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三原警部補 殿
鳥飼重太郎 拝
長い間、御無沙汰いたしました。初めて博多でお目にかかって以来、三カ月以上たちましたが、性来(せいらい)の筆不精(ふでぶしよう)のため失礼いたしております。今回、思いがけなく長文の御芳簡をいただき、まことにありがとうございました。小生の失礼をおわび申しあげるとともに、御芳情を厚く御礼申しあげます。
早いもので、はじめてお目にかかったときは、まだ玄界灘の寒風が吹く早春でしたが、ただいまではもう五月の半ば、陽ざしの中を歩くと汗ばんでまいります。当地名物のどんたく(ヽヽヽヽ)祭は、この月のはじめに例年のごとくにぎやかにおこなわれましたが、これが過ぎると当地では夏の来る前ぶれとなります。ついでながら、お暇のときはぜひ一度、博多どんたくを御見物においでくださるようおすすめ申します。
とはいえ、御芳書によりますと、あいかわらず困難な事件と四つになってお取り組みの御様子、小生老来の怠惰(たいだ)を慚愧(ざんき)するとともに、御精励の御活動にたいして羨望の念を禁じえません。小生今少し若かりせばと田舎住みの老体の身をかえりみて、いささか憮然(ぶぜん)としております。いや、これはとんだ繰り言を申しあげました。
思えば、この一月二十一日の朝、香椎の海岸で発見された男女の情死事件について、小生が署の諸先輩の冷視の中を些少の調査にかかりましたが、それが尊台(そんだい)のお手にかかって思いもよらぬ大事件の暴露になりそうなことをうけたまわりまして、感慨とも欣快(きんかい)ともつかぬ衝撃を感じております。詳細にその後の推移をお教えくださいましてありがとうぞんじました。
さて、事件について種々と御苦労の御様子、いちいち御文面を拝読しながら推察申しあげました。何か小生によき知恵があれば申しのべよとのお申しこしですが、小生ごとき老衰した頭脳にこれぞと思う気の利いた知恵が浮かぶはずはなく、ただただ御熱心ぶりに敬意を表する次第でございます。
申すまでもなく、捜査官の信念はぜったいに事件を放棄しない押しのがんばりでございます。こんなことを申しますと、何を老人がわかりきったことをと、にがにがしくおぼしめすかわかりませんが、御懇情(ごこんじよう)にあまえて、あえて年寄のいらざる差出口を許していただきとうぞんじます。
小生も警察勤め二十年、長い間、取りあつかった事件もわれながらおどろくほど、たくさんな数になっております。おかげで無事に勤めてまいりましたが、反面、未解決の事件もけっして少なくはございません。捜査の反省と申しますか、今から考えますと、あの事件はこうすればよかった、ああすればよかったと思うことが少なくはございません。それがことごとく押しのたらなかったことに帰結するのでございます。もう一押しして突っこめば、あの事件は解決したろうにとくやまれるのでございます。それが、ほんの些少なところで押しが不足しているのでございます。
今でも忘れられない一例を申し上げますと、二十年前当福岡の郊外の平尾(ひらお)という所で老婆の腐爛(ふらん)死体が発見されました。咽喉(いんこう)に索条溝(さくじようこう)があるので絞殺死体と判明しましたが、発見が五月ごろでございました。警察医の鑑定では三カ月以上経過しているとのことでした。というのは死体は綿入れのチャンチャンコを着た冬支度だったからでもございます。ところが一番怪しいと思う容疑者に小生が目をつけましたが、その者は四月のはじめに台湾から被害者の家の近くに移転して来たものです。つまり、綿入れのチャンチャンコを必要とする一月、二月、三月はじめという寒い時期には容疑者は台湾にいたのでございます(被害者は山中の一軒家に住んでいて、日ごろから近所の交際がなく、二月に殺されたとしても、その後の姿を見た者がないので、殺害時日は不自然ではなかったのです)。小生は目星(めぼし)をつけた台湾帰りの人間がどうも犯人のように思えたのですが、死亡が三カ月以前であったことと、容疑者が一カ月前に移転してきたことの食い違いのために、ついにあげる決心がつかず、事件は未解決におわりました。
今から考えると、その警察医は、どうも死亡時期の幅をひろげる癖があったようです。古い死体となると、鑑定はむずかしいらしく、人によって長く言う者と短く言う者とがあります。今の言葉で言えば、その癖を個人誤差というのでしょうか、その医者は長く鑑定する方でした。それに綿入れの袖無しを着ていたこともその鑑定の材料になったようです。
今でも、ふと、思うのですが、四月の初めでも寒い日があります。これも新しい言葉でいえば、寒冷前線が通過した日には気候はずれの寒さになります。老婆は殺された日、あまり肌寒いので、いったんしまいこんだ綿入れの袖無しを行李(こうり)の中から引っぱりだして着たかもしれない。老人にはよくある癖です。すれば、綿入れを着ていたからといって何も冬とはかぎらないのです。四月でもいっこうかまわないのです。つまり、小生の容疑者の犯行が成立するわけでございます。
が、こう考えついたのはあとの祭、二十年前に考えおよばなかったのを後悔するばかりでございます。あのとき、もう少し押してみればその知恵も出たのでしょうが、警察医の鑑定と、綿入れの袖無しにひっかかって、あっさり見のがしてしまいました。
これは、ただの一例だけを思いついたまま申しあげただけでございます。同じような後悔がほかにもたくさんございます。