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まじめ半分02
日期:2018-03-31 09:47  点击:317
 視 線
 
 
 いっとき、テレビのワイド・ショウで司会役を務めたことがあった。毎週三時間、きっかり一年間続けた。
 テレビに出演するのは初めての体験ではなかったけれど、それまではいつも�お客さん�の役まわりだった。自分が番組の中心に居すわってホストの役を務めるのは、このときが初体験であった。
 小説家専業になる前は国立国会図書館の司書だった。図書館員は多少�世間知らず�でもつとまる稼業で、事実外部の人と接触する機会は極度に少なかった。小説書きという仕事も、いったん専業になってしまうと、書斎に閉じこもっていることが多く、思いのほか世間が狭い。いろいろなことを知っているように見えても、それは傍観者としての知識で、なまの体験とはなりがたい。人間関係もすこぶる恣意《しい》的である。もう少し世間的な仕事を経験してみたいと考えて、テレビ局へ赴くことにした。
 初日の放映が終わったあとで番組のディレクター氏が、
「もう少し視線が動かないようにしてくれませんか。とくに視聴者に向かって話しかけるときには、しっかりレンズを見てください」
 と、言う。
 ディレクター氏が言わんとすることは、すぐにわかった。
 たとえば講演会のときなど眼の前に実際に大勢の聴衆がいる場合には、その人たちに視線を向けて話すのはやさしい。普通に話しかければ、自然と視線は聴衆のほうへ向く。
 ところがテレビ・スタジオではどこにも視聴者がいない。レンズの向こうに抽象的に存在しているだけである。その眼に見えない何十万人かの存在に対して、愛想よく話しかけるのが私にはなかなかむつかしい。
 レンズは小さいし、あえて覗《のぞ》き込むと自分の顔がかすかに映っている。二回目からディレクター氏の意図に沿うよう努力してみたが、なんとなく照れくさくて、いつまでたってもうまくやれる自信が湧《わ》かなかった。
 この忠告を受けてからテレビの見かたが少し変わった。つまり、テレビに登場する人たちが、レンズを覗いているかどうか、その点がひどく気になるようになった。
 専門の司会者たちはさすがに巧みである。テレビを見ている私に対して、いかにも直接話しかけているように、まっすぐに視線が飛んで来る。ひいきの女優さんが私ひとりに妖艶《ようえん》なまなざしを注いでくれるのは、わるいものではない。
 ——この要領でやればいいんだな——
 とは思うのだが、現実に自分がスタジオに入ってしまうと、つい、つい、視線がレンズ以外の周囲に実在するもののほうへ向いてしまう。
 ——こんな簡単なことができないようでは先々が思いやられるなあ——
 と、考えないでもなかった。
 気がついてみると、私は普段の生活でもあまりまともに相手の顔を見て話したりはしない。
 視線がパチッと合ってしまうと、自分のほうから眼をそらしてしまう。
 会話というものは、相手に正対して、まともに表情をうかがいながら交わすのがよろしい——それがやましい心のない証拠である——と一般に考えられているようだが、現実はかならずしもそうではあるまい。あまりまじまじと見つめられると、かえって話しにくいものである。こっちがそうである以上、多分相手もそうだろう。だから本音を聞きたいと思ったら、いくぶん斜に構え、視線をそらし気味にしていたほうがいい、と、そんな配慮が私にはある。
 ところで大脳生理学によれば、理性は眼に現われ、感情は口もとに現われる傾向があると言う。
 となれば、
 ——こいつにはいい印象を与えてやろう——
 と、理性が判断したときは、眼はおおいに演技力を発揮する。
�眼は真実を語る�というのは、ある程度までは事実だろうが、なにしろ理性の命令によって演技のできる器官だから、過信をするとそれが陥《おと》し穴にもなりかねない。
 このことは経験的にも納得がいく。
 ホステスさんのとろけるようなまなざし、あれをいちいち真情の吐露と考えていたら、とても身が持たない。身が持たないと言うより財布が持たない。その点、口もとの表情のほうは多少なりとも信頼がおける。なにしろ理性によって支配される度合いが少ない、と大脳生理学が言うのだから。
 この学説を百パーセント信じているわけではないけれど、�眼は思いのほか信用できない�という考えを私は抱いている。�口もとだけが�とは思わないが、眼以外の、なにか漠然とした表情のほうが——ななめに眺めて感知される雰囲気のほうが、正しく相手の性格や感情を表出しているように思う。
 相手の視線をまともに見ない癖は、こんな判断から身についたものなのだろう。
「レンズの向こうに、あなたのことを思ってじっと見ている人がいる、その人に合図を送るんだ、と、そう思えばいいんですよ」
 と、ディレクター氏は無器用な私に何度も同じことを告げていた……。

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