1983・秋 鳥取・島根
朋子は間もなく原宿《はらじゆく》の店をやめた。
中野区の哲学堂に住まいを変え、引越の挨拶《あいさつ》状に、
�遅ればせながらまた人並みの暮らしを始めました�
と、ペン書きの細い文字で記してあった。
中彦の生活は変らない。あい変らず勝手気ままに暮らしている。暑い盛りに盲腸炎の手術をして一週間ほど休んでしまった。こんなときには女性がいてほしいと思う。
書斎の壁には、ぬり絵用の地図がそのまま貼《は》ってある。
時折、朋子からの絵葉書が届く。
旅先からの短信。地名が赤いインキで囲んであれば、それは新しいところへ行った合図である。ぬり絵をぬってくださいという印である。
�鳥取の砂丘で駱駝《らくだ》に乗りました。背中がゴツゴツしていて、とても�楽だ�なんてものじゃありません。砂丘は日本の風景じゃないみたい。山は紅葉の盛りです。県境を越えて鳥取県に入り、夕暮れの宍道湖《しんじこ》は墨絵の風景です。今夜は玉造《たまつくり》温泉に泊まります�
一人で行ったわけではあるまい。温泉は女が一人で行くところではない。
——うまくいってるのかな——
夫婦の生活は……。
いささかの嫉妬《しつと》もない。
——嫉妬がないのは、それだけ愛情がないから、かな——
正しいような、正しくないような……。
たしかに嫉妬の量と愛情の深さは無縁ではあるまい。だが、嫉妬深い人もいれば、淡白な性格の人もいる。たくさん嫉妬をしたからと言って愛情が深いとは限らない。人間がちがえば、おのずと嫉妬の量も異なる。
——俺は執念が足りないもんなあ——
どう計ってみても嫉妬深くはあるまい。朋子が本当に今の生活の中で幸福になってくれればいいと思う。
しかし、その夜、おかしな夢を見た。
強い雨が降っている。玄関のブザーが鳴る。ドアを開けてみると、ずぶ濡《ぬ》れの朋子が立っている。
「逃げて来たの」
「そうだと思ったよ」
レインコートの下には、なにも着ていない……。
眼をさますと、強い雨だけは本当だ。窓のすぐ近くに隣家の金属板の屋根が迫っていて、雨の様子が鳴り物入りでよくわかる。
——馬鹿らしい——
心のどこかで朋子が逃げて来てくれることを願っているのだろうか。
——ちがうな——
そんなことになったら面倒でやりきれない。それを望むくらいなら、もっと早い時期にやるべきことがあったはずだ。
頭の中には、いくつものユニットがある。どこかのユニットが勝手な妄想《もうそう》を描いて、それを夢にして映す。それだけのことだろう。
——朋子が逃げて来てくれればいい——
と、頭の中ですべてのユニットがこぞってそう考えているわけではない。
鳥取と島根がぬりつぶされて、残りがあと四つ……。
中彦自身は山形と和歌山と、あと二つを残すだけだ。