をのぞくほうが先決だ。窓らしきものがあったが、カーテンがかかっている。それを引いてそとをのぞこうとしたが、どういうわけかカーテンは動かなかった。
とつぜん、うしろで声がした。
「あたしが、おせわいたしますわ」
魅力的な女の声。大杉がふりむくと、その声で想像した以上に魅力的な、若い女性がそこにいた。スタイルがよく、肉感的。セミヌード姿で、ブーツをはいていた。大杉は医者であり、普通の人よりはるかに女の裸を見なれているが、その彼でさえ、われを忘れるような美人だった。見ているだけで、ぞくぞくしてくる。
思わずふらふらと近より、手をにぎろうとする。そのとたん、彼は投げとばされてしまった。どういうことなのかわからないが、床で身をおこしながら、大杉はてれくさそうにつぶやく。
「強いんだなあ……」
「当り前でございますわ。あたくし、ロボットですもの。しっかりなさってください。もう過去の世界から、お戻りになったのですよ」
「ふうん、なるほど……」
大杉はため息をついて、あらためて見なおした。さすがは未来だ。このようなすごい女ロボットがいるとは。彼は言う。
「記憶を、とり戻さなければならないのだ。街はどんなだったかな。景色を眺めれば思い出せるんじゃないだろうか」
「そうですわね」
女ロボットは手に持っていた万年筆状のものを窓にむけ、そのボタンを押した。すると、カーテンがさっと開いた。大杉は息をのんで見つめる。
整然たるビルが並んでいる。にぶい銀色で、上品さがある。清潔感がみちている。ビルのあいだをベルト状の道路が動き、その上に人びとが乗っていた。空は美しくすんでいる。その空の遠くで、円盤状の宇宙船が速力をあげようとしていた。
「あそこが宇宙空港だったな。空港はどんなところだったろう。もう少しで、思い出せそうな気分なんだが」
「では、テレビでごらんください」
ロボットの女は、壁に描かれている地図の一点にむけ、また万年筆状のもののボタンを押した。すると、そこに映像があらわれた。
空港のホールの光景らしかった。銀色の服の男だの、黄色いマントの女だの、大ぜいの人でにぎわっている。だが、ところどころに、じつに奇妙な人物もいる。みどり色の大柄のやつとか、白クマのような顔の、ずんぐりしたやつなどだ。目立って異様なのにもかかわらず、だれも平然として気にもとめない。大杉は女ロボットに聞く。
「あの、みどり色のやつは、なんだっけ」
「あら、ベガ星人じゃありませんか」
「そうだ、そうだったな……」
大杉は口をあわせた。思い出しかけてきたふりをする。いつ、ごまかしがばれ、もとへ追いかえされるかしれない。早いところ、できるだけたくさん見ておこう。大杉は万年筆状のものを借り、地図のべつな地点にむけてボタンを押した。こんどは、すさまじい廃虚がうつった。
「なんだ、こりゃあ」
「第三次大戦の記念廃虚、この大戦のあと、はじめて永遠の平和への基礎が、きずかれたのですわ」
「うん。そうだったな。なんだか、のどがかわいてきた。飲み物をくれ」
女ロボットは部屋を出ていった。それを待つ時間も惜しく、大杉は壁にむけてボタンを押しつづけた。なにかの建物がうつり、こんな声が出てきた。
「冥王星の冷凍睡眠センターを、ご利用ください。当社がいっさいを、お世話いたします……」
またべつな画面には、七色の奇妙な草花がうつった。
「宇宙植物園へ、どうぞ。カペラ星系から、新しい花が到着いたしました。音に反応し、そちらをむく。向日性でなく、向音性というべきもので……」
その説明を聞いていると、女ロボットがグラスを持って戻ってきた。うす青い液体がはいっている。大杉がそれを受け取ろうとした時、とつぜん、ビーと激しい音がひびいた。声が流れてくる。
「警報。事故発生、注意してください。過去からの侵入者あり。過去より一人まぎれこんだもよう。一刻も早く、発見せよ……」
大杉はびくりとした。自分のことだ。医院にねかせておいた男が、麻酔からさめ、質屋に戻って事情を話したのだろう。その報告が、ここになされたにちがいない。
彼は部屋からかけ出そうとした。しかし、そんなふうに逃げようとしないほうが、よかったのかもしれない。それに気づいたのか、そばの女ロボットがすぐ行動に移った。大杉をとっつかまえたのだ。ロボットだけあって、力が強い。いかにもがいても、もはや逃げられそうにない。
大杉は、抵抗をあきらめた。しかし、どうされるのだろう。それを考え、彼は身ぶるいした。未来から過去へ行く旅行者たちは、過去へ知識を運ばないよう、みな心理的な処理がほどこされている。それと同じようなふうにされるのだろうか。いま見聞したことが、帰ってから口外できないように……。
いや、そうはできないのではなかろうか。彼は疑問をいだく。そのような心理的な防止処理をほどこして過去へ送りかえすこと自体もまた、やはり、未来の知識の産物を過去に持ち出すことになる。コンタクトレンズをはめた者を、中世に送りかえすようなもの。なにかのきっかけで、周囲の者に発覚しないとも限らない。
そう考え、彼はまたふるえた。めんどくさいから消してしまえ、ということになるのかもしれない。その恐怖を追い払い、なんとか安心感をえようと、大杉は理屈を考え出した。殺されかけたら、こう主張してみよう。
おれをここで殺すと、それも未来が過去の現象に干渉することになるはずだ。おれは医者だ。おれが仕事をつづけることで、死なないですむ患者があり、その連中の子孫だってこの時代にいるはずだ。ここでおれが殺されれば、そいつも消えることになるぞ。パラドックスが発生する。未来人が過去にやってきて死ぬのなら、影響はさほど残らないだろうが、未来人が過去の者を殺すと、手のつけようがないことになるはずだ。
いったい、どうされるのだろう。あつかいようが、ないのじゃないかな。しかし、彼のそんな疑問におかまいなく、女ロボットは大杉をホールの中央に連れてきた。あたりが暗くなり、重力のなくなる感じがし、移行する気分……。
大杉がわれにかえると、もとの質屋の奥の一室だった。ドアをそとからあけた主人が、のぞきこんで言う。
「困りますね、あなた。いい迷惑ですよ。ひとの服をはいで着て、他人になりすますなんて、犯罪ですよ。さあ、よこしなさい」
大杉は服をはぎとられ、そとへ追い出されてしまった。あたりを見まわしたが、さいわいだれもいなかった。日も暮れていた。下着姿で質屋から出てくるところを他人に見られたら、一生はずかしがらなくてはならない。
彼は自分の医院までかけ戻った。自分の服を着て、病室をのぞく。ベッドに横たわっていた男はいなくなっていた。
それから数日、大杉はだれかれかまわず、この体験談をしたくてたまらなかった。しかし、なんとかがまんした。なぜって、こんな話を他人にしたら、どうなる。あの医者、頭がおかしくなったんじゃないか。そう思われるに、きまっている。ほかの商売ならまだしも、医者にとっては致命的なうわさで、患者はばったりとこなくなるだろう。だまったままでいなければならないようだ。この未来旅行についての話は。
しかし、話したくてたまらない。証拠だって、ないわけではない。あの万年筆状の器具、それが下着のなかに残っていたのだ。これだ。これが現在の品でないとはっきりすれば、この体験を信じてくれる人だってあるだろう。
彼はそれを持ち、エレクトロニクスにくわしい友人を訪れた。
「これを調べてもらいたいんだ。すごい品なんだ。見るとびっくりするぜ」
「いやに、もったいをつけるな。どこで手に入れたんだね」
「それはあとで話すよ。まあ、調べてみてくれ」
友人はそれを受け取り、いじりまわした。
「どうやら、なんということもなさそうだぜ。ありふれたプラスチックだ」
「そうかな。では、なかを調べてくれ。こわしてもいいから」
なかがあけられたが、からっぽだった。なんのしかけもない。友人はかつがれたのかと腹を立て、大杉はあやまり、そそくさと引きあげた。
ひとりになると、疑問がわきあがってくる。どういうことなのだ。未来を過去に持ち込むのは厳禁のはずなのだが、あの万年筆状のものは持ち帰れた。しかし、なかはからっぽで、新物質の品でもない。おれの体験は夢だったのか。どういうことなのだろう。
未来旅行は事実だったはずだ。おれは時間を移動し、たしかに見てきた。整然たる町、ロケット空港、みどり色の宇宙人。それに、力の強い美人ロボット……。
あれはたしかに未来だ。大杉は心のなかで断言する。しかし、それにもかかわらず、なにかひっかかるものもあるのだ。なにか、もうひとつ欠けている。不満みたいな気分が残るのだ。それに、パラドックスの問題も、説明がつかないまま……。
二三八一年のタイムトンネル関係者たちが話しあっている。
「めったに起こりえないはずの事故だったが、過去からの人間がまぎれこむという事態が発生してしまったな。あの時代にも、油断のならないやつがいた。これからは自白剤への警戒を、過去への時間旅行者に、注意しなければならない。この一件では、ひや汗をかいたな」
「だが、あの安全装置の部屋を作っておいたおかげで、事件が大きくならずにすんで助かった。少しでもようすのおかしい人物は、いちおう、あの部屋にとおす。そこで時間をかけて、くわしく点検する」
「あの部屋で休ませず、直接にこの時代をのぞかれたら、えらいことだ。パラドックスで、手がつけられなくなる。帰って見聞を話されても困る。心理防止をほどこすこともできぬ。殺すこともできぬ。しかし、あの部屋に入られただけなら、心配ない。本当は、タイムトンネルの過去の出入口で厳重な検査をするのが理想なんだが、大げさなその装置は、あの時代の人の目をひくおそれがあるし」
「まったく、あの部屋はよくできている。過去のあの時代のSFのすべてをつなぎあわせ、それにもとづいて立体映画をとり、窓のそとに映写しておく。壁にうつるのもそうだ。過去のあの時代の連中が夢にも考えなかったことで、その後に実現したたぐいのものは、いっさい画面にあらわれない。つまり、過去を変えるおそれのあるこの時代の情報は、なにひとつ持ち帰ることができないというわけだからな」
「あいつ、きっといまごろは、ふしぎがっているぜ。未来というのは、SFの未来小説そのままだったと。想像もしなかった光景の世界じゃなかったとな。息のとまるような驚異をさほど感じなかったと、ふしぎがっているだろうな」
大杉はしばらく、ぼんやりした日をすごした。女性ロボット、みどり色の宇宙人、ロケット空港。たしかにおれは見たし、さわりもした。しかし、どうも他人に話す気になれないのだ。話したりすれば「なんだ、SFに出てくるようなことばかりじゃないか」と笑われるにきまっている。SFにも書かれていない話をしたいのだが、そんな点は、まったく思い出せないのだ。ふしぎなくらい……。
彼は、だれにも話さなかった。しかし、二階の窓のそばに立つと、目はどうしても質屋のほうにいってしまう。このところ、質屋から出てくる人はなかった。包みをかかえてはいって行く人ばかり。だれかが気がつけば、変に思うかもしれない。しかし、気がつく人はいないし、いたとしても、そう大さわぎはしないのだ。
そして、しばらくすると、質屋は廃業となった。どこへ越していったのか、だれも知らない。そのあとは改築され、喫茶店となった。大杉はそこへ行ってみたが、なんの変わった点もない。ただの普通の喫茶店だった。彼は思う。ここにあった、あのタイムトンネルの出入口、どこかべつな場所に移されたのだろうなと。ほかの場所のどこかで、目立たないような形で、いまでも未来からの旅行者がやってきて、みやげ物をかかえて帰り……。