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うれしい勘違いをされて、よけいなことを書いたように思われるかわかりませんが、じつは、この偶然なことで、私は不意に啓示(けいじ)を得たのです。私は、はっとしました。頭の中に閃光(せんこう)を感じたとはこのことです。二階にあがり、注文のコーヒーが来ても、しばらくそれが見えませんでしたよ。
女の子は、私たちがいっしょに店にはいって行ったからアベックと間違えた。普通です。誰でもいちおうそう思うでしょう。事情を知らないから、二人でならんではいった位置(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)から早急に判断(ヽヽ)したのです。これでした。暗示となったのは!
私たちは、失礼ながらあなたをはじめ、貴署の方々もふくめて、佐山とお時とがならんで死んでいるから、情死と判断してしまったのです。私は、今、それを知りました。二人は別々に違う場所で死んだ(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)のです。死んでしまってから、二つの死体を一つのところに合わせた(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)のです。おそらく、佐山は誰かに青酸カリを飲まされて倒れ、その死体の横に、これも誰かによって青酸カリを飲まされたお時の死体が運ばれて密着されたのでしょう。佐山とお時とはばらばらな二つの点でした。その点が相寄った状態になっていたのを見て、われわれは間違った線を引いて結んでしまったのです。
男と女とが抱きあわんばかりにして、くっついて死んでいれば、ただちに「情死」だと認定した誤謬(ごびゆう)は、しかし、笑われるべきではないでしょう。それは、古来、何万何千の情死死体がそうだったからです。誰も疑う者はありません。そして他殺でなく、心中死体となれば、検屍(けんし)もとかく他殺死体ほど厳重でなく、捜査の発動はまったくありません(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)。これこそ安田辰郎が狙ったものです。
あなたは、前に手紙をくれました。その中の文句を私は覚えています。「人間には先入主観が気づかぬうちに働いて、そんなことはわかりきったことだと素通りすることがある。それがこわいのだ。この慢性になった常識が盲点を作ることがたびたびある」。まさに、そうでした。男と女がいっしょに死んでいる。わかりきったことだ、情死だ、と思いこむ先入主観に頭脳がにぶったのです。いや、くらまされたのです。敵からいえば、その慢性になった常識で盲点をついたのです。
犯人は、こうしてみごとにわれわれをだました。しかし、まだ不安がある。それは佐山とお時とは、もともとなんの恋愛関係もないのだから、「情死」の裏づけが必要です。「恋愛関係にあった」という印象です。それが東京駅で、「小雪」の女中に両人の仲のよい出発を見せた理由です。彼は、裏づけまで用意したのです。犯人の心は不安に不安を重ねるものです。どこまでも周到に準備していました。そして四分間の目撃という苦心の時間を発見しました。
そうだ、そういえば、この事件は、何から何まで汽車の時間、飛行機の時間ばかりです。まるで時刻表に埋まっているようなものです。安田には、はたして、そんな方面の興味があったのか。そんな疑いさえ起こります。これはどうも、時刻表に特別な関心をかねてから抱いていた者の、計画のような気がしてなりません。
佐山とお時とが、どのような手段で死にいたったか、これも、ちょっと後まわしにして、その時間のことからはいりましょう。
私の頭には、まざまざと一人の女が記憶に浮かんできます。彼女は時刻表に特別な興味をもっていました。その随筆をある雑誌に発表したくらいです。随筆は詩情に溢れ、余人には無味乾燥に見えるあの横組の数字が、いかなる小説よりもおもしろいらしいのです。数字の行間からは、蜿蜒(えんえん)と尽きぬ旅情の詩が湧き、随想が生まれるらしいのです。彼女は長いこと肺結核で臥(ふ)せており、病床でたのしむ時刻表は、彼女にとって聖書のように無限の人生伴侶であり、古今の名作をよむように退屈しないのでした。彼女というのは、鎌倉で療養生活を送っている安田辰郎の妻です。亮子という名です。
とかく肺をわずらう人は、頭脳が病的に冴えているといいます。安田の妻亮子も、蒼白い顔で何を思索していたか。いや思索というよりも計算という方が正しいのではないか。数字の無限の組み合わせ、それを頭の中で解いたり組んだり、あたかもダイヤグラムを作製するように、縦横に線を引き、交差させて、瞑想(めいそう)していたような気がします。
私は、あるいは、この事件は安田の発想ではなく、亮子のアイデアではないか、と、思いあたりました。
ここで、事件当夜、国鉄と西鉄の二つの香椎駅の、二組の男女が浮かんできます。一組は、むろん、佐山とお時です。あとの一組は、安田と妻の亮子ではないか。そう考えるのは自然です。これはあとで、半分は思いもよらぬ間違いでしたが。──
あなたも、手紙の中で言われました。「すると疑問なのは、安田の連れの婦人がどのような役割をしたかということです。裏返して言うと、安田が情死の両人にある作為をもって立ちあったとすると、それにはある婦人が必要だったということになります。つまり安田とその婦人が一体とならなければ、安田の企む工作はできなかったと言えそうです」
まったく同感です。その疑問の婦人を、安田の妻の亮子に当てはめて考えたとき、私は彼女の追及を決心しました。
しかし、彼女は療養で病臥(びようが)の身である。計画者であっても、実行者になれるだろうか。つまり、鎌倉から九州まで行くことがはたしてできただろうか、という疑問が湧きました。
私は鎌倉に行き主治医に会いました。すると、医者の返事には、亮子はかならずしも寝たきりではない。ときには湯河原の親類の家に遊びに行くこともあると言いました。そこで、一月二十日を中心として彼女の動静を聞きますと、十九日から二十一日まで自宅には不在だったことが分かりました。それは、病床日誌を調べてわかったことです。医者は一週間に二度しか亮子を訪問しません。この医者は、二十二日に往診していました。
そのとき、亮子に熱があったものだから、どうしたのですか、と聞くと「十九日から湯河原に行って今朝帰りました。少し遊びすぎたので疲れたのでしょう」と、亮子は言ったそうです。
私は、しめた、と思いました。十九日の夜発(た)てば、博多には翌日着きます。すなわち、情死の時刻と場所にまにあうわけです。湯河原というのは嘘だ。九州に行ったのだと思いました。
それから私は、亮子の家の老婢をこっそり呼び出して責めました。そして、ついに亮子が午後二時ごろハイヤーで湯河原に行ったことを知りえました。
私は亮子を乗せた運転手を探しだしました。