1985・夏 御巣鷹山
この夏、日本航空のジャンボ機が迷走のすえ、群馬県の御巣鷹山《おすたかやま》に墜落。五百二十人の死者を出す大惨事となった。
中彦は名古屋のホテルにいて、夜通しテレビで事故の報道を眺めていた。
飛行機は羽田《はねだ》発の遅い便だったらしい。
五百二十人の死者は、事故当日の朝から飛行機に乗るまでどんな一日を過ごしたのか。今夜死ぬなんて本気で考えた人はだれもいまい。魅入られるように、引き込まれるように、一歩一歩死の淵《ふち》に向かって歩み寄ったにちがいない。五百二十個の、それぞれの一日があったはずである。
——たしかアメリカのノンフィクションにそんな作品があったな——
タイトルは忘れた。
どこかの航空会社の大事故。もちろん実際にあったことである。ライターは克明に、死者たち一人一人の一日を取材した。
孫たちに送られ手を振りながら迎えの車に乗った大実業家、夫婦喧嘩《げんか》の気まずい気分のまま家を出たサラリーマン、前夜、恋人と真剣に論じあい、ようよう堕胎を決意した看護婦。さまざまな日常生活がいきいきと描かれていた。
それが突然消えてしまう。
——朋子は無事だろうか——
ときどき旅をしているようだけど。
夏が終る頃、朋子から少し長い手紙が届いた。
�知人がボーイング747機に乗っていました�
と書いてある。墜落した飛行機だ。
原宿《はらじゆく》でアクセサリーを売っていた頃の知りあいらしい。
——どの人かな——
女性らしいが、女性の乗客も少なくはなかった。あんなとき知人の名をテレビの画面に見つけて、人はどんな驚きを覚えるものか。最初になにをするだろう?
その女性は……朋子の手紙から察すると、まことに�運わるく�747機に乗ってしまったらしい。本来なら新幹線で大阪へ行く予定だった。たまたま蒲田《かまた》の取引先でトラブルが生じ、出発を一日延ばすつもりで取引先を訪ねた。トラブルは無事解決。
「大阪へ行こうと思ってたの」
「わるかったですなあ。ちょうどいい飛行機があるんじゃないかな。ここから羽田は近いし」
家に帰って、明日また出るより、今日このまま飛行機に乗ったほうがいい。そのつもりで出て来たんだから……。あまり会いたくもない義妹一家が泊まりがけで家に来ていることも思い出した。
とても微妙な心の動きで決まった決断……。問いあわせの電話を入れると、キャンセルの切符が手に入った。
——なぜそうしたのか——
だれしもが考えてしまう。朋子は書いている。
�……あなたがおっしゃるように、私たちは偶然この世に放り出されたのかもしれません。なんの目的もなく、なんの予定もなく、どのように生きたらよいか設計図もありません。きっとその通りでしょう。でも、そう思いながらも、まったく矛盾する心理なんですが、この世のことはみんな初めから決まってること、と、そう感じたりするときもあります。たとえば、今度の場合なんか……。事故で死んだ彼女は、生まれたときから昭和六十年八月十二日飛行機の墜落にあうと、そう決まっていた……。ただ、そのことをだれもが知らないだけ。そういう設計図がちゃんとあったのだと……。なぜそう思うのか、わかりませんけれど。そして、人生はみんなそんなものなのかなとも思います。どこかでまた偶然お会いしたいですね。私たちの設計図はどうなっているのかしら�
二度読み返した。
朋子の気持ちはわかる。
あまりにも不思議な偶然にめぐりあうと、それがあらかじめ予定されていた必然であるかのように思いたくなってしまう。中彦にもそんな体験がある。
だが……それとはべつに、
——朋子はしあわせなのかな——
それが少し気がかりだ。
——なぜ夫のところへ戻って行ったのかな——
中彦と一緒になるチャンスは何度もあっただろう。中彦は、自分の心の中を探《たず》ねてみて、そのすぐそばまで行ったことが幾度もあった、と、そう断言できる。つまり朋子と一緒に暮らそうと、その決断のすぐ付近まで……。朋子の心の中だって同様だったろう。
——あと一歩足りなかった——
おたがいの意志と言えば、意志だった。
でも、設計図がそうなっていなかったから、と、そんな気もする。
——朋子は俺に会いたがっているのかな——
手紙の最後は、読みようによっては、そう読むこともできる。
——俺も会いたいけど——
これから先の設計図はどうなっているのか。これまでに何度もくり返したような、はっきりしない関係を続けるために朋子に会ったりしてはなるまい。
ときどき朋子を思い出し、それもそうしょっちゅうではなかったが、また何か月かが流れた。