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点と線(十三)三原紀一の報告02
日期:2018-01-12 23:40  点击:362
 
 そのような恋仲の者を、どのような理由で安田は、第三者に目撃させたのでしょう。彼らが《あさかぜ》に確かに乗車して九州に行ったということを証明したかったのか?
 だが、特別に《あさかぜ》にする理由はなさそうです。九州行の汽車なら、なんでもよい。なぜなら、その両人は、九州で情死しているのだから、九州に行ったことは間違いないからです。では、ほかの理由だ。
 佐山とお時とが同車する現場、これを安田が第三者に見せたかったのです。そこで苦労して目撃者をホームに引っぱって行ったのでしょう。つまり、佐山とお時とが恋仲であることを、誰かに確認してもらいたかったのです。
 妙な話です。恋人同士を、どうして他人に認めさせる必要があるのでしょう。
 いろいろと考えた結果、佐山とお時とは、恋仲ではなかった(ヽヽヽヽヽヽヽヽ)という逆説が出てきました。これだと思いました。恋仲ではないから、恋仲のように他の者に確認して証明してもらいたかったのです。
 それにしても、思いだされるのは、列車食堂の一枚の伝票から、佐山は一人で博多に来たのではないか、と疑念をもたれた、あなたの達眼(たつがん)に敬服します。「御一人様」と書かれた文字に、あなたの不審が起こり、さらにお嬢さんの恋人心理の話など、私ども大いに啓発(けいはつ)されました。確かに、お時は途中で下車し、佐山だけが博多に行っていたのでした。二人は、恋人でもなんでもない、という結論を得ました。
 安田は「小雪」に商売の関係上、客の招待をよくする馴染客でした。佐山は「小雪」には行かないが、お時を知っていました。おそらく、誰も知らないが、安田は佐山とお時と三人で、どこかで何回も会ったことがあるのです。それで、佐山とお時とは顔見知りだから、いっしょの列車に話しあいながら乗りこんだのです。それを第三者から見れば、いかにも恋人同士が仲むつまじく旅行に出かけるように思えたに違いありません。安田の狙いがこれでした。
 ですから、《あさかぜ》に二人が乗るように工作したのは安田です。彼にはそれができる力がありそうです。
 さて、ここで安田が困ったことがある。ほかの女中に見せるのはいいが、十五番線のホームに行く理由がないから、《あさかぜ》のすぐそばに目撃者を連れていくわけにはゆかない。彼の狙いは、わざとらしくなく、いかにも偶然に見たようにしなければならないのです。十五番線は遠距離の発車ホームですから、用もないのにそこに行ったのでは作為が知れます。どうしても、他のホームから眺めなければなりません。それは彼が妻の所にしじゅう行く鎌倉行の十三番線ホーム(横須賀線)を利用するのがもっとも自然で、作為が目だちません。
 しかし彼は困りました。十三番線から十五番線の列車は見とおせないのです。いつも間に列車や電車の発着があって、それに邪魔されるわけです。このことはいつか書きました。それで苦心の末、九州行の列車を待っている時刻で、しかも十三番線からその列車が見えるのは、一日のうち十七時五十七分から十八時〇一分の間の、たった四分間しかないことを彼は発見しました。貴重な四分間です。まったく大切な四分間です。
 そこで、前に私は九州行の列車ならどれでもいいと書きましたが、ここで、十八時三十分発の《あさかぜ》でなければならない必然が生じてくるのです。安田は、二人をどうしても《あさかぜ》に乗せなければならなかったのです。他の九州行列車では間がふさがれてだめなのです。自然らしく目撃者にふるまうため、この四分間の間隙を発見した安田は偉大でした。おそらく東京駅員も、この四分間の見とおしがあることに気がつくものは少ないでしょう。
 かくて、佐山とお時の出発は、安田の工作であることがわかった。しかし、奇怪なことがある。両人がそれから六日後、香椎の海岸で情死したことです。佐山とお時が青酸カリ入りのジュースを飲んで、お互いの体を密着するようにして自殺したことです。検案書によっても、現場状況(私は写真しか見せてもらえなかったが)によっても、はっきり情死であることに間違いはありません。
 これがわからない。恋人でない者がどうして情死したか。まさか安田が指図しても、他人同士で情死まで引きうけて実行するばかはいないでしょう。両人は恋愛の間でなかったと推論しても、情死の現実を見ると、根底から崩れます。やはり情死を決行するほどの深い仲だったとしか思えません。この矛盾がどうしても解けない。
 だが両人の出発が、安田の仕掛けである以上、香椎海岸の情死が、どうしてもちぐはぐなものとなります。かといって、情死の現実は否定できない。この相反する出発と結末の矛盾が、いかに考えても、解決できませんでした。
 が、出発が安田の指図であるかぎり、この情死の結末にも何か安田の臭いが強くします。私は漠然とだが、その直感から脱けられませんでした。私が彼の北海道行を調べて歩いた間でも、両人の心中当夜、その香椎の現場に安田が影のように立っているのを絶えず確信していました。どういう役割かわからない。まさか催眠術を使って心中させたわけでもあるまい。正気で安田の命令で、恋仲でもなんでもない者が情死するはずもない。が、何かわからないが、どうしても安田を情死当夜、その現場にいあわせたという線を強引にひいてみました。
 さいわい、安田の北海道行が崩壊し、一月二十日の十五時羽田発の日航機で福岡に向かい、十九時二十分板付着、香椎海岸の同夜二十二時ごろの情死時刻には、彼はその現場にいた(ヽヽ)証明ができましたが、それなら両人の情死と安田の関係になると、壁に突きあたったように行きどまりました。いかにしても、その推測ができない。私は頭をかかえこみました。
 そんな苦悩のつづくある日、私は喫茶店に行きました。私はコーヒーが好きです。それでよく主任に笑われるのですが、そのときもなんだかくしゃくしゃしたので街へ出かけました。いつもなら、行きつけの銀座の店まで行くのですが、その日は雨なので、近い日比谷のはじめてのコーヒー店にはいりました。
 その店は二階がありました。入口のドアを押そうとすると、ひょっこり若い女が横から来てかち合いになりました。私は紳士の精神を発揮して、先をその女に譲りました。派手なレインコートを着たきれいな若い女です。微笑して会釈(えしやく)し、先にはいって階段下で店の女の子に傘をあずけます。続いてあとから私がはいり、同じく傘を預けようとすると、店の子は同伴だと思ったのか、二つの傘をいっしょに紐でくくって一枚の番号札をくれました。若い女は少し赭(あか)くなり、私はあわてて、
「違う、違う。連れではないんだ。べつべつだよ」
 と言いました。失礼しました、と店の女の子は、一つにくくった傘を二つに離し、あらためてもう一枚の番号札をくれました。

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