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しかし、もっと彼女たちに意外だったことは、そのお時さんが、傍(そば)の若い男と親しそうに何か話していることだった。その男の横顔は、彼女たちに見おぼえがなかった。彼は黒っぽいオーバーを着て、これも手に小型のスーツケースをさげている。二人は、ホームの人の群(むれ)の間を、見えたり隠れたりして、ちらちらしながら列車の後部の方に向かって歩いていた。
「まあ、どこに行くんでしょう?」
八重子が息をのんだような声で言った。
「あの男の人、誰でしょうね?」
とみ子もかすれた声を出した。
三人の目にさらされているとは知らずに、お時さんは、連れらしい男といっしょに歩いていたが、やがて一つの車両(はこ)の前に立ちどまって、列車の車両番号を見ていたが、ついと男の方から先に内部(なか)にはいって、姿を消してしまった。
「お時さんも、なかなか隅におけないね、彼氏と九州まで旅行するのかな?」
安田は、一人でにやにやしていた。
二人の女は、まだ棒のように立っていた。びっくりした表情が、まだ顔からさめていない。お時さんが姿を消した車両を見つめて声をのんでいた。その前には絶えず旅客が動いている。
「お時さんは、いったいどこへ行くのかしら?」
八重子がやっと言った。
「特急に乗るなんて、近い所じゃないわね」
「お時さんにあんな人がいたの?」
とみ子が声をひそめた。
「知らないわ。意外だわね」
二人は大変なものを見つけたように、低い声で言いあった。
八重子もとみ子も、じっさいはお時さんの私生活をよく知っていなかった。彼女は、あまり自分のことはしゃべりたがらない方である。結婚はしていないらしい。恋人がある様子もないし、浮いた噂(うわさ)も聞かなかった。いったい、そういう店に勤めている女には、朋輩になんでもあけすけに話したり、相談したりする型と、自分のことは石のように黙っている型とがあるらしい。お時さんは、その黙っている方だった。
だから二人の女は、知らない彼女の一部分を偶然に発見した思いで、衝撃(シヨツク)をうけたのだろう。
「どんな男か、あのホームまで行って窓からのぞいてやるわ」
八重子がはずんだ声で言った。
「よせ、よせ。他人(ひと)のことは放(ほ)っとくものだ」
安田が言った。
「ああら、ヤーさん、妬(や)かないの?」
「妬くものか。おれもこれから女房に会いに行くんだ」
安田は笑った。
そのうち横須賀線の電車がはいってきた。これは十三番線だから、この電車のために、十五番線のホームはかくれて見えなくなってしまった。あとで調べたときに、この電車は十八時一分にホームに到着したことがわかった。
安田はその電車に片手をふりながら乗った。これは十一分後に出るから、しばらく間(ま)がある。
安田は窓から顔を出して、
「もう、いいよ。いそがしいだろうから、帰ってくれたまえ。ありがとう」
と言った。
「そうね」
と、八重子が言ったのは、これから十五番ホームに駆けて行って、お時さんとその相手をのぞいてみたい気持が動いていたからである。
「じゃ、ヤーさん、失礼するわ」
「行っていらっしゃい。また、お近いうちにね」
二人の女は安田と握手して離れた。
階段をおりながら、八重子が、
「ねえ、とみちゃん、お時さんをちょっとのぞいてみない?」
と誘った。
「わるいわ」
と、とみ子も言ったものの、まんざらでもないらしい。二人は、そのまま、十五番ホームに駆けあがった。
たしかに、それと思われる特急の車両の近くに寄って、見送りの人たちの間から、窓を見た。車内は贅沢(ぜいたく)に明かるい。その光線は、座席にすわったお時さんと横の若い男とを、あざやかに浮き出した。
「まあ、お時さんはたのしそうに話しているわ」
八重子が言った。
「ちょっと男前ね。いくつぐらいかしら」
とみ子は男の方に興味をもった。
「二十七八かな。九ぐらいかしら」
八重子が目を凝(こ)らした。
「お時さんより、少し上ぐらいね」
「内にはいって、ひやかしてやりましょうか」
「およしよ、八重ちゃん」
さすがにとみ子はとめた。それからしばらく二人の様子を観察していたが、
「さ、行きましょ。遅くなったわよ」
と、まだ未練(みれん)げに見ている八重子をうながした。
二人の女は、「小雪」に帰ると、さっそく、女将(おかみ)に報告した。女将も意外だったらしい。
「へえ。そうなの? お時さんからは、昨日、五六日郷里(くに)に帰るから休ませてくれと言われていたんだけど、へえ、男の人とねえ」
と、目をまるくしていた。
「じゃ、きっと口実よ。だって、お時さんは秋田の方だと言ったじゃないの」
「あんなおとなしい女(ひと)が見かけによらないのね。京都あたりを、いい気持で遊んで歩くのかもしれないわ」
三人は顔を見あわせた。
その翌晩、安田が、また客を連れてきた。例によって客を送り出してから、
「どうだい、お時さんは今日はお休みだろう?」
と、八重子に言った。
「今日はお休みどころじゃないわよ。一週間ぐらい休むらしいのよ」
八重子が眉を上げて告げた。
「ほう。じゃ、あの男と新婚旅行か?」
安田は杯を口からはなしながら言った。
「そうなのよ。あきれたもんね」
「あきれることはないさ。君たちもやればいいじゃないか?」
「おあいにくさまね。それとも、ヤーさん、連れて行ってくれる?」
「おれか。おれはだめだ。そう何人も連れて行けない」
そんなことを言いあって、安田は帰ったが、仕事の都合なのか、また、あくる晩に二人の客を連れてきて飲んだ。
このときも、とみ子と八重子が座敷に出たので、安田との間に、お時さんのことが話題となった。
しかし、そのお時は、同伴(つれ)の男といっしょに、思いもかけぬ場所で、死体となって発見されたのである。