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かたきの首
日期:2017-12-31 14:57  点击:396
 江戸のはずれにある品川の宿。東海道における第一番目の宿場。江戸から西へ旅立ってゆく人びと、西からやってくる人びと、それらの往来でにぎわっている。その道ばたにたたずみ、ひとりの男が旅人たちをながめている。ほかにすることがなくてそうしているのではなかった。江戸へ入ってくる者たちに視線をむけていた。そのなかから、ある人物をさがし出そうとしているようだった。
 やがて男は、一組の旅人に目をつけた。少年の武士と、いくらか年長の女性。女は少年の姉らしく見えた。二人の歩き方は緊張しきっているし、思いつめた目つきは、前方にだけそそがれている。その二人に歩みより、男は声をかけた。
「もしもし……」
「なにかご用ですか」
 十六歳ぐらいの武士は、ふりかえって言った。かたく身がまえている。
「こんなことを申し上げてはなんですが、おみうけしたところ、だれかを追い求めておいでのごようすで……」
「いかにも。わたしたちの父が同輩によって殺害された。そのかたきを討つべく、姉とともにかたきをさがしてここまで来たところです。しかし、よくそれがおわかりで」
「それはわかりますよ。決意が動作にあらわれ、こちこちになっていらっしゃる。お国から出てきたばかりなのでしょう」
「それだから、どうだというのです。あなたはだれです」
「仙太という者です。あなたのようなかたを見ると、胸がつまって、だまって見すごせないのです。いろいろとご相談に乗ってさしあげようかと思いまして」
 少年と姉とは、小声で話しあった。その仙太という男は、四十五歳ぐらいか。しかし、それよりはるかにふけている外見だった。表情には、さまざまなものが複雑にまざりあっている。親切さ、虚無的なもの、いきどおり、あきらめ、やさしさ、皮肉めいたもの、そのほかいろいろな感情が。どうしたものかきめかねている二人に、仙太が言った。
「油断をすると、江戸ではひどい目にあう。その心配をなさっておいでなのでしょう。むりもありません。しかし、それはご無用。わたしの話をお聞きになった上で、どうなさるかおきめになればいいのです。住所不定のいかがわしい者ではありません。あそこにお寺がございましょう。わたしはそこで寺男をしています。墓地の掃除や植木の手入れなど、いろいろとね。あなたがた、今晩はこの宿におとまりになり、お気がむきましたら、あしたでもおいで下さい。お役に立って助言となるかもしれません」
 そう言って仙太はその場をはなれる。あしたになれば、きっとたずねてくる。かたきへの手がかりになりそうな話、それを聞かずに行ってしまうわけがない。はたして、つぎの日の朝、二人は寺のなかへやってきた。仙太は境内の離れに住んでいる。寺男にしてはぜいたくな暮しだな、そんな顔つきで、姉とともにやってきた少年はあいさつした。
「仙太さんとやら、どのようなお話を聞かせていただけるのですか」
「あなたがた、かたき討ちがどんなに大変なことか、ご存知なのですか。容易なことじゃありませんぜ」
「なにをおっしゃる。困難は承知の上です。かたきを討たねば、国へ帰りません。石にかじりついても、やりとげます」
「さあ、その決意がいつまでつづくものやら」
 仙太のつぶやきに、少年は怒った。
「なにをおっしゃる。寺男などに武士の心がわかってたまるか」
「ご立腹なさりたい気持ちはわかります。まあ、話をお聞き下さい。わたしもかつては仙之助という武士でした。かたきを追って全国をさまよったものでした」
 相手が経験者とわかり、少年は口調をあらためた。
「そうとは存じませんでした。で、かたきをお討ちになったのですか」
「いちおうお話ししましょう……」
 仙太、すなわち、かつての仙之助は話しはじめた。
 
 仙之助は、北陸のある藩の、武士の三男にうまれた。武士というものは、家督をついではじめて一人前となる。家をつぐことによって、収入である|禄《ろく》が保証され、お城づとめという就職の資格が発生する。
 しかし、三男では、自分の家をつげる可能性はまずない。二人の兄がつぎつぎと病死するなど、まあ期待できない。となると、他家に養子に行く以外にない。それをめざし、仙之助は学問と武芸にせいを出した。あいつはみどころがあると、どこからか養子の口のかかるのを待たねばならない。養子に行けなかったら、一生を自分の家で、気がねしながら居候の形ですごさねばならない。
 努力したかいがあって、仙之助はみとめられ、養子の話がもたらされた。飛びつくように承諾した。条件をつけることなど、できるものではない。たとえ相手の家がどんなにひどくても。
 まったく、その家はひどかった。五十石という禄高は仕方のないことだ。問題は五十歳であるそこの当主の、酒ぐせの悪さだった。酔っぱらうと仙之助にむかって、養子にしてやったことを恩着せがましくくりかえし話す。むこ養子でなく、家督相続のための養子。その家には娘もいず、妻は早く死に、つまり仙之助は、養子というえさに釣られて働かされる下男のような状態だった。
 しかし、仙之助はその立場にがまんした。将来、当主が隠居するか死亡するかすれば、自分はあとをついで武士になれ、藩に奉公できるのだ。その期待がすべてに優先した。といって、養父の死を夢想したりなどしなかった。そんなことを考えるのは、武士の道にはずれている。武士とはそういう社会なのだ。
 やがて、その養父が死んだ。病死ではなかった。酒に酔ったあげく、同じ藩の若い武士にしつっこくからみ、切り殺されたのだった。普通ならじっとがまんするところだが、その武士は若さのため逆上し、かっとなって凶行におよんだ。そして、その武士は結婚したばかりの妻を残し、その場から藩外に逃亡してしまった。
 いずれにせよ、養父は死んだのだ。十七歳になっていた仙之助は、家督相続を願い出た。しかし、お城のその担当の家老は言った。
「すぐに相続させることはできぬ。かたきを討ってこい」
「しかし、相手にもそれなりの理由があり、わたしの養父にも悪い点があったのでしょう。聞くところによると、逃亡した武士の家は断絶だとか。二度とここへ戻ってこれない。その妻は実家におあずけとなり、あとの人生を人目をさけながらの、あわれな幽閉の形ですごさねばならない。このうえ本人を殺すまでもないと思いますが」
 仙之助には、養父を殺されたうらみの実感がなかった。養子にしてもらった恩は、これまで下男同様に働いたことで返した気分になっている。しかし、家老は首を振った。
「おまえは大変な考えちがいをしている。武士にあるまじきことだ。これは理屈や人情でどうこうなることではないのだ。逃亡した武士がけしからんのは、おまえの父を殺したからではない。勝手に藩から逃走した点だ。世の中はずっと平穏だが、藩の本質はあくまで戦闘集団なのだ。そこから無断で脱走した。この軍規違反を許しておくことはできない。あくまで追いつめ、断罪しなければならぬのだ」
「そういうものかもしれませんね」
「しかし、藩士を動員してそれをやるわけにはいかない。むれをなして動かれては、幕府も他藩も不安を持つからな。だからこそ、かたき討ちが慣習化されているのだ。脱走者を処罰する責任者は殺された者の相続者ということにもなっている。うらみに燃え、最も適任者だからだ。おまえがいま、どう思っているかは別問題。かたきを討ってこなければならぬのだ。すなわち君命である。それがすむまで相続は許されない」
「わかりました。これがわたしの藩に対する最初のおつとめと思い、必ずやりとげます」
「よし。そうでなくてはいかん。さあ、これが旅費だ」
 まとまった金をもらい、みなから盛大な激励を受け、仙之助は出発した。いい気分だった。十七歳の彼にとって、不可能など考えられなかった。すぐ家をついだら、気ままな旅行はできなくなる。ちょうどいい機会だという気さえした。
 かたきは西へ逃げたらしいとのうわさで、仙之助も西国方面へむかった。酒ぐせの悪い養父が死んだ自由の味わい、ふところの金、若さ、はじめて見る他国の風景。なにもかも楽しかった。しかし、それがつづくものではない。金がとぼしくなりかける寸前に、かたきを討ちとることができれば理想的なのだが、そううまくはいってくれない。かたきのゆくえは、まったくわからない。
 やがては|乞食《こじき》におちぶれるのかと、仙之助は心配した。しかし、刀を差していては乞食になれず、刀を捨てては、かたきをみつけても討てない。そこで、行商をやることにした。薬草や婦人の化粧用品など、かさばらない高価に売れるものを仕入れ、それを持って旅をした。
 武士としての学問をしてきたので、最初のうちは内心の抵抗もあった。しかし、背に腹はかえられず、やってみるとなんとかなった。あどけなさの残る若さ、それに、みにくい|容《よう》|貌《ぼう》でもない。かたき討ちの旅だというと、女たちは同情して買ってくれた。その地方の方言でおせじのひとつも言うと、さらに売上げのふえることも知った。一カ所にいついたら周囲の男から嫉妬もされようが、そうではないのだから、まあまあの商売だった。
 もし自分が若くなく、ぶきりょうで、武骨さだけがとりえの男だったら、どうだったろう。そんな人物は、かたきを求めての旅を、どうやってしているのだろう。そんな想像はしないことにした。したって、なんの役にも立たない。いまは生きることが先決だ。
 五年ほど西国をまわったが、かたきを見つけることはできなかった。精神の緊張のしつづけで、仙之助の目つきは鋭くなり、表情からあどけなさが消えた。それをおぎなうため、商売の時は、おせじに一段とくふうをこらさなければならなかった。こうなるものと予想できたら、学問なんかより商売のやり方を学んでいたのに。
 歯の浮くようなおせじをしゃべり、お客の同情心を巧妙にかき立てて商売をしながら、かたきをさがしつづける。そういう毎日が、仙之助の心を変えていった。これでいいのだと。彼は東海道をまわり、江戸へ入った。そして、かたきについてなにか情報はないものかと、藩の江戸屋敷にあいさつに行く。
「現在かたきを追跡中です。わたしは健在であると、中間報告かたがたお寄りしました。かたきに関して、なにかうわさをご存知ありませんか」
 応対に出た江戸づめの家臣は渋い顔をした。
「なにもないな。国もとの藩内にあらわれたらすぐつかまえるようにはなっているが、やつもそんなばかなまねはしないだろう。いいか、そもそも、これはおまえの使命なのだぞ。助力を求めたりするな。なしとげるまで中間報告などしなくていい」
「申し訳ありません。で、話はべつですが、精力のつく薬草はいかがでしょう。また、おじょうさまの化粧品は……」
「こんなとこで店開きをするな。困ったやつだ。少ないがこの金をやる。早くかたきを討ってこい。さあ、さあ……」
 追い出されてしまった。まだ家督をついでいないので、藩士としての待遇を受けられない。しゃくし定規のあつかいだった。
 仙之助は一年ほど江戸の裏長屋で暮した。江戸は人口が多いだけに、なんとか食うことはできた。彼は金のある後家さんの用心棒兼情夫といったものになり、食いぶちを確保した。武士にあるまじきことだが、かたき討ちという大望の前には、方便として許されていいことだろう。いいも悪いもない。ほかにどんな方法で生きてゆけというのだ。
 ひまをみて江戸中を歩きまわったが、かたきにはめぐりあえなかった。動くより一カ所で待つほうがいいかもしれぬと、易学の本を買い、易者の店を出した。よく当るというより、おせじがうまいとの評判で、いくらかのお客がついた。しかし、かたきが前を通ってはくれなかった。彼は時どき、こんな中途半端なことで一生を終るのかと、いてもたってもいられなくなる。
 仙之助はまた旅に出た。東北をまわり、さらに関西へ出かけ、くまなく歩いた。怪しげな占いをやり、的中しているあいだはそこに腰をすえて、おどし半分いいかげんな薬を売り、ぼろが出はじめると、とたんに姿を消して次の地に移る。詐欺すれすれだが、これも大望のためと自己をなっとくさせた。藩を出てから十年以上の年月がたち、彼も三十歳に近かった。
 街道や城下町で、まともな武士を見ると、わが身の不運を痛切に感じる。あんなことさえなければ、いまごろは妻帯し、のんきなお城づとめをやっていられたのに。一日も早く、そうならなければならない。本懐をとげ帰国する日のことだけを夢みながら、彼は旅をつづけた。
 仙之助が関八州をしらみつぶしに調べようと歩きまわっている時、声をかけられた。
「もし、お武家さま。失礼ながら、ご浪人とお見うけしますが……」
 ふりかえると、そいつは土地のやくざらしい。仙之助は旅で苦労しており、応対にもなれていた。
「必ずしも浪人ではないが、大差ない。で、なにかご用か」
「お急ぎの旅でなければ、腕をお借りしたい。宿舎、食事、お礼、すべて保証します」
「ははあ、出入りの助太刀だな」
「これはお察しがいい。さようで……」
「金になることなら、なんでもするぜ」
「では、こちらへ……」
 案内されて親分の家に行くと、やはりやとわれたらしい年配の浪人者が、酒を飲んでいた。仙之助に声をかける。
「まあ、一杯いこう。浪人どうしで……」
「必ずしも浪人ではないが……」
「ははあ、わかった。かたき討ちだな。つまらんことを聞くようだが、届けはしてあるのだろうな」
「知らないぞ。なんのことだ。かたきを討ちさえすれば、いいのではないのか」
「自分の姓名、殺された者との続柄、かたきの姓名。それらを幕府に届け出ておかなければならない。まあ、藩からその手続きがなされているとは思うが、念のためということもある。この近くに代官所がある。重複になるかもしれないが、やっておいたほうがいいぞ。それは代官所から勘定奉行経由で幕府にとどく。届けは二通作ったほうがいい。一通は提出用、一通は同文のものを受理したとの証明をつけてかえしてもらうのだ。書式はこうだ」
 浪人者はふところから大事そうに出して見せた。
「あなたも同様でしたか。いろいろとご教示かたじけない。さっそくその手続きをしてきましょう。酒はそれからにします」
 仙之助はそれをやり、代官所から戻ってきて浪人者にあらためて聞く。
「あの手続きをしてないと、どうなるのですか」
「かたきを討っても、ただの人殺しあつかいされ、処刑されかねない。藩に問い合せてくれ、その事実がはっきりすれば釈放となるが、面倒くさがる役人も多いしね。幕府への届けが登録されているかどうかを調べるだけで、やめてしまう。処刑の時間かせぎに、かたき討ちだと犯罪者がそれぞれ申し立てたら、きりがない。いつだったか、気の毒なのを見たぜ。かたきを討ったはいいが、藩から幕府へ届けの手続きがなされていなかった。そのため、罪人にされ首をはねられた。なんともなぐさめる言葉がないね。念のためと言ったのは、その心配さ。かりに藩がなまけてた場合、あんたが今までかたきにめぐりあわなかったのは、大変な幸運ということになるわけだ」
 それを聞き、あまりのことに仙之助は恐怖でふるえた。信じがたいことである。
「なんということ。しかし、藩が手続きをなまけるなど、ほんの例外なのでは……」
「さあ、どうかな。あまりにその届けが多いと、藩内の取締り不行きとどき、あるいはお家騒動の芽がある。そんな印象を幕府に与えることになるぜ。江戸づめの家老は、適当に調節したくなるんじゃないかな。それに、かたき討ちなんて成功しないものと思いこんでいる。成功するのは、百人に一人あるかないかだものな」
「しかし、脱走藩士を討つのは主君のためであり、子が親のあだを討つのは孝のあらわれでしょう。わたしはそのために、今日まであらゆる屈辱をしのんで……」
 久しぶりにありついた酒の酔いもあり、仙之助はこれまでの苦心を話した。だれかに聞いてもらいたい気分だった。浪人者はうなずきをくりかえし、そのあとで言う。
「なんと運のいい人。あんたは若く才能があり、要領よくやってきたな。普通はそんなものじゃない。意気高らかに藩を出るが、たちまち金はなくなり、刀を売り、乞食に落ちぶれる。乞食に徹底できればいいが、変に誇りがあるから、食にありつけない。畑荒しで食いつなぐ。そのあげく、のたれ死にだ。金もうけだけだって容易でないのに、かたきを追うのだから、うまくゆくわけがない。二兎を追う者は一兎も得ずだな。藩も親類も、そうそう金はくれないしな。逃げるかたきのほうも必死だから、金銭の援助をつづけたらきりがない。いいかげんで打ち切り、ていのいい見殺しさ」
「ああ、あんまりだ」
「そう、ひでえもんさ。親を殺されただけでも被害者なのに、そのうえ自分までのたれ死にと、二重の被害を受ける。こんな残酷な人生はないだろうさ」
「しかし、だれもこれが自分の使命と信じて、必死にかたきを追いつづけているわけでしょう」
「だから、なお悲惨さ。忠孝の美名のもとに、そんな人生にあまんじている。裏で喜んでいるのは藩の上層部。かたきと、それを討つほうと、二つの家が断絶になるんだからな。かたきも、殺されたほうも、どうせくだらん人物の家柄さ。短慮と不覚という点でね。人べらしになり、支給する禄が浮く。藩の財政がそれだけ楽になるし、新しく優秀な人材を召抱えることもできるしな」
「ひどすぎる。信じられない」
「こんなことで腹を立てるんじゃ、あんたも甘いよ。おれはこの方面について、けっこうくわしいんだ。はなばなしい成功の話だけが伝えられてるから、みなその幻にとりつかれてるが、うまくいった実例はほとんどないぜ」
「ううん……」
 仙之助は反論できなかった。自分の立っている地面が崩れてゆく思いがした。その二日後、やくざたちの出入りがあった。やとわれた義理で、彼と浪人者は手助けをした。その日の仙之助の働きはすごかった。浪人者から聞かされた話の衝撃で、なかばやけになっていたためでもある。
 その働きをみとめられ、いつまでもご滞在くださいということになった。浪人者と酒を飲んで日をすごし、たまに出入りの手伝いをすればいい。正式に武芸を習ったおかげで、やくざに負けることはなかった。また、真剣で人とわたりあう練習にもなった。
 いごこちがいいなかで、何年かがたった。そのうち、相棒の浪人者が病気になり、寝床のなかから仙之助に言った。
「おれはもうだめらしい。しかし、のたれ死にすることなく、これまで生きてこられた」
「あなた、口では投げやりなことを言っていたが、内心では本懐をとげられず、残念なのではありませんか。もし故郷の親類に伝えたいことがあったら、わたしがやってあげますよ」
「あんたは、まだまだ甘いぜ。おれは今まで、だましてきた。じつは、おれはかたきのほうだった。逃げ方を研究したあげく、最もいい手段を思いついた。うわさを流し、討つ側をおびき寄せ、やみ討ちにし、相手の書類をとりあげてしまう。それをやってのけた。書類を持っていたのは、そのためさ。それに、他人に見せると、ていさいもいいしな」
「あなたは悪人だ」
「かたきとしてねらわれる者は、みな悪人さ。しかも、身の安全のために、卑怯だろうがなんだろうが、必死で知恵をしぼる。どうせ藩に戻れるものじゃなし、生きることが唯一だ。おれの想像だが、本懐をとげた例より、かえり討ちにされた例のほうが、何倍にもなるんじゃないかな。そんな話は伝わらないから、だれも知らないだけのことさ」
「まるで救いがない」
「おれの体験による、あんたへの忠告だ。いつ、やみ討ちにあうかわからんよ。一方、討つほうは、卑怯な手段でやったのでは、帰参がかなわない。どうみても損だよ」
 浪人者は言うだけ言って死んでしまった。仙之助の性格は、さらにすさんだものとなった。殺される不安におののかなくてはならぬのは、かたきより自分のほうだとは。これでは、理屈もなにもあったものじゃない。
 彼は江戸へ戻り、よからぬ一味に入った。ばくち場の用心棒をやったり、金の取立てをうけおったり、|恐喝《きょうかつ》同様のことまでやるようになった。かたきを討つ身というのが他人への弁解、自分の良心はなきにひとしかった。金が手に入ると、ばくちや酒色に使う。
 ある日の夕方、ばくちの負けがこんで金がなくなり、仙之助はついに強盗をおこなった。ある商店が、現金を定期的に運ぶことを彼は知っていた。それを道ばたで待ちかまえていて、不意におそった。商人は金をほうり出して逃げ、供をしていた男は、こざかしくも短刀を抜いてむかってきた。護衛にやとわれた男だろう。仙之助は切りつけたが、相手はしぶとく抵抗してくる。
 そのうち、だれかが知らせたのか、呼子が鳴り、町奉行の配下の者たちがかけつけてきた。こう人数が多くては、どうしようもない。これでわが人生もおしまいか。仙之助はなわをかけられた。与力は傷ついている男に言う。
「まちがいないだろうが、おまえに切りつけてきたのは、たしかにこいつか」
 灯が近づけられた。その明るさで相手の顔を見た仙之助は、思わず叫ぶ。
「こいつだ、こいつにちがいない」
 与力は制止する。
「きさまは、だまっとれ。ふとどき者め」
「いえ、そうじゃないのです。こいつこそ、わが父のかたき。二十年にわたり、さがし求めつづけた相手。いま、やっとめぐりあえ……」
 仙之助に言われ、与力は男をふりかえる。青ざめ、返答はしどろもどろ。さっき逃げた商人を呼びかえして聞くと、やとった時期が一致している。仙之助は届けてある書類の控えを見せる。条件はすべてそろった。与力は仙之助のなわをほどいて言う。
「かたき討ちとは知らず、まことに失礼いたした。さあ、この場で本懐をとげられよ」
 すでに手傷はおわせてあり、やくざ相手に切りあいの経験もつんでいる。首をあげるのは容易だった。仙之助はそれを、藩の江戸屋敷に持ちこむ。
「やりとげましたぜ。これです」
 すでに二十年の歳月がたっており、若い家臣たちには確認できなかった。年配の家老が出てきて、やっとたしかめた。
「しかし、よくやったな」
「たぶんだめだろうと、お思いになってたのじゃありませんかね」
「そんなことはない。必ずやりとげると期待していた。さっそく帰参の手続きをとり、相続できるよう、国もとに手紙を書こう。それを持って帰るがいい」
 仙之助は藩に帰り、正式に五十石の武士となれた。もちろん大変な話題になったが、それもやがておさまってしまう。彼はお城づとめをしたが、ほかの者たちとのずれがあり、どうもしっくりしない。
 少年時代にはげんだ学問は、かたきを求めての旅で、すっかり忘れてしまった。旅の年月で身につけたことは、いま、なんの役にも立たない。言葉づかいや動作も、武士らしくなくなっている。いまさら武士に戻る修業をしようにも、四十歳ちかくなっては無理というものだ。長い荒れた生活で、そんな意欲もなくなっている。まともなつとめは苦痛だった。かたきを討てば討ったで、またしても被害者の立場に追いやられるとは。青春を浪費してしまい、とりかえしはつかない。
 さすらいの旅のことが、なつかしくさえあった。苦労はあったが、自由もあった。ここには、お家安泰、わが身大事のなまぬるい毎日しかない。
 ほかの、ずっと平穏にすごしてきた家臣を見ると、この不公平さへの不満で腹が立つ。つい皮肉のひとつも言いたくなる。目つきだって、他人にいやな印象を与えているようだ。言いあいになったら、だれかがかっとなって切りつけてくるかもしれない。そうなると、こっちも刀を抜くかもしれない。またもかたき討ちが発生する。
 仙之助は城内で異分子のような存在だった。彼は苦心談や手柄話をあまりしなかった。まともに話せるしろものではないし、話したところでだれも理解してはくれまい。いまさら武士の娘と結婚する気もしなかった。かたくるしく、うまくゆくわけがない。彼はいろいろと考え、それを実行に移した。
 兄の三男を養子に迎えた。しばらくして、家督を養子にゆずり隠居したいと申し出る。二十年間の疲れのためというのが理由だった。ほかならぬ仙之助のことであり、異分子がいると周囲も気がねしなくてはならず、ちょうどいいとそれはみとめられた。
 やっと手に入れたといえる武士の地位だが、それを持ちつづける気も今やない。養父から養子へ橋わたししただけのことだ。それからさらに時期をみて、仙之助は出家して仏門に入ると申し出た。かたきとはいえ、同藩の武士を殺した。その気持ちの整理をしたいというのが理由。それもみとめられた。
 僧となると、修行のためにという名目で、藩から出てゆくことができる。武士であることをやめてしまったのだ。
 
「……というわけで、ここにいることになったのですよ」
 仙之助すなわち仙太は話しおえた。姉といっしょの少年の武士は、こう言った。
「大変なご苦心でしたね。実情はそういうものかもしれませんね。わたしたちの今の考えは、楽観的かもしれません。しかし、手ぶらで藩に帰ることは許されません。使命を捨てて江戸で商人になろうにも、その自信はない。かたきを求めて旅をつづける以外にはないでしょう」
「しかし、わたしの場合、偶然とはいえかたきを討てただけ、まだいいほうです。それでさえ、このばかばかしさ。あなたがたはどうなりましょうか。やみ討ちにあうか、のたれ死にか。あなたはいいでしょうが、姉上のことを思うと、胸が痛みますな」
「ご意見はよくわかりましたが、なんだか遠まわしのようです。問題点をはっきりとおっしゃって下さいませんか」
 少年に聞かれ、仙太は身を乗り出した。
「そこですよ。もしお望みならばですが、すべてをうまく取りはからい、帰参できるよう形をととのえてさしあげます。わたしの商売というわけでして、いくらかお金をいただきますがね。しかし、わたしの自己満足のためでもあるので、決して法外な額は要求しませんよ」
「商売といいますと……」
「出家して藩を出る時には、ぼんやりした構想しかなかった。しかし、この寺で働くようになってから、ある日、ひとつの事件があった。五十歳ぐらいの武士。身なりは|乞食《こじき》以下でしたがね。それが小さな墓をなぐりながら、大声でくやし泣きしている。わけを聞いてみると、かたきを討つため十五年も全国をまわったという。わたしの二十年よりは短いが、としがとしだけに、さぞ苦しいものだったでしょう。国もとに妻子を残してですよ。風のたよりにかたきの所在を知り、やっとつきとめてみると、相手はすでにこの墓の下……」
「そんな場合はどうなるのです」
「どうにもなりませんよ。自分の手で討ちとったのでないから、使命をはたしたことにならず、国へ帰るのは許されない。旅をつづけようにも、かたきはもうこの世にいない。国では妻子が待っている。死ぬに死ねず、生きる目標はなにもない。妻子を江戸に呼ぼうとしても、藩では任務を放棄するつもりかもしれぬと、それも許されない」
 仙太の話に、はじめて姉が口を出した。
「なぐさめようもありませんわね」
「かたきの死亡を知らないほうが、まだ救いがありますな。こんな例がまた多いんですよ。わたしはこれを現実に見て、同情を通り越して、いきどおりをおぼえました。そこで、その年配の武士のお手伝いをしてあげる気になったのです」
「どうやって……」
「この近くに刑場がある。処刑された罪人は墓を立てることが許されない。死体はここに運ばれ、寺の片すみに埋められるだけです。そのあわれな武士をひきとめておき、似たような首を選ばせてやったわけです。似てないところは加工した。切りあいのあげくのように、耳を切ったり歯を折ったりです。その首を|壺《つぼ》のなかに入れ、|焼酎《しょうちゅう》をそそぎこみ、ロウで封をした。当人にも少し傷あとを作り、刃こぼれのある刀を持たせ、国へ帰してやりました。くわしい武勇伝も作ってね。何回も話しているうちに、つじつまがあわなくなったりしないようにです。わたしの経験で知ったことですが、人間というものは、作り話でもいいから、もっともらしくはなばなしく、聞いた人が他人に伝えやすい形のものを好むようです」
「それでは藩をあざむくことに……」
「現実にかたきは死んでいるのですよ。だれが傷つくわけでもない。みな無事におさまるのです。このお礼の手紙をごらんなさい……」
 仙太は手紙を見せて読んだ。
「……おかげさまで帰参ができ、いまは妻子とともにやすらかに日をすごしている。すぎし日が悪夢だったのか、いまが夢なのか。この夢がさめないよう祈るばかりです。禄高の一割をお送りします。武士の収入は確実ですから、わたしの生きている限りはお送りできましょう。同じ境遇のあわれな人たちを助けるお役に立てて下さい。こんな内容です。差出人の名は秘密ですがね」
「そういうことでしたか」
「それから、ずいぶん助けましたよ。ばかげた苦労など、短いほうがいい。ここで似た首を手に入れ、品川の宿からすぐ帰国していった人もいます」
「かたきの生死をたしかめずにですか。もし、かたきがのこのこ出現したら、どうなるのです。すぐばれてしまうでしょう」
「かたきがそんなばかなことするわけ、ないでしょう。そのような心配はいりません」
「つまり、あなたはわたしたちに、それをすすめるわけですか」
 少年の問いに、仙太は床下をのぞかせ、そこに並んでいるたくさんの壺を指さした。
「これだけ首の用意があります。特徴はフタに書いてあります。年齢、丸顔か角顔か鼻の形などをね。処刑された悪人ですから、みな人相がよくなく、かたきにふさわしい首ばかりです。少し加工すれば、お望みの人相にすぐなおせます。ここにこれだけそろっていることを頭に入れておいて下さればいいのです。ご自分の手で討ちたいというのを、おとめはいたしません。しかし、のたれ死によりはとお思いになったら、いつでもお待ちしております」
「ううん。考えさせられるな」
「かたき討ちという慣習には、いい面もたしかにあります。しかし、理屈にならぬ不合理な面もある。そのひずみをなおす役に立ちたいだけです。表には裏があるものです。きびしい武士のおきてにも、裏が必要でしょう。形式さえととのっていれば、帰参はすぐ許されるのです。念のために、粗末な小さな墓石を作り、かたきの名を刻んで立ててあります。かりに藩の人がやってきても、その日付を見せてわたしがうまく証言してあげるから、ばれることはない。あなたがたも、江戸の町奉行所を通じて、幕府にかたき討ちの届けをまずなさって下さい。そして、このかたき討ちの仙太を心にとめておいて下さい」
「わかりました。相談の上、いずれあらためて……」
 少年と姉は帰っていった。遠からず戻ってくることを仙太は知っている。いままでだれもがそうだった。真実と体験による説得にまさるものはない。
 
 東海道ばかりでなく、江戸からはほかの街道ものびている。そこの宿場には、仙太の子分が各所で網を張っている。そして、うしろをふりむきながらそわそわした態度で歩いてくる武士に話しかける。
「もし、お武家さま……」
「なにか用か、急いでいるのだ」
「ご事情があることは、一目でわかりますよ。わたしもかつて、そうでした。武士の意地で同じ藩の者を殺し、逃亡し、急ぎ足で江戸へ逃げてきたものですから。おっと、刀なんか抜いちゃいけませんぜ。目立ってしまいますよ。まあ、歩きながら、わたしの話を聞いて下さい。いつ殺されるのかとおびえながらの、終りのない逃亡の旅。いやなものですなあ。その努力をいいほうにむけたら、どんなに世の役に立つことか。わたしは、その恐怖から救われたのです。かたき討ちの仙太という人によってです。品川のお寺のなかですよ。もしお気がむきましたら。え、すぐ連れてってくれですって。承知しました」
 そして、仙太のところへ連れてくる。仙太は床下の壺のひとつをあけ、焼酎につけた首を見せる。
「これの、目のあたりを加工すれば、あなたそっくりになりますな。ちょうどいい。おそらく、近いうちにあなたを追って江戸へやってくるわけでしょう。どんな人が来るか、特徴をうかがっておきましょう。その人を説得して、これを押しつけるのです。その自信はあります。いかがでしょう」
「ぜひ、たのむ。同輩を殺した瞬間から、反省のしつづけだ。といって、討たれてやる決心もつかない。かたきとなってから、気の休まるひまがない。命以外のことですむのなら、いかなるつぐないもする。なんとか話をつけてくれ」
「おまかせ下さい。しかし、あなたは人を殺しているのです。この反省を忘れてはいけませんよ。オランダ医学を勉強なさい。死んだ気になれば、できないことはない。そして、病人の命を救ってあげるのです。時には、この首の加工も手伝ってもらいますよ」
「いろいろとご指導、かたじけない。あなたは命の恩人、死ぬまで指示に従います」
 かたきからは命の恩人と感謝され、討つほうからは人生の恩人と思われ、仙太の仕事は順調だった。
 
 ある日、寺社奉行がやってきて、仙太に言った。
「おい、仙太とやら。うわさによると、かたき討ちに関係して、なにやら首の仲介をしているとか……」
 こういう役人を相手に理屈をこねてもむだなことを仙太は知っている。芝居もどきの口調で言う。
「かたき討ち仙太は男でござる。他人に迷惑のかかることは、死んでも口を割りません。いや、ひとつだけ申し上げましょうか。わたしの三代前の、初代の仙太のやったことです。ほら、あの|吉良《き ら》|上野《こうずけの》|介《すけ》さまの首。討入りの寸前、大石|内蔵《くらの》|助《すけ》さまへ、そっくりに作りあげておとどけしたと聞いております。あれだけの壮挙、最後にかたきの首を取れなかったら、国じゅうの笑いものです。それに、赤穂浪士のなかに、吉良さまの顔を知っている者がいたでしょうか。さすがは大石さま、万一の場合にそなえて、慎重な準備をなさった。吉良家のほうでも、それですむならというものです……」
 寺社奉行はけむに巻かれた。
「なにを言う。そんな話がひろまったら、幕府の威信がめちゃめちゃになる。おまえは頭がどうかしておるようだな」
「はい。そうしておいて下さい。そんな話、わたしの口からはしゃべりはしませんよ。そのかわり、わたしをしょっぴいたりもしないで下さいよ。そんなことになったら、あなたもただではすまない。あなたをだれかのかたきに仕立ててやる。逃げまわるのがどんなにつらいか、お考えになってみませんか……」
「おどかすな。いよいよ、頭がどうかしている」
 寺社奉行はそのまま帰っていった。よく考えた上なのか、気ちがいと判定したのか、保身を考えてか、そこまではわからない。仙太は仕事をつづけることができた。
 仙太はやがて死去したが、その仕事をうけつぐ者があり、やはり仙太と名乗って多くの人の人生を助けた。幕末になると、京へ赴任する幕府の役人は、どこから聞いてくるのか、ここに立ち寄り、自分に似た首の入った壺を買いとる者が多かった。「|天誅《てんちゅう》を加えるもの也」との書とともに、京の町にさらされた首もかなりあったそうだが、本当に殺されたものやら、自分でそうやって姿をくらまし要領よく生きのびたものやら……。

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11/25 03:56