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ある別荘のなかで、男と女とが話しあっていた。山小屋風の、しゃれたつくりの建物。夜の静かさのなかで、酒を飲みながら話しあっている。
なごやかな光景。しかし、現実にかわされている会話の内容は、決しておだやかなものではなかった。また、この男と女は夫婦でもないのだ。将来そうなることはあるかもしれないし、二人ともそう望んではいるのだが……。
「困っちゃったわね。お金が自由にならないのよ。あの時は、殺しさえすればあとはなんとかなるだろうと、前後を考えずにやっちゃったけど……」
と女が言った。なかなかの美人。その価値を充分にいかし、彼女は金持ちと結婚した。それから、いまそばにいる男と知りあい、愛しあうようになった。ここまでは世によくある現象。しかし、やがてその度が進み、共謀して邪魔な存在である亭主を殺してしまった。毒薬を飲ませ、湖に運び、おもりをつけて沈めてしまったのだ。それは慎重におこなわれ、浮びあがって発覚するような心配はないといってよかった。
慎重さがもうひとつ欠けていたと気がついたのは、それからしばらくたってから。正式の死亡でないから、相続ができない。実印があればなんとかなるのだが、亭主がどこにしまったのか、いくらさがしても見つからない。預金をおろすことができず、貸金庫から債券を出して売るわけにいかず、不動産を処分するわけにもいかない。死んだ亭主の財産に手がつけられないのだ。生命保険金をもらうわけにもいかない。
|失《しっ》|踪《そう》宣告とかをしてもらう方法があるらしかったが、それにはある期間待たねばだめのようだった。とてもそうは待っていられない。金融業者から金を借りようにも、事情を打ち明けるわけにはいかない。彼女としては、酒を飲みながら男を相手に、ぐちをこぼす以外にないのだ。男も頭をかきながら言う。
「こんなことになるとはなあ。確実に死んでいるというのに、生命保険金がもらえないなんて不合理だよ。死体なんてものは、空きびんか空きカンのごときものとばかり思っていたよ。ご用ずみになれば、なんの意味も価値もないものとね。ところが、そうじゃなかったんだな。空きびん引きかえでないと、景品がもらえないときた」
「乗車券とも似てるわね。下車する時にはちゃんと渡さないとおこられちゃう。どうしたらいいのかしら。現状打開のなにかいい方法を考えてちょうだいよ」
「湖水に沈めたのを引きあげるか。いなくなったと思ってたら、湖水に落ちて|溺《おぼ》れてましたとね。それで正式に死亡とみとめてもらうのも一案だ。毒は水のなかに散っちゃって、毒殺の証拠は発見できないだろう」
男は平凡な意見を言い、女は首をふった。
「だめよ。引きあげられないわ。重い石をつけ、いちばん深いとこへ沈めたんですもの。あたしたちだけではできないわ。大ぜいの人間をたのめばいいけど、なんて言うの。亭主が夢にあらわれ、おれはここに沈んでるからと言った、じゃあ変よ。かりに、なんとか引きあげても、おもりつきではすぐ怪しまれてしまうわ」
「肉を魚たちに食われ、骨だけでもこれまた困るな。死んだ亭主にまちがいない、殺したわれわれが保証するとも言えない」
「どう、いっそ、あなた自首したら。そうすれば一切かたがつくわ。あたしは遺産相続ができ、弁護士費用もじゃんじゃん払えるし」
「冗談じゃないよ。そんなぶっそうなこと言わないでくれ。しかし、死体さえあればなあ。ほかのやつの死体でもいいよ。おれは一時、演劇関係のメーキャップ係をやっていた。その死体をうまくご亭主にみせかけるぐらいのことはできる。葬式をすませるぐらいはできるだろう」
「そうね。死体があればいいのよ。あたしの兄はある病院につとめているの。わけ前をやることで、死亡診断書を書いてくれると思うわ。あとは火葬にすれば、それでめでたし。死体がほしいわねえ」
女はグラスを片手に立ちあがり、室を歩きまわった。死体を笑う者は死体に泣くって形ね、と後悔をしつづけた。その時、ふとなにかに耳を傾けた。自動車の止るような音を聞いたのだ。こんな時間になにかしら。彼女はそっと外へ出て、戻ってきて男に言った。
「林のむこうの道に自動車がとまり、窓をあけたまま眠っている人がいるわ。あれ、どうかしら……」
「どうって……」
「つまり、あの人を死体にしてしまうのよ。かわいそうだけど、あたしたちの幸福にはかえられないわ。やっちゃいましょうよ。どうせやるのなら、早いほうがいいのよ。ずるずると機会をのがしたら、ことはこじれるばかり。亭主の行方不明が話題になったりして、変にさわぐ人も出るし……」
「しかたない。そうそう、麻酔薬があったはずだ。それで眠らせてからとりかかるとしよう。こんどこそ冷静にやろう。むやみと死体をむだづかいするのは許されない」
二人は道にとまっている自動車に近づいた。運転席で青年が眠っている。そばへより薬をかがせた。それは簡単な仕事だった。青年はぐったりとなり、頭をたたいても声をあげなかった。男は言う。
「こいつはどんな素性のやつなんだろう。私服刑事だったりしたらことだぜ。いちおう調べよう。なにか手がかりはないか」
ポケットをさぐったが身分証明書のたぐいはなかった。座席にはゴルフのバッグがあるばかり。しかし、後部にまわってトランクをあけた女が言った。
「ちょっとごらんなさいよ。すてきなものがあったわ。思わず笑いがこみあげてくるようなものよ」
男もそれをのぞきこんだ。
「ほんとだ。できあいの死体だ。まさに天からの贈り物だ。この青年、運のいいやつだよ。われわれだって無益な殺生はしたくない。このような前途ある青年を殺さないですめば、それに越したことはないものな。これをいただいて、あとに石ころでもつめておこう。死者ウェルカム、生者ゴーホームだ。さあ、お客さまを家にお連れしよう」
「でも、あとでなくなったことに気がついて、この青年あわてるんじゃないかしら。あたしんところへ聞きに来るかもしれないわ」
「おれの大切な友人をさらったんじゃないかってかい。だけど、トランクに入れて運んでいるところをみると、いわくがあるにちがいない。警察に盗難届を出すとは思えないね。きっとこの青年も喜ぶさ。しまつを押しつけられ、どこへ捨てたものかと困ってたにちがいない。おもりをつけて湖にほうりこもうとやってきたというところだな。目がさめて車に死体がないと知って、うれしくなるんじゃないかな。眠っているあいだに、天使が天国に運んでくれたのかもしれないとね。死体ならなんでもいいと欲しがっているのは、われわれぐらいなものさ」
男と女とは、問題の品をトランクから出し、家のなかに運んだ。指紋を残さぬよう、また直接にさわるのも気持ちが悪いので、手袋をはめて頭と足とを持ち、ベッドの上に横たえた。男はいう。
「てっとりばやくすませよう。きみの兄さんとやらに、電話で連絡をとってくれ。こんなことは早く終らせたいよ」
女はうなずき、電話をかけた。
「ねえ、兄さん。夜中に起して悪いんだけど、亭主が死んじゃったの。すぐ来てくれない。できたら、ひとりで来てよ。ちょっと事情があるの」
電話のむこうの声。
「それはまた突然だな。さぞショックだろう。いつなくなられたんだい。いまかい」
「ちょっと前みたいなんだけど、よくわからないわ」
「ふうん。で、そこにはほかにだれがいるんだい」
「あたしのほかには、お友だちがひとりだけ。そんなことより、早く来てよ。いろいろ相談にのってもらいたいの」
「わかった。すぐに行くよ」