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電車に乗ってから、三原警部補は鳥飼重太郎の横の吊革にぶらさがってささやいた。
「どうも、あの部長さんはご機嫌があまりよくないようですね」
鳥飼は苦笑した。目尻に皺が寄った。
「どこでもあることですよ。私は、あなたの考え方がおもしろいと思いましてね。あの部長の前ではお話しにくいだろうと思って、現場をご案内願いがてら、引っぱりだしたわけです」
「いずれ、向こうに着きましたら、お話しします」
鳥飼は、若いが、三原の好意がうれしくなって答えた。
競輪場前から電車に乗って西鉄香椎駅に着いた。ここから現場までは十分とかからなかった。
海岸に出ると、三原はめずらしそうに景色を見た。晴れた日で、海の色が春めいていた。島も沖も霞がかかっていた。
「これが名高い玄界灘(げんかいなだ)ですか? 来るときに汽車の中でちょっと見たのですが、こうして降りて、ゆっくり眺めると、やっぱりいいですなあ」
三原は海の方に見とれていた。
鳥飼は、いよいよ死体の発見された現場を見せた。こういう恰好で、と彼は当時の状況を説明した。三原はポケットから現場写真をとり出して見くらべ、ふん、ふんと、しきりにうなずいていた。
「下は岩地ばかりですな」
三原は地面を見まわして言った。
「そうです。ごらんのように、砂地へ出るまでは、一帯が岩肌ばかりです」
「これじゃ、痕跡は残らない」
三原は、何を思っているのか、そんなことをつぶやいた。
「それでは、鳥飼さんのお考えをうけたまわりましょうか?」
三原がそう言ったのは、現場をはなれて、その辺の大きな石に二人ならんで腰かけたときであった。午後の陽ざしが、オーバーの肩を温(ぬく)めていた。よそ目には陽なたぼっこのように見えた。
「まず、列車食堂の御一人様ですが……」
と、鳥飼は考えを言いはじめた。かねての疑問の理由を述べたのだが、娘の言う「愛情と食欲の問題」も、ついでに話した。
「それで、私は、あの列車には佐山が一人しか乗っていなかったのではないかと思うのです」
三原は興味をもってその話に聞き入った。
「そりゃおもしろい。私もなんだかそんな気がしますね」
と三原は、愛嬌のある目をくりくりさせて言った。
「しかし、東京駅から女と二人連れで乗ったという目撃者がありますからね」
「それです。ですから、途中で女が、つまりお時がどこかの駅で降りたという推定にはなりませんか?」
鳥飼は言った。
「そういう仮定が出ますね。降りたとすると」
と三原は、またポケットから手帳をとり出した。
「伝票は十四日だから二十三時二十一分の名古屋までの間です。しかし佐山が食堂に行ったのは、むろん、二十二時の食堂の閉鎖の時間前ですから、お時が降りたとすると、二十時発の熱海か、二十一時一分発の静岡か、ということになります」
「そうですな。そうなりますね」
鳥飼は、自分がぼんやり思っていたとおりのことを三原が言ったので、大きくうなずいた。
「よろしい。今からでは、時日が相当たっているから、はたして効果があるかどうかわかりませんが、とにかく、いちおう、熱海と静岡の駅や宿を調査してみます。女ひとりの行動はあんがいわかるものですよ」
三原は、そう言って、
「ほかに何かありませんか?」
「佐山は博多の丹波屋という旅館に、十五日から二十日まで一人で滞在していました。十五日は彼が東京から博多に着いた日です」
と鳥飼は、佐山が宿で電話が外からかかってくるのを待っていたこと、二十日の午後八時ごろに、佐山の宿での変名である「菅原」と名ざして女の呼び出し電話があったこと、佐山はすぐに出て行き、その晩に情死したと考えられることなどを話した。
三原は熱心に聞いていたが、
「佐山の変名を知っているというのは、やっぱりお時でしょうね。二人は以前から旅館も変名のことも打ち合わせしていたのでしょう」
「そうだと思います。ただ、それで一つだけ謎が解けました」
「なんですか?」
「今までは、佐山とお時とは博多にいっしょに来て、お時だけがどこかに行っていたのかと思いましたが、あなたのお話で、お時だけが途中下車したという推定に自信ができましたから、女はあとから来たのですね。つまり、お時は十四日に熱海か静岡かに降りて、佐山だけを先にやり、自分だけ二十日になって博多に着いたのですな。それから宿に電話をかけたのですが、佐山が宿でその電話を待っていたところをみると、二人はそれも打ち合わせがついていたのですな」
鳥飼はそこまで言って、
「ただ、打ち合わせで、きまらなかったことが一つあります」
「ほう、なんですか?」
「お時が、いつ博多に来るか、ということです。佐山は毎日毎日、その電話のかかってくるのを宿でいらいらして待っていたそうですから、彼女の到着の日はきまってなかったように思われます」