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三原は、自分の頭をまたなぐった。
「おれは、なんといううかつだろう。受信局を調べたらわけはなかったのだ」
どうもこの事件では、頭脳が硬化してしまったようだ。
三原はさっそく、札幌中央署に調査を依頼した。
その返事は翌日にはいった。
「その電報は一月二十一日八時五十分、青森県浅虫駅より発信された」
東京でも福岡でもなかった。とんでもない、青森県浅虫温泉からだった。急行で行けば終点青森駅の一つ手前の停車駅である。
三原は意外だった。
が、よく考えると意外でもなんでもない。東京から北海道へ行く道順ではないか。彼は、八時五十分という発信時刻に注意した。時刻表を調べると、まさに上野発急行《十和田》が浅虫駅を発車したばかりなのだ。
(車掌が、乗客から車内で依頼を受けた電報だ)
三原は直感した。
二十一日の朝、浅虫を過ぎる《十和田》といえば、安田が乗車したと主張している列車ではないか。これが青函連絡船17便によって函館から《まりも》に接続するのだ。
(ああ、それではやっぱり安田は、主張のとおり《十和田》に乗っていたのか!)
わけがわからなくなった。調べれば調べるほど、安田の主張を裏づけることばかり出てくる。
三原が頭をかかえていると、主任が言った。
「君、その電報を打ったのは、はたして安田辰郎だったろうか?」
「え?」
三原は頭を上げた。
「ほら、君が言ったじゃないか。代人(ヽヽ)を知りたいとね」
代人。──
三原は主任の顔を凝視した。
「そうでした。わかりましたよ、主任」
三原は勢いづいて言った。
「自分で言って忘れる奴があるか」
と、主任は声を立てずに笑った。
三原は、すぐに電話をとって、上野の車掌区を呼び出した。
「もしもし。《十和田》号に乗務する車掌さんで仙台・青森間はどこの車掌区ですか?」
「そりゃ、全部うち(ヽヽ)ですよ」
と、返事はこともなげだった。
三原は警視庁の車をとばして、上野車掌区に駆けつけた。
助役という人に会うと、
「今年の一月二十日の205列車《十和田》ですね。ちょっと待ってください」
と勤務表を開いて調べてくれた。
「梶谷(かじたに)という男です。いま、ここにいるはずですから呼びましょうか?」
「ぜひ、お願いします」
三原は期待に胸がおどった。
呼ばれてきた車掌はまだ三十そこそこで、いかにも気のききそうな顔をしていた。
「そうですね。電報の内容はよくおぼえていませんが、たしかに浅虫の近くの小湊(こみなと)あたりで札幌への電報を頼まれた記憶があります。たぶん、一月二十一日の朝だったと思います。その前後には、その付近で電報を頼まれた覚えがありませんから」
「その頼んだ客は、どんな特徴の人かおぼえていませんか?」
三原はどうかこの車掌の記憶にあるようにと心に祈った。
「そうですね。それは二等寝台車の客でした」
「なるほど」
「なんでも、痩せて背の高い人だったように思います」
「え、痩せている? でっぷりと肥えてはいませんでしたか?」
三原は、内心よろこびながら、念を押した。
「いいえ、肥えてはいません。痩せていましたよ」
車掌は記憶をしだいにとりもどしたようだった。
「それに、二人づれだったのです」
「えっ、二人づれ?」
「私が検札にまわったから知っています。その人が連れの人の切符もいっしょに持っていて出しました。連れといっても、上役といった感じでしたね。少し威張っていましたよ。痩せた方は、その人にすごく丁寧な様子が見えましたよ」
「じゃ、その、下役といった人が、電報を頼んだわけですね」
「そうです」
──安田辰郎の電報の代人(ヽヽ)はわかった。その上役という男こそ、××省の石田部長に違いなかった。下役というのは、お供の事務官か何かであろう。
三原は今までひとりがてんをしていた。石田部長が単独で北海道に出張していたとばかり思いこんでいたのだ。なるほど、一省の部長クラスともなれば事務官ぐらいは随行するであろう。
三原は、それから××省にまわって、一月二十日から石田部長に随伴して、北海道に出張した事務官の名前をひそかに調べた。
「佐々木喜太郎」というのがその名前だった。この名前なら、石田部長の命をうけて、笠井主任に安田辰郎が《まりも》に乗ったことを証明しに来た男である。
翌日三原は青森に飛んでいた。
一月二十一日乗船の青函連絡船の名簿をかたっぱしから調べた。
石田部長の名も安田辰郎の名もある。しかし佐々木喜太郎の名はどこにもなかった。──佐々木が安田辰郎の名前で乗船したことは、この結果で明瞭だった。
三原の前に屹立(きつりつ)していた巌壁(がんぺき)は崩れた。彼はこんどこそ勝利をつかんだ!
あとは安田の筆跡がどうして名簿に載ったかということを追及するだけである。が、ここまで来てしまえば、それはさしたることではなかった。