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要するに、どのような点からも、この男の犯行に間違いないと信じたら、二押しも三押しもすることでございます。それから人間には先入主観が気づかぬうちに働きまして、そんなことはわかりきったことだと素通りすることがあります。これがこわいのです。この慢性になった常識が盲点をつくることがたびたびございます。きまりきった常識でも、捜査の上ではいちおう御破算にして検討すべきだと思います。
いつぞや尊台から、安田辰郎なる人物が、東京駅で情死行の佐山とお時とを第三者に目撃させたというお話は、たいへん興味深くぞんじました。お説のように、たしかに安田という男は、この情死に重要な関係をもっているように思われます。いや、御想像のように、香椎の現場に彼はその当夜、たしかに何かの役を演じて居合わせたと思われます。
それにつけても思いだすのは、心中の当夜、つまり一月二十日の夜、国鉄香椎駅と西鉄香椎駅から下車した二組の男女が、一組が佐山とお時とであり、一組が安田とある婦人ではなかったかという想像であります。この二組はほとんど同時刻に下車して現場の海岸の方に向かっております。
すると疑問なのは、安田の連れの婦人がどのような役割をしたかということです。裏返して言うと、安田が情死の両人にある作為をもって立ちあったとすると、それにはある婦人が必要だったということになります。つまり安田とその婦人が一体とならなければ、安田の企む工作はできなかったと言えそうです。
それはいったいなんなのか。小生は御芳書をいただいて、もう一度あの香椎の海岸にまいりました。時間もちょうど夜をえらびました。あのときと違い、今はここちよい涼風が吹いています。それに誘われてか、アベックの影が幾組か散歩していました。町の灯は遠く、男女の組はただ黒い影だけでございます。若い人にとっては、いたって好都合な場所です。いや、これは年齢(とし)がいもない言い方をしましたが、言いたいのは、佐山とお時、安田とその婦人の二組も、一月二十日の夜、こうして黒い影となって、この辺を歩いていたということです。それから、この二組の間隔は、六七メートルも離れると、たがいの存在がわからないほど暗かったということです。残念なことに、小生にはこれくらいのことしかまだ申しあげられません。もやもやとした感じは持っておりますが。
つぎに、おたずねの二十日の夜、安田が宿泊した旅館のことですが、いろいろと手をつくしましたが、なにぶん以前のことではあるし、宿帳には偽名が多く、また、まったく記帳を出さないふとどきな旅館もあるので、現在のところ手がかりがありません。今後も調べてみますが、まず絶望に近いと思います。
これは、小生の思いつきですが、佐山の宿に電話をかけて二十日の夜、彼を呼び出した女の声の主は、今までお時とばかり思いこんでいましたが、もしや安田の連れの婦人ではなかったでしょうか。むろん、これは根拠はありません。ただの思いつきですが、しかし、安田が佐山と連絡して「菅原」という佐山の宿での偽名を承知していれば、その婦人に「菅原さんを呼んでください」と電話で言わせるくらいなんでもありません。お時でなくてもいいわけです。
この論法で一歩すすめますと、佐山が博多の旅館で一週間も待っていたのは、心中相手のお時ではなく、あんがい、その謎の婦人ではなかったかと思います。そうすると、お説のように、お時は佐山と博多まで同行せずに、熱海か静岡で途中下車したわけがわかります。つまり、お時の役は東京駅から途中まで佐山と同車するだけだったと考えられないでしょうか。こう考えると、安田が第三者に、佐山とお時とが同じ汽車に乗るのを目撃させた理由につながりそうです。安田は、情死した両人が仲よく揃って東京を出発するところを見せたかったのではないでしょうか。なぜか。これにはべつだん、裏づけになる根拠もないことですから、小生も今少し考えてみたいと思います。
もし、この推測があたっているとすると、熱海か静岡に下車したお時は、二十日の夜、九州香椎の海岸で情死するまで、どこにいたか、という問題になります。これが突きとめられれば、この推測の根拠は出てくるわけであります。お時が佐山と博多まで同行しなかったということは、佐山の死体のポケットから出てきた「御一人様」の列車食堂伝票で十分に立証されると思います。これは尊台が御来福の折、小生が愚考をくわしく申しあげたとおりでございます。
御文面のように、安田辰郎が二十日の夜、香椎の海岸の情死現場にいたことを絶対の条件にすると、二十一日に《まりも》で札幌に着くわけがありません。さりとて飛行機にも乗った形跡がないというのは、どこかに常識的な見のがしがあるのではないかと案じております。小生のいう「綿入れの袖無し」でございます。どうかもう一度、一押しも二押しもしてくださるようお願い申しあげます。
久しぶりに御芳簡をちょうだいしたうれしさに、とりとめのないことを長々と書きまして恐縮でございます。それに老いの繰り言めいたこともまぜて書いたようでおはずかしいしだいです。峻鋭の尊台と違い、小生はおいぼれの駑馬(どば)で、とるに足らぬ愚見を長々と申しあげて汗顔(かんがん)のいたりでございます。御憫笑(ごびんしよう)ください。なお、福岡方面のことで、小生でも役に立つようなことがございましたら、いつでも御用をおおせつけ願います。できうるかぎり御協力いたします。
御努力によって、この困難な事件が一日も早く解決するようお祈り申しあげております。そのうえでお体がお暇になりましたら、ぜひ九州にお遊びにおいでくださるようお願いいたします。
敬具