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「そうです。二十一日の《まりも》で到着するから、駅の待合室に来てくれという電報をもらったから行きました。その電報はあいにくと破って捨てましたが」
河西は答えた。
「いつも迎えに行くのですか?」
三原はきいた。
「いえ、いつもはそんなことはありません。夜なので店はしまっているし、いそぎの商談があったので、会ったわけです」
「なるほど、それで安田さんは《まりも》が着くと、すぐに待合室にいるあなたのところへあらわれたわけですね?」
そうきくと、河西はちょっと考えるような顔をした。
「そうですね。すぐというわけではありませんでした。あの急行が到着するのは二十時三十四分です。下車客が改札口を出て、駅前の広場に流れて行くのが待合室のガラス窓から見えたものですから、もう現われるだろうと待っていた記憶がありますから、十分ぐらい遅れて来たと思います」
十分ぐらい遅れたということは問題でなかった。やっぱり安田は、その言葉のとおり、《まりも》で到着しているのであった。
三原は失望した。このような結果は予期していたが、まだ弱い未練があった。確かに、その男は安田辰郎に間違いなかったでしょうね、と愚かな念を押したいくらいであった。
安田は確かに二十一日の二十時三十四分着の急行でこの札幌に着いている。その夜から丸惣旅館にも泊まっている。疑点は毛筋ほどもなかった。三原は石のような壁の前に自分が立っていることを感じた。
非常にむだな努力を自分が懸命にしているように思われ、それが自分を支援してくれている笠井主任にわびようのない気持になった。課長はもとからこれに熱意がなかったという。それをなんとか引っぱってがんばったのは主任だった。三原は責任を感じないわけにはゆかなかった。
三原が非常に暗い顔になったので、相手の河西という男は、うかがうようにしていたが、やがてためらいがちに、低い声で言った。
「三原さんとおっしゃいましたね。こんなことを私が言ったのでは、安田さんにたいへん申しわけないのですが、あなたが東京からわざわざいらしたので、気づいたことを申しあげます。ただし、これはあくまでも参考ですよ。重要な意味にとられては困りますが」
「わかりました。どういうことですか?」
三原は河西の顔を見た。
「じつは、さっき安田さんが私を呼んだのは急ぎの商談と申しましたが、また、そういう電文をじっさいに安田さんからもらったのですが、会ってみると、それほど急を要する用件でもなかったのです」
「え? ほんとうですか?」
三原は問い返した。咽喉が唾で鳴った。
「ほんとうです。それは、翌日、安田さんが店に来て話しても、ゆっくりまにあうことでした。それで、そのとき、私も内心で変だなと思ったことでした」
三原は目の前にふさがった壁に、突然亀裂が生じたのを感じた。彼は胸がおどった。が、表面ではその動揺をおさえた。彼は落ちついた口調で質問し、河西にそのことをもう一度繰り返さした。
なぜ安田辰郎は急用でもないのに、河西を駅に来させたか?──
(安田は自分が一月二十一日の《まりも》で札幌駅に到着したことを確認する目撃者が欲しかったのだ。えらばれたのが河西だ)
これだった。理由はこれ一つである。東京駅では四分間の目撃者を作ったが、またしても、あの同じ手である。その作為は共通していた。繰り返しであった。
すると、それが作為であるなら、安田が《まりも》で到着した事実(ヽヽ)の内容は逆を指向することになる。つまり彼はその列車では到着しなかったのではないか。
ここで三原は重大なことに気づいた。彼はおさえても、目が光ってきた。
「河西さん。あなたが安田さんと会ったのは待合室でしたね?」
「そうです」
河西は、自分が口をすべらせた一言から、何をきかれるかと不安そうな表情をした。
「ホームに立って迎えたのではないのですね?」
「そうです。待合室にいてくれという電報でしたから」
「では」
三原は突っこんで念を押した。
「あなたは、安田さんが列車から降りるところは見なかったわけですね?」
「それは見ません。しかし──」
しかし、その時刻に東京の安田辰郎が駅の待合室にいる自分の前に立ったのだから、その列車で降りて来たのはまちがいないのだ、と、河西の表情は言いたそうであった。
三原は双葉商会を出た。どういうふうに河西に礼をのべて立ちあがったかおぼえぬくらいであった。彼は、はじめての土地である札幌の街に迷い出た。幅の広い街路には、アカシヤの木が直線にならんで高く伸びていた。それも彼の目には、ぼんやりとしか見えなかった。一つの思考を追いながら、街を彷徨(ほうこう)した。
安田は嘘をついている。彼は、急行《まりも》で到着したかのようによそおい、その時刻に合わせて、電報で呼びつけた河西と札幌駅の待合室で会ったのだ。つまり、それが「駅で会った」ことになるのだ。札幌署に依頼した調査の返電がそうだった。「駅に出迎えて会った」といえば、誰でも、下車した人間を迎えて会ったのだと思いこむ。安田は、その錯覚を盲点に利用したのだ。
東京駅では、料亭「小雪」の女中二人が、作られた目撃者であった。北海道では河西なのだ。
(よし安田の化けの皮をはがしてやるぞ)
三原は手帳を出してメモを見た。安田が説明したところは、こうだった。
20日上野発、急行「十和田」で21日朝、青森着。9時50分発の青函連絡船で14時20分函館着。函館発、急行「まりも」で20時34分、札幌着。
三原は、これを見ているうちに、思わず、はっと息を吸いこんだ。
(どうして、今まで、これに気がつかなかったのか)
青函連絡船では乗船客から一人一人、名簿に記入させているではないか。それを調べあげたら、安田の主張の崩壊が決定的となる!
彼がじっさいに乗船していたなら、その名簿に残っていなければならないのだ。