1982・冬 志摩・名古屋城
「楽しいことは、楽しいんだけど」
と、朋子は口ごもる。
「だけど、どうなんだ?」
「こんなことしてて、いいのかしら」
「いい。ぬり絵を完成させよう」
しぶっている相手に、くり返して誘いをかけるのは、中彦としてはむしろめずらしいことだったろう。
ぬり絵の地図を完成してみたところで、なにかメリットがあるわけではない。子どもじみた、馬鹿らしい挑戦かもしれない。だが朋子と一緒なら充分に価値がある。人生の意味なんて、結局のところ、その道中でどれだけ充実した時間を持ったか、その総和で評価されるものだろう。たとえ些細《ささい》な旅でも朋子と一緒なら。
——あれはすてきだったな——
輝いた時間としてなつかしむことができるだろう。
「女は迷うものなのよ」
その通り。
迷う女性を強引に誘い出すのも男性の役割の一つらしい。三十代のなかばになって中彦はようやくそのことに気づいた。
「政治家とレディはちがうんだ。正反対なんだ」
「えっ?」
「知らない? 政治家は、不確かなときでもイエスと答える。まるで可能性がないときでも、プロバブリィって答える」
「多分ってことね」
「うん。税金を安くできますか。自信がなくてもイエス。無理だなと思ってもプロバブリィ」
「あ、そうね」
「ノウと決定的に答えるようでは、政治家とは言えない。嘘《うそ》でも希望を持たせなくちゃあ」
「レディはどうなの」
「レディは不確かなときにはノウって言うんだ。その気があるときでもプロバブリィ」
「どういうこと?」
「男性に誘われたときのことだよ。今夜どう? 迷っているときはノウと答える。その気があってもプロバブリィ」
「イエスは?」
「すぐにイエスなんて答えるようじゃ、もうレディではない」
「つまり、態度を曖昧《あいまい》にしておくわけね」
「そう。どう、来週あたり、旅に行こう」
「プロバブリィ」
「つまり、いいってことだ」
「厭だあ、そんなの」
女性が迷っているときは、少なくともノウではない。男は蛮勇を持たなければいけない。
「あんまり時間がないのよ。せっかく出かけて行っても、あわただしいのは厭でしょ」
「俺はかまわない。志摩《しま》へ行こう。なかなかいいところだ。適当な時間に新幹線に乗ってくれればいい。英虞《あご》湾と大王崎と、見物はそれだけでもいい」
「そうねえ」
「じゃあ、決定」
中彦が名古屋で授業をする、その翌日を選んだ。朋子は朝の新幹線で一人東京を発ち、中彦は名古屋で一泊して朋子を待つ。
——本当に来るかなあ——
プラットホームのアナウンスメントが、約束の列車の到来を告げる。巨大な蚕のような新幹線が滑り込んで来る。
——来た——
窓越しに朋子の姿が見えた。
「おはようございます」
もう十二時を過ぎている。地下道を通って近鉄の改札口へ。
「飯は?」
「列車の中で食べたわ。朝昼兼用。あなたは?」
「うん。俺もホテルで。朝昼兼用だ」
「どのくらい乗るの?」
「二時間くらいかな」
特急の指定席に腰をおろした。旅はいつもこの瞬間に胸が弾む。
「いい旅にしよう」
「ええ」
「これで三重県が埋まる」
「あなたは初めてじゃないんでしょ」
「うん。このあいだ伊勢に行った」
屋根を接する家並みを割るようにして電車が走る。
「なにか……おもしろいこと、ありました?」
「このあいだ�夕なぎ�という映画を見た」
「あ、ほんと」
「見た?」
「ううん」
「ロミー・シュナイダーとイヴ・モンタンと、もう一人の若い男、なんていう役者なのかな。女一人を挟んで三角関係のドラマなんだけど、男二人が仲よくなっちゃう」
「わあ、困るじゃない」
「困ると言えば困る。しかし、それが自然に描かれてんだよな。同じ女を好きになったってとこに共感があるみたいな感じで……男同士の友情の物語にもなっている。日本じゃむつかしいんじゃない、ああいうのは」
「わかんない」
「だってイヴ・モンタンは四十代くらいの役柄だと思うんだ。男のほうは若僧だもん。それだけ年の差があって、同じ女を好きになって、それで男同士、対等につきあうって、ほとんど不可能だろ、日本じゃ」
「そうねえ」
「年功序列型の社会だから。十歳も年齢がちがえば、友だちにはなれないよ」
「言える」
「年齢にこだわるんだよな。もともとは中国の影響なんだろうけど、年齢を表わす言葉がたくさんあるもん。英語にはほとんどない」
「年齢を表わす言葉?」
「そう。たとえば、還暦とか古稀《こき》とか」
「還暦って六十歳?」
「そう。古稀が七十。人生、七十古来稀なり。昔は七十歳はめずらしい年齢だったんだろ。みんな早死したから。あと喜寿が七十七。傘寿が八十、米寿が八十八、卒寿が九十、白寿が九十九」
「年寄ばっかりね」
「老人は偉いんだもん。長く生きたぶんだけ。みんな漢字遊びみたいなもんだろ。喜ぶっていう字を略して書くと七十七になるし、傘の字も略して八十、米の字を分解すれば八十八だし、卒業式の卒は略して九十と書くもん。百から一本引けば白になって、これが九十九」
指先で前のシートの背に字を書きながら説明する。
「もっと若いのは?」
「ある、ある。ちゃんと調べて来たんだから……。われ十有五にして学に志し、三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順《したが》う。七十にして心の欲するところに従えど、矩《のり》をこえず、てなものよ。あんまり若くないか」
「聞いたことある」
「あるさ。孔子の言葉だろ。十五歳で学問に志して、三十歳で、まあまあになった。四十歳で惑わなくなり、五十歳で天命を知るようになった。自分のやるべきこととか、限界とかをわかるようになったってことかなあ」
「五十歳で?」
「うん。六十歳で、耳順う。これは他人の意見にすなおに耳を傾けるようになったということだろ。それまでは肩肘《かたひじ》張っていたわけだ。そして、七十歳で心のままに行動しても道をはずすことがなくなった。これは俺《おれ》なんか到底無理だね」
「そうかしら」
「欲望がいっぱいあるもん。それで……」
「はい?」
「それで十有五にして学に志す、つまり志学が十五歳。三十にして立つ。これは�にして�のところをこんな字で書くんだけど」
と、また指先で�而�の字を大きく書く。
「丙みたいな字ね」
「そう。で、而立《じりつ》。これが三十歳。四十にして惑わず。不惑が四十歳。天命を知るのが五十歳で、これが知命。六十歳の耳順《じじゆん》まで。ちょっと古くさいか」
「あ、これが今日のお勉強なのね」
「お勉強ってのは、どうもなあ。おもしろくもないし、ためにもならない……」
朋子との旅には、なにかしら�おもしろくて、ためになる�話をしなくてはならない。昨日の夕刻、予備校の職員室で思い出し、とりあえず辞書を引いて用意した。
「なるわ。おもしろいわよ。せっかくだからちゃんと教えて。字を書いて」
朋子はハンドバッグの中を覗《のぞ》いて赤い手帳を取り出す。
「えーと、まず志学、而立」
中彦の父は、いま考えてみると言葉に関心のある人だった。幼いときから、よくこの手の話を聞かされた。子どもにはわかりにくい。だが、よい影響もあったろう。英語が好きになったのも、きっと幼いときから培われた言葉への関心とどこかで繋《つなが》っているだろう。
「不惑、知命、耳順」
「さっきのも書いて。喜寿とか、引き算するのとか」
「わかった」
朋子は漢字の一覧表を眺めて、
「やっぱり年寄が多いわ。昔はこんな言い方してたのね」
「今でもよく使う言葉があるよ。青春」
「青春て……青い春?」
「そう」
「あれもそうなの? いくつのこと?」
「いくつって、はっきりはしないけど、青春時代さ。人間の一生の中で、青く芽吹いて、若さいっぱいのときだよ。つまり春だね」
「ええ」
「青春だけがよく使われる言葉になっちゃったけど、このあともある。朱夏。朱《あか》い夏だな」
「それも年齢のこと?」
「年齢って言うか、世代って言うか。青春の次だな。心身ともに成熟して夏のように赤くたぎっている時代。二十代から三十代にかけてかな」
「私たち?」
「ちょっと過ぎたかな」
「じゃあ、次はなんなの」
「白秋。もう秋に入る。髪も少し白くなるしな」
「厭あねえ」
「そして、最後が玄冬。玄は黒のことだろ。冬は黒なのかな」
「暗くて、さびしいのね」
「昔なら四、五十代か。奥深く、静かで、チャラチャラしていない」
「なんでも知ってるのね」
「そうでもない。国語の先生から聞いて来た。本来は季節を言う言葉なんだけど、青春が十代から二十代の若い時期なら、あとも順番で三十代、四十代、五十代くらいになるんじゃないのか」
車窓の風景が少しずつ鄙《ひな》びたものへと変る。
志摩半島の地形は複雑に入りくんでいる。細い水路が見え、川かと思うと、実は内陸にまで入り込んで来た入江である。つまり海なのだ。地形がそうなっていれば、海は当然そこまで浸入して来るだろう。
「さっきの話だけど」
と中彦が言った。
「なーに」
「心の欲するところに従えど矩をこえず。年を取って人格が円満になり、好きなことやってもけっして人の道を踏みはずさなくなった……つまり個人としての自由と社会の道徳とが最高にうまくシンクロナイズするようになって、これが究極の理想だって、そういうことなんだろうけど」
「ええ?」
「ただ単に欲望が小さくなっただけじゃないのか? そう言いたくなるよな」
「どういうこと?」
「人間、じいさんになれば、だれだって体力もなくなるから、たいてい欲望が小さくなるんじゃないのか。自分はもうやることやっちゃったんだし……。若い頃、自分はさんざん遊んでおきながら、近頃の若い者は、なんて言っちゃってサ」
「よくいるわね」
「いるよ。若いうちは欲望がたくさんあるから、心の欲するところに従っちゃったら、かならず矩《のり》を越えちまう」
「矩って、道徳?」
「まあ、そんなとこじゃないの」
「あなたもそうなの? あんまり欲望がギラギラしてないじゃない」
「我慢してるんだ」
「そうなの?」
「うん」
おたがいに眼の中を覗《のぞ》いて、ほとんど同時に笑った。
——朋子は、もっと欲望をギラギラさせてほしいと望んでいるのだろうか——
それとも、
——ギラギラしない俺が好きだと言ってるのだろうか——
わからない。
賢島《かしこじま》で下車してタクシーで大王崎まで走った。岬を囲んで、冬の海が騒いでいる。
「千葉の先端へ行ったわね」
と、朋子が東の方角を指さす。
「そう。野島崎」
初めて朋子を抱いた旅だった。
「燈台があったわ」
「うん」
背後に立って柔かい肩を両手で挟んだ。手を伸ばすと乳房のふくらみに触れる。
「だれかが見てる」
「いけないかなあ」
「いけないんじゃないかしら」
「すぐに矩を越えてしまう」
「ほんと」
白波の立つ海を見たまま、
「わりと近いんだ、ここと野島崎」
「嘘《うそ》っ。だって……」
「いや、本当。距離は遠いけれど、海路を行くと、まっすぐ行けるから。黒潮も流れているし、大昔の出土品なんか紀伊半島と房総半島と、似ているものがたくさん出ている」
「小舟に乗って流されると、千葉に着くわけね」
「うまく行けばね」
マリンランドを見物し、海浜のホテルに入った。
「あ、きれい」
部屋の窓から英虞《あご》湾がよく見える。真珠貝を養殖する棚が海の上に格子状の模様を描いて浮いていた。
「これでまた朋さんの地図が一つ埋まった」
「そうね」
屋上のレストランでゆっくりと食事をして、
「一階に行ってみようか」
「ええ」
みやげもの類を置く店を覗《のぞ》いたが、めぼしいものは見当たらない。
部屋に戻り、すぐに唇を重ねた。
「欲望が少ないかなあ、俺は?」
「気にしてるの?」
「そうでもないけど」
欲望のありかを示すように朋子をベッドに押し倒した。ブラウスの下の乳房をさぐった。
「汗を流しましょ」
「うん」
ポンと弾ねて身を起こし、
「じゃあ、俺、先に入る」
「どうぞ」
中彦が出ると、替って朋子がバスルームへ消える。
ひどく待ちどおしい。
バスルームのドアの下に二センチほどのすきまが横に光っている。中彦は床に身を横たえ、そのすきまにそっと眼を近づける。
——矩を越えてるなあ——
心の欲するままに行動をすると、すぐにこんなことをやってしまう。
視界は扁平で、細い。
足先が一つ、もう一つ……。バスタブを出て鏡の前に立った。見えるのは、せいぜいくるぶしのあたりまで。
——その上にどんな脚が伸びているのか——
ドアの向こうでは鏡が隈《くま》なく朋子の裸形を映しているだろう。
いつドアが開くかわからない。中彦は身を起こし、ドアの前を離れた。
「ああ、さっぱりしたわ」
朋子は白いバスローブに体を包んでいる。浅黒い肌によくあっている。BGMのスウィッチを押し、髪を整えている朋子を背後から抱いた。
ベッドの上でバスローブの紐《ひも》を解いて奪った。
——このくらいの乳房が好きだ——
中彦はわけもなくそう思った。
ただの現実肯定主義。眼の前の乳房がもっと大きければ、その大きさをいとおしいと思うのではあるまいか。
脚を割り、体を重ねた。
ベッドがかすかに軋《きし》む。耳ざわりな響き……。もう一つのベッドのほうがよかったかもしれない。
背中が二つ、手足の八本あるけだもの……。
そう表現したのはだれだったろう。
「汗が流れてる」
「ええ」
二つの生き物に分かれて上がけを引いた。
「ゴムとガム、同じ英語なのに日本語じゃ発音もちがうし、意味もちがう」
照れ隠しなのだろうか。おかしなことをつぶやいてしまう。
「ええ……」
喋《しやべ》らないほうがよかったかもしれない。しばらくたってから、
「本当ね」
と朋子が頷《うなず》いた。
「サイダーとシードル。ストライキとストライク」
もう少しロマンチックな台詞《せりふ》がないものか。うまい言葉が見つからない。黙って手を握った。
——なんのためなのか——
こうして抱きあっていることが……。
——愛を確認するため——
本当にそうかなあ。
とりとめのない思案が浮かぶ。
男と女の魔の時間……。最前の情熱はなんだったのか。しらじらとしたものが心に昇って来る。
男と女なんて……目的はなにもない。抱きあっていること、それ自体に意味がある。高まりが去ってしまえば、目的のあやうさが心を蝕《むしば》む。欲望がなくなってしまえば、周囲の風景が変ってしまう。心が変ってしまう。
——今ならば矩を越えることもあるまい——
少なくとも性の欲望に関しては……。
「ちょっと」
つぶやいて朋子がベッドを立つ。バスローブをかぶってバスルームへ走る。
汗を流すため……。
しかし、朋子も心に広がる虚しさをのがれるためにベッドを離れたのかもしれない。
——地図を一つ一つ埋めて行く——
そのたびに美しい景色を眺め、きっと抱きあう。それ自体は喜びにちがいないが、あとには、色をぬられた地図しか残らない。ほとんどなんの意味もない終着点……。
——それでいいじゃないか——
人生そのものがそうなんだから。要は、
——朋子もそう思ってくれるかな——
その点にかかっている。朋子がそれなりに満足してくれれば、それでいい。
手を伸ばし、テレビのスウィッチを入れた。
時代劇らしい。若い男が殺され、みんなが死骸《しがい》に取りすがって泣いている。
「なんですか」
朋子が戻って来た。
「わからない。水戸黄門かな」
「ちがうみたい」
「見てるのか、いつも、家で?」
「ううん」
中彦の隣に体を滑らせながら、
「親戚の子に、とてもおもしろい子がいるの」
「ふーん?」
「テレビの時代劇で人が死んで、みんなが泣いていたら�でも、泣いてる人もみんなもう死んじゃったんだよね�そう言うのよ」
「ちがいない」
子どもは時代劇を本当のものとして眺めている。だれかが死に、みんなが悲しんでみたところで、その連中も遅かれ早かれ、今はもうみんな死んでしまっている。どんなに激しい喜怒哀楽だって、百年もたってしまえばあとかたもない。
「死なないうちに」
と、中彦は朋子の唇に触れ、胸をさぐった。
欲望が少しずつ甦《よみがえ》り、また心に映る風景が変った。
——俺だけがそうなのだろうか——
とりわけ性の欲望……。その多寡により世界を見る眼が微妙に異なる。女性が美しく見えたり、それほどでもなくなったり……これは本当だ。たしかにそんな気配がある。
だが、それだけではなく、もっと不思議な変化、大げさに言えば世界観のちがいかもしれない。生きて行く意味、それは当然、性とかかわりがあるにちがいない。
もちろん中彦は、男盛りの年齢、さしずめ朱夏のあたり、性の欲望にこと欠かないが、交接のあと、ほんの短い時間ではあるけれど、空白の意識が心をよぎる。
——生きるなんて、たいしたことじゃないな——
虚無的な思考が芽ばえ、努力とか闘争への意志がはっきりとしぼんでしまう。世界観が変ったようにさえ感じてしまう。
一過性の虚無感。すぐに回復する。
眠りは深かった。
翌日は名古屋へ戻り、
「城を見ないか? ほんの一時間ばかり」
「ええ。でも、どうして」
「愛知はまだだろ」
「通り過ぎただけ」
「だから」
「でも、あなたは何度も見たんでしょ」
「中へ入ったのは一回くらいだろう。いいよ、行こう」
二時間後の指定席を用意してタクシーを走らせた。
「名古屋は、わりと見るところがなくてね」
「明治村……。たしかここよね」
「うん。犬山のほうだから、少し遠い」
「まだ行ってないの?」
「まだだ」
城郭への道はすでに冬枯れて落葉が風に舞っている。城門をくぐり、天守閣に昇った。
城についての知識はとぼしい。説明を聞き、説明を読んでも、
——ああ、そうですか——
頭の中を通り抜けて行って、ほとんどなにも残らない。
記憶というものは、脳味噌《のうみそ》がそのことにどれだけ悩まされたか、苦労の量と関係があるらしい。苦労をしなければ覚えられない。
「生徒たちによく言うんだよ。試験場を出て来て、今日はどんな問題が出たが、あらかた思い出せるようなら入っているって」
「そうなの?」
「ああ。鉛筆を倒して丸をつけて来た奴は、Aに丸をつけたが、Bに丸をつけたか、問題そのものをよく吟味してないから記憶に残らないんだ。ちゃんと考えたあとでAに丸をつけた奴は、なぜAで、なぜBでないか、迷ったあげく、なにかしら自分でAを選ぶ理由を見つけ丸をつけるわけだろ。そこを覚えている。悩んだぶん記憶が残る。ちゃんとした理由で選んだときのほうがよく頭に残るし、それが正しんだよ。たいてい入るね」
「そうなんでしょうね」
「碁打ちや将棋指しが、終ったあとみんな覚えているのも同じことじゃないのか。漫然と手を選んでいるわけじゃない。この場面ではこの手、これが先で、これがあとで、相手はこう来るはずで……理屈がちゃんとあるんだ。行きあたりばったりで指してる奴は、理屈がなにもないからあとで思い出せない」
「道なんかもそうね」
「道?」
「ええ。知らないところを、自分で本気で捜しながら行くと、一度でしっかり覚えるけど、だれかに連れてってもらうと、何度行っても�ここ曲がるんだったかしら。もう少し先だったみたい�いつまでも覚えられないの」
「あるねえ。とくに女の人。だれかと一緒に行くと、本気で覚えてないんだ」
「そう、漫然と歩いてるの」
「人生も同じかもしれんぞ」
「同じよ。絶対に同じよ。全部自分の判断で、全部自分の責任で……それならしっかり身につくけど、半分くらいだれかを当てにしていると、いくらたくさん経験しても駄目」
天守閣のてっぺんから市街地を展望し、急な階段を降りた。
「そうかもしれない。城なんか日本中にたくさんあるし、結構いろんなとこで見てるんだけど、こっちになんの知識もないから、きちんと見てないんだな。どこを見ればよいか、ほかの城とどこを比較すればいいのか、なんにもわからない。漫然と見ている。だから、なんの記憶も残らない」
「あなたもそう? 私なんか完全にそう。桜が咲いてたとか、道が泥んこだったとか」
「水戸のお壕《ほり》の……公孫樹《いちよう》はきれいだったな」
「あれは忘れられないわ」
「またどこかで城を見るよ、俺たち」
「今度はどこかしら」
「どこだろ」
帰りの道が混んでいた。
予定の列車にギリギリ馳《か》け込む。
「もう厭っ。こういうの」
「次のに乗ったって、いいんだけど」
「そうよねえ」
静岡のあたりで暮れ始め、東京はネオンの輝く夜だった。
「さよなら」
旅の終りは、いつもよく似ている。
「また今度。楽しかった」
「ええ……」
今夜も朋子は仕事があるらしい。