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霊柩車の二人が入ってくる少し前、このドライブインにひとりの客がいた。二十五歳ぐらいの青年。スポーティな服装。ゴルフのバッグを持っていた。
しかし、スポーティな服装だからといって、健全な精神の持主とは限らない。彼はある犯罪組織に属していた。そして、その下っぱであった。なぜ下っぱかというと、性格的に意志が弱く、なにをやらしてもへまばかりしているからだった。
青年は、こんなことをしていてはいつまでもうだつがあがらないと自分でも気がついていた。まともな仕事、つまり意志が弱くても年功序列でなんとかやっていける世界のほうに移りたいと考えていた。
しかし、こういう組織からはおいそれと足が洗えないことになっている。本当は組織の上層部としても、こんな青年はお払い箱にしてしまいたいところだ。だが、はいさようならですむとなっては、他の者へのしめしがつかない。いままで食わせてやったのがむだにもなる。なんとか活用しなければならない。そこでこういう命令を与えた。
「おまえは足を洗いたいと言っていたな。希望どおりにしてやろう。しかし、最後に一仕事だけやってもらいたい。それがすめばおまえは自由だ。まとまった退職金もやる」
「ありがとうございます。なんでもやりますとも。いままでのご恩がえしです。命じて下さい」
「いいか、ここに写真がある。この人物を消してもらいたい。わが組織の裏切り者。生かしておくわけにはいかないのだ」
「え、殺人ですか。そんなことは、ぼくにはとても……」
「むずかしいことはなにもない。おまえのようなまぬけにもできることだ。銃に弾丸をこめ、ねらって引金をひけばいいのだ。おまえの好きな射的とおなじことだ」
「しかし、動く的となると……」
「動くかもしれないが、射的の的より大きいぞ。写真の裏に別荘地への道が書いてある。やつはその一帯のどこかに、名を変えてかくれているという。さがしだし、散歩にでも外出した時をみはからって、しまつしてくれ。武器はいろいろある。このゴルフバッグを持って行け。銃も入っているし、|拳銃《けんじゅう》もある。ナイフもあるし、毒薬のカプセルもある。もちろんゴルフのクラブも入っている。殺人用具ひとそろいだ。好きなのを使ってやってくれ。大事なのは結果であって、経過ではない」
「しかし……」
「いやならいいんだよ。だが、そうなるとおまえはただではすまぬ。覚悟するんだな。しかし、成功すれば金銭と自由がおまえのものとなる。組織としても、おまえが内部の秘密を口外する点を心配しなくてもよくなる。口外すれば自分の殺人をも告白することになるんだからな。さあ、どうする」
「わかりました、やりますよ」
というわけで、青年は引受けたのだ。そして、車を運転しこの別荘地までは来た。さがしまわり、目標の人物はつきとめることもできた。しかし、どうしても決行できない。映画などではいとも簡単に片づけられていることだが、いざ当事者となると気が進まないのだ。
個人的にうらみ重なる相手なら、やってやれないことではないだろう。だが、そうではないのだ。ためらっている一方、約束の期限が迫ってくる。青年はギリギリのところへ追い込まれた。
そのあげく、せっぱつまって、ついに一案を思いついた。さほど名案でもなかったが、ほかにアイデアもなかったのだ。彼はこのドライブインから組織に電話をかけて報告した。
「命令された件ですが、なんとかやりとげました。これから帰ります。すぐに身をかくしたほうがいいでしょう。資金を用意しておいて下さい」
つまり、殺したということにしようというのだ。金を受取り、どこかへ行ってしまう。あとはなんとかなるだろう。だめでしたと帰ったのでは、こっちが消されてしまうし、金にもならない。
「そうか、よくやった。しかし、本当にやったのだろうな。普通だと、もっとうわずった声を出すはずだが。どうやってしまつしたんだ」
そう質問され、青年は話をでっちあげた。
「夕方の散歩に出たあとをつけて、消音器つきの拳銃でうったんですよ。それから犯行がばれにくいように、石で顔をめちゃめちゃにつぶし、林のなかに穴を掘って埋めました。永久に発覚しないかもしれません」
「なんだと、すごいことをやってのけたな。そんなすさまじいことができるとは意外だった。悪に強きは善にもとかいうが、まともな仕事に移っても、おまえは出世するだろう。しかし、どうも信じられんな……」
「本当ですよ、信じて下さい」
「よし、それなら、殺したという証拠を持ってこい。殺人証拠としては新聞にのった死亡記事が一番いいんだが、林に埋めてしまったのでは、それも期待できない。といって、なんにもなしでは、こっちでも金を支出する事務処理に困るのだ。すまんが掘り出して、持ってきてくれ。なにも全部でなくていい。手でも足でもいいから、ちょんぎって持ってきてくれ。つぶした首はぞっとしないな。要するに、人を殺したという証拠がいるんだよ。それと引きかえに金を渡す。どうだね」
「いいですとも。そうしましょう」
青年はそう言って電話を切った。しかし、いいですともと答えはしたが、そんなものはどこにもありはしないのだ。肉屋へ行ったって、こういうたぐいの肉は売っていない。医学模型の店で買ったのでは、すぐばれてしまう。自分の手をちょんぎってでも渡したいところだが、これまた一目|瞭然《りょうぜん》だ。他人に手を売ってくれとたのむこともできない。組織の上層部はこういうことになれていて、簡単にはごまかせないようになっている。
青年は首をうなだれ、ドライブインを出て駐車しておいた車に乗った。どこへ行ったものだろう。この車で遠くへ逃げるか。しかし、ほとんど金を持っていないのだ。逃げたあとの計画がまるでたたない。
ああ、死体がほしいなあ。死体であればなんでもいいのだ。手か足をもらうだけでいいんだ。ハンドルにもたれて青年が祈った時、目の前にすばらしいものが見えた。
ゆっくり走っている霊柩車。あれなんだよ、あのなかにあるものなんだ、おれのほしくてたまらないものは。少しでいいからわけて下さいと、たのんでみるか。まあ、だめだろうな。事情をくわしく説明し、それで人間ひとりの命が助かるんだといえば、話にのってくれるかもしれない。だが、組織の秘密をばらすことになってしまう。
拳銃でおどかし強奪するか。しかし、抵抗されたらどうしよう。引金をひき、殺してしまうことになるかもしれない。むだなことだ。死体はひとつあればいいんだから。
あきらめきれず、青年は車を動かして霊柩車のあとをつけた。止ってくれ、と心の底から祈る。すると、それに応じるかのように、霊柩車はすぐ横道に入って停車した。二人がおりてくる。物かげからようすをうかがっていると、彼らはドライブインのほうへ歩いてゆくではないか。
なんという幸運。神があわれんでくれたのだろう。この機会をのがしたら、おれは一生後悔しつづけなければならない。いや、第一その一生なるものが、あるかどうかもわからなくなるのだ。決意。彼はしのびよって、後のドアをあける。
青年はちょっと驚いた。死体があることは予想していたが、棺にも入っていず、そこにごろんところがしてあったのだ。なんということだ。ほとんどの交通機関が人間を物品あつかいする時代とはいえ、ついに霊柩車までそうなってしまったのか。
しかし、いまはそんな点などどうでもいいのだ。死体をいただくことが先決だ。青年はそこで切断にかかろうとした。だが、時間がかかって彼らがもどってきたら大変だ。いいわけのしようがない。つかまって警察に渡されたら、なにもかも破滅だ。
青年はいちおう自分の車に移すことにした。後部のトランクをあけ、そこに押しこむ。重くぐったりした、はじめての感触。しかし、悲鳴をあげたりしている場合ではない。彼はふたをして、霊柩車のドアをもと通りにしめ、急いで車をスタートさせた。
ほっと息をつく。悩みが消えてゆくこころよさ。これでいいのだ。どこかで手か足をちょんぎり、土中から掘り出したように泥まみれにする。残りの部分は、どこかにほうり出しておけばいいだろう。それで万事解決。あとは自由なんだ。
前方からサイレンを鳴らしながらパトカーが走ってきた。すれちがって遠ざかってゆく。青年はびくりとした。まさかとは思うが、しばらくようすを見たほうがいい。彼は車を少し進め、横道に入り、車を止めた。
これまでの緊張がゆるみ、眠くなってきた。ちょっとだけ眠ろう。作業はそれからでいい。