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点と線(三)香椎駅と西鉄香椎駅03
日期:2018-01-12 23:06  点击:294
 
 翌日、二つの死体の引取人が、東京から福岡に到着した。死体は、最後に解剖した病院の屍室に安置してあった。
 佐山憲一の引取人は、その実兄という四十二三の、髭をたくわえた、肥えて風采(ふうさい)のよい男であった。彼は某銀行支店長の肩書のある名刺を署員にさし出した。
 お時の方は、その実母と名乗る六十歳ばかりの老婆と、二十七八の粋(いき)づくりの感じのする女が引取人として出頭した。彼女はお時のつとめていた赤坂の料亭「小雪」の、いわゆるお座敷女中で、とみ子という名だと言った。
 ところで、奇妙な現象が起こった。この両方の引取人は、決してたがいに口をききあわないのである。警察署の調室でも、病院の待合室でも、彼らはつねにいっしょになるのだが、両方で目をそむけあっていた。もっとも、その空気をつくったのは、佐山の実兄の銀行支店長の方であろう。彼は、この女二人をさも憎々しげな目つきで見すえ、終始、堅い表情で構えていた。それは女たちがさもいまいましくてけがらわしいと言いたげな顔であった。これでは女二人も取りつく島がないというものである。彼女らは、佐山の実兄のその目を恐れるように、おどおどとしたところがあった。
 そのことは、署の刑事部長が事情聴取のために三人に質問した答弁に、はっきり出た。
「弟さんが心中をなさる原因とでもいう事情に、お心あたりがありますか?」
 ときくと、この髭のある支店長は、どこかもったいぶった口ぶりで答えたのであった。
「今回は、弟がとんだ恥さらしをして赤面しております。死の原因については、新聞などにいろいろ言われていますが、役所のことは、私にはとんとわかりません。汚職事件で弟が上司を、死をもってかばったかどうか、もちろん知りません。最近会ったのは三週間ぐらい前ですが、そのときはだいぶ沈んでおりました。弟は無口な方で、別段何も言いませんでした。家内を三年前になくし、前から、二度目の結婚の話が持ちあがっていたのでした。ところが、弟はどうも再婚の話には気が乗っていないようで、話は渋滞(じゆうたい)していました。こんどのことで、はじめて弟にそういう女があったのかとわかったようなしだいです。弟はまじめな性格で、女のことでかなり苦しんでいる様子だったとは、弟の親しい友人からこちらに発(た)つ前に聞きました。ばかな奴で、そんな問題があれば、一口、私に言えばよかったのにと残念に思うくらいです。残念なといえば、相手の女が赤坂の料理屋の女中だったことです。もう少しどうかした婦人なら、私も諦(あきら)めがつくのですが、これではやりきれません。たぶん、女遊びもしたことのない弟は、男には海千山千のその種類の女に翻弄(ほんろう)されて、心中をせがまれたに違いありません。きっと女には死なねばならぬせっぱつまった事情があり、弟を道づれにしたのだと思います。せっかく、これからという前途のある弟を、そんな目にあわせた相手の女が、私は憎くてなりません」
 支店長はその憎悪を、その女の死体引取人に先刻から振り向けているように見えた。彼は女二人にけっして口をきかないばかりか、人目がなく、自分のきどった体裁(ていさい)を構わなかったら、罵声(ばせい)を浴びせて、打擲(ちようちやく)の一つも加えたげであった。
 お時の母親の方は、刑事部長の質問には、こういう答え方をした。
「お時は、ほんとうの名は桑山秀子(くわやまひでこ)と申します。わたしらは秋田の田舎でして、古くから百姓をしておりますが、あの子は一度嫁(かた)づきましたが亭主運が悪く、別かれてからはずっと東京に出て働いておりました。『小雪』さんの方にお世話になる前には、二三度お店を変わったようですが、便りも一年に二回か三回ぐらいで、どんな暮らし方をしているかさっぱりわかりません。何しろ、あの子のほかに、わたしには五人も子どもがいるものですから、気にはしておりながら、いちいちかまっていられない有様でした。こんどのことは、『小雪』さんから電報で知らされて飛んできたのですが、まったくかわいそうなことをしたと思います」
 こんなふうに一気に言ったのではなく、老婆はたどたどしく話した。年齢よりは皺が深く、しょぼしょぼした目のふちは、眼病でも病んでいるように、赤くはれていた。
 ところで、「小雪」の女中とみ子は、つぎのように述べた。
「お時さんと私とは一番の仲よしでしたから、小雪のおかみさんにたのまれて、みんなの代りに私がここへまいりました。お時さんは、三年ばかり前にお店にはいりましたが、お座敷でのお客のあしらいも上手で、お客さまの誰にも好かれておりました。けれども、特別にお座敷以外でつきあっているという仲のお客はなかったようです。もっとも、お時さんはしっかり者で、あまり自分のことを言いたがらない性質(たち)でしたから、わりに仲のよかった私にも、ほんとうの生活はよくわかりません。でも、浮いた噂は一度も聞いたことがありません。ですから、こんどの心中のことはまったく驚いてしまいました。いつそんな深い人ができていたのかと、おかみさんはじめ、みんなびっくりしているしだいです。佐山さんという人は私は知りません。新聞に写真が出ていましたが、おかみさんも、ほかの女中も誰も見おぼえがありませんから、お店に来たことのあるお客ではないようです。けれど、私と八重さんとは、その男の人を、お時さんといっしょのところを東京駅で見かけたことがあります。八重さんというのは、やはり小雪の女中で、私の友だちです」
「見かけたことがある? それはどういうことだね?」
 と、このときに部長がきいている。
「十四日の夕方でした。いつもお店を使ってくださる安田さんというお客があります。その方をお見送りに東京駅のホームに八重さんと二人で行ったのですが、偶然、お時さんとその男の人とが特急列車に乗るのを見かけたのです。私たちは十三番ホームにいたのですが、間にほかの列車の邪魔がなく、十五番ホームが見えたのです。安田さんが、おい、あれはお時さんではないか、と言ったので、私たちも気がついたのです。お時さんとその男とはいっしょにホームを歩き、九州行のその特急に乗りこむのが、たしかに見えたのです。私たちは意外に思いました。お時さんが同伴で汽車で旅行に出かけている。妙なことがあるものだと思いました。つぎにはお時さんの秘密な一面を見た思いで、好奇心も手つだい、安田さんを見送ってから、八重さんと二人で十五番ホームに駆けあがり、その特急列車の窓からのぞきこみました。すると、お時さんはその男の人の隣の座席にすわって、たのしそうに話しているじゃありませんか。まあ、あきれたもんだと思いました」
「その場合、君たちはお時さんと話をしなかったのかね?」
「せっかく、両人(ふたり)でこっそり楽しい旅行に出かけているところですもの。邪魔しては悪いと思ったからそのまま黙って帰りました。そのとき見た男の人の顔が、たしかに新聞の写真に出ている佐山さんという人でした。思えばそれがこんどの心中の出発でしたわ。まさかこんなことになろうとは夢にも考えませんでした。お時さんは、お店に前の日からお休みを申し出ていたそうですから、覚悟の心中だったのでしょうね。いい人でしたが、かわいそうなことをしましたわ。なぜ、死ななければならないのか、お時さんの方には心当たりがありません。もっとも、前に申しあげたように、あの人は自分のことはあまり話さない方ですから、くわしい事情はわかりませんが、新聞によると、佐山さんという人は汚職事件に関係があって、たいそう苦しい立場だったそうですから、お時さんが、それに同情したのでは、ないでしょうか」
 ──死体引取りにきた三人の話は、だいたい以上のとおりであった。これは、刑事の鳥飼重太郎も傍にいて聞いたことである。

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12/01 09:37