あとがき
——一都二府一道四十三県のうち、俺はいくつ足を踏み入れているだろうか——
三十歳を目前にして考えたことがある。そのことを今でもとてもよく覚えている。
私の場合は極度に少なかった。恥ずかしいほど少なかった。
幼い頃は、戦中戦後の苦しい時代に当たり、疎開を除けば、呑気に旅などをしているような世相ではなかった。十七歳で父を亡くし、家計は急に逼迫《ひつばく》する。余暇はアルバイトに当てなければいけない。そのうえ肺結核にかかって二年ほど療養所の生活を送った。大学を卒業して勤めた職場も出張や転勤など皆無に近いほど少ないところだった。前半生は本当に旅の少ない人生だった。
「行ったことのないとこがたくさんある人って、やっぱり社会的にあんまり重視されてないんじゃないかしら」
と、ずいぶんきついことを言うガールフレンド嬢がいて、言われてみれば、そんな気もする。
数えてみると、本当に少ない。十くらい……。社会的に重視されていないのだろうか。嘘をつきたくなるほど少なかった。
——それほど本質的なことじゃないな——
そう思いながらも気がかりで、今日に至るまで忘れられない。このテーマは、すでに断片的に小説やエッセイの中に書いているだろう。
小説家になって急に旅をする機会が増えた。意図的に旅に出るようにした。あらためて気がついたことだが、私は旅が好きなのである。若い頃はチャンスが与えられないだけだったらしい。心の中に一都二府一道四十三県の地図を描き、一つ一つぬりつぶしたのは、本篇の主人公に託した私自身の体験である。
ある編集者の言によると、
「小説家は、なんらかの形で自分のことを書くようですね」
「そうかなあ」
「絶対にそうですよ」
「うーん」
認めないわけにはいかない。
私は私小説の書き手ではないし、ほとんどの作品が作り物ではあるけれど、やはり自分の生活体験をおおいに利用している。身のまわりの人物もやっぱり登場する。
利用の方法はさまざまだが、�なんらかの形で自分のことを書いて�いることは否定できない。この�ぬり絵の旅�は、年来のこだわりを真正面からテーマに据えたものと言ってもよいだろう。私の場合も最後に残ったのは、和歌山県だった。
——恋愛って、なにをするものかな——
一人の男性として、いや、むしろそれ以上に一人の小説家として、このテーマもよく考える。
結婚に至るプロセスとして考えるのはやさしい。世間にいくらでもある。ことの性質上、結婚に至らないケースはたくさんあるけれど、やっているときは暗黙のうちにもそれを考えている。ほとんどの恋愛が結婚の支配を受けている。もちろん、結婚ができにくい状態……たとえば一方が(あるいは双方が)すでに結婚をしている場合、そんなときにも恋愛は充分に成立するだろうけれど、これは行く末が見えている。結婚に負けるか、結婚に吸収されるか、この場合もやはりべつな形で結婚の支配を強く受けている。
配偶者を持たない男女が、長い年月に渡って、それなりの愛情を持ちあうとしたら、どんな感情だろうか。どんな生活になるだろうか。たまたま近いところにそんなモデルがいて、それがこの作品を書くもう一つのきっかけとなった。完全に結婚を離れた形ではないけれど、この世にありうる一つの男女の仲を描くことはできたと思う。
結婚とかけ離れた恋愛……。考えようによっては、無償の行為である。恋愛というものは、それほど強く結婚の支配を受けているから、結婚を取り去ってしまうと、
「私たち、なにをやっているのかしら」
「まったくだ」
楽しさはあっても目的意識がめっきりと稀薄になってしまう。目的のないことを長く続けているのは、人生になじみにくい。なにかしら目的を作らなければいけない心境に陥るものだが、それもむなしい。人生そのものがそうなのかもしれない。むなしいながらも、目的を作って生きて行かなければいけない。私の二十代、三十代はそうだった。今も多分そうだろう。
先にも書いたように、私の最後も和歌山県だったが、もちろん岡島中彦は私自身ではない。分身というほど近い存在でもないだろう。主人公と作者をできるだけ離して書く、それが私の方法なのだから。
二か月ほどかけてイメージをふくらませ、七月の暑い盛りに、一日十枚ずつ、三十日をかけて書きあげた。十枚を越えた日もなければ、欠けた日もなかった。
10×30 = 300(枚)
この数式通りに書こうと思い、その通り実行した。これも初めての試みだった。
著 者
一九八九年秋