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翌日の十四日の三時半ごろ、とみ子がレバンテに行くと、安田は奥の方のテーブルに来て、コーヒーを飲んでいた。
「やあ」
と言って前の席をさした。店で見なれている客を、こんな所で見ると、気持がちょっとあらたまった。とみ子はなんとなく頬を上気させてすわった。
「八重ちゃんはまだですの?」
「もうすぐ来るだろう」
安田は、にこにこして、コーヒーを言いつけた。五分もたたないうちに、八重子も、妙に恥ずかしそうにしてはいって来た。近くには若いアベックが多く、一目でその方の勤めと知れる二人の和装の女は目立った。
「何をご馳走しよう。洋食か、天ぷらか、鰻か、中華料理か?」安田はならべた。
「洋食がいいわ」
二人の女はいっしょに返事した。日本食の方は、店で見あいているらしかった。
レバンテを出ると、三人は銀座に向かった。この時間なら、銀座もそう混(こ)んではいない。天気はよかったが、風は冷たかった。ぶらぶらと歩いて、尾張町(おわりちよう)の角から松坂屋の方に渡った。二週間前の年末と打って変わって、銀座も閑散(かんさん)だった。
「クリスマスの晩はすごかったわねえ」
安田のすぐ後で、二人の女はそんなことを言いあっていた。
安田は、コックドールの階段をのぼった。ここも空(す)いていた。
「さあ、なんでも好きなものを言いたまえ」
「なんでも結構だわ」
八重子もとみ子も、いちおう遠慮したが、やがてメニューをかかえて相談しはじめた。なかなか決まらなかった。
安田は、腕時計をそっと見た。八重子がそれを目ざとく見つけて、
「あら、ヤーさん。おいそがしいの?」
と目を向けた。
「いや、いそがしくはないが、夕方から鎌倉に行く用事がある」
安田が卓の上で指を組んで言った。
「あら、悪いわ。じゃ、とみちゃん、早く決めましょうよ」
それでようやく決定した。
スープからはじまったから、料理が終わるまで、かなりな時間をとった。三人はとりとめのないことをしゃべりあった。安田はたのしそうだった。フルーツが出たとき、彼は、また時計を見た。
「あら、お急ぎになるんじゃない?」
「いや、まだ、いいよ」
安田はそう答えた。しかし、つぎのコーヒーが出たとき、彼はもう一度、カフスをめくった。
「もう、お時間でしょう。失礼しますわ」
と、八重子が腰を浮かしそうにして言った。
「うん」
安田は、煙草をすいながら、目を細めて何か考えるようにしていたが、
「どうだい、君たち。このまま別かれるんじゃ、おれ、ちょっと寂しいんだ。東京駅まで見送ってくれよ」
と言いだした。半分、冗談ともつかず、本気ともつかぬ顔つきだった。
二人の女は顔を見あわせた。彼女らも、いいかげん、店にはいるのが遅れている。この上、東京駅に行って来たのではもっと遅れる。しかし、このとき、安田辰郎の表情には、さり気なさそうにしているが、妙に真剣なものがあった。ほんとうに寂しいのかな、と女たちは思ったほどだった。それにご馳走になった手まえ、すげなく突っぱなすのも悪い気がした。
「ええ、いいわ」
と先に思い切ったように言ったのは、とみ子だった。
「お店に、も少し遅くなるからと、電話で断わってくるわ」
そう言って、彼女は電話のある方へ立って行ったが、まもなく、にこにこして戻って来た。
「なんとか言っておいたわ。じゃ、お見送りに行きましょう」
そうか、悪いな、と言って安田辰郎は立ちあがった。このとき、彼はまた腕時計を出した。よく時計を見る人だと女たちは思った。
「何時の電車にお乗りになるの?」
八重子がきいた。
「十八時十二分か、その次に乗りたい。今、五時三十五分だからな、これから行けばちょうどいい」
安田はそう言いながら、せかせかと勘定を払いに歩いた。
車は駅に五分ぐらいで着いた。車のなかで、安田は、
「すまんなあ」
とあやまっていた。八重子もとみ子も、
「いいわよ。ヤーさん。これぐらいのサービスしなきゃ、こちらが悪いわ」
「そうよ、ねえ」
と言っていた。
駅につくと安田は切符を買い、二人には入場券を渡した。鎌倉の方に行く横須賀線は十三番ホームから出る。電気時計は十八時前をさしていた。
「ありがたい。十八時十二分にまに合うよ」
と安田は言った。
だが、十三番線には、電車がまだはいっていなかった(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)。安田はホームに立って東側の隣のホームを見ていた。これは十四番線と十五番線で、遠距離列車の発着ホームだった。現に今も、十五番線には列車が待っていた。つまり、間(あいだ)の十三番線も十四番線も、邪魔(じやま)な列車がはいっていないので、このホームから十五番線の列車が見とおせたのであった。
「あれは、九州の博多(はかた)行の特急だよ。あさかぜ号だ」
安田は、女二人にそう教えた。
列車の前には、乗客や見送り人が動いていた。あわただしい旅情のようなものが、すでに向かい側のホームにはただよっていた。
このとき、安田は、
「おや」
と言った。
「あれは、お時さんじゃないか?」
え、と二人の女は目をむいた。安田の指さす方向に瞳(ひとみ)を集めた。
「あら、ほんとうだ。お時さんだわ」
と、八重子が声を上げた。
十五番線の人ごみの中を、たしかにお時さんが歩いていた。その他所行(よそゆき)の支度といい、手に持ったトランクといい、その列車に乗る乗客の一人に違いなかった。とみ子もやっとそれを見つけて、
「まあ、お時さんが!」
と言った。