ネクタイ売り場で
デパートにネクタイを買いに行った。
下着売り場などでは店員にうまく振り向いてもらうだけでも、ずいぶんと苦労することがあるけれど、ネクタイ売り場ではなぜかたちまち店員がまとわりつく。
「お客さまがお召しですか」
「今のお背広におあわせですか」
「どんながらをお捜しですか」
まだろくに品物を見てないうちに矢つぎばやに質問を浴びせかけられる。
こちらとしては曖昧《あいまい》に、不機嫌に首を振るよりほかにない。
大勢の中にはネクタイ売り場の店員にいろいろと示唆を受けたいお客さんもいるのだろうが、一方、迷惑をしている客も少なからずいるはずである。
商売としては、まずお客が相談を求めているかどうか、そこを判断するのがサービスの第一歩だと思うけれど、いつもこちらの気分に関係なくつきまとわれるところを見ると、そういう店員教育はあまりおこなわれていないらしい。
実際の話�今の背広におあわせですか�と尋ねられても困ってしまう。背広はなにもこれ一着しか持っていないわけではないのだから、こちらは家の洋服だんすにぶらさがっている背広たちともかねあわせて思案しているわけである。
�どんながらをお捜しですか�にいたってはさらに困惑する。
まれには�水玉にしよう�とか�チェックにしよう�とか、初めから決めて買いに行くこともあるけれど、たいていは品物次第。眺めたあとで、いいがらだなと思えば無地、水玉、チェック、ストライプなんでもかまわないのではあるまいか。
ああ、それなのに、店員はなにやらヘンテコな模様のネクタイを一本取りあげ、
「これなんか現代的な感覚でよろしいと思いますわ」
などと、つけまつげのまなざしでじっとこちらの人相風体を見据える。戸惑っていると、胸のあたりに当ててくれたりする。店員さんには店員さんなりの、なにか見識があるのだと思うけれど、これが本当に似合う場合はめずらしい。
そこで、こっちが今店員さんが選んだのとは、まるで印象のかけ離れたネクタイを手に取ると、
「あ、それもお似合いだと思いますわ。新しいがらで、評判がよろしいんですのよ」
と、おっしゃる。
本当は今着ている背広ではなく、ぜんぜんべつな背広のことを頭に浮かべてそのネクタイを手に取ってみたのだが、それでも�似合う�とはいかなることか。彼女の美意識と、私の美意識には相当のへだたりがあるとしか思えない。
「ゆっくり見させてもらうから」
とかなんとかこちらは口の中でモゾモゾと言い、なんだか悪いことでもしたような気分を胸に抱きながら、隣のウインドーケースのほうへ足を運ぶと、そこでまた、
「お客さまがお召しになるのですか」
「今の背広におあわせですか」
「どんながらをお捜しですか」
と、新しいつけまつげさんがにこやかに近寄って来る。
結局は買わずに逃げ出してしまうか、なんとなく釈然としない思いのまま�お似合い�の一本を買わされてしまう。
ネクタイを締めるようになってから、もう二十年以上になるが——ということはネクタイを買い始めてからも同じくらいの年月がたっているはずだが、デパートのネクタイ売り場の商法はあまり大きく変わっているとは思えない。
私だけが例外で、ほかのお客さんたちは、つけまつげのお嬢さんにつきまとわれるのが、思いのほか楽しいのかもしれない。あまりそんなふうには見えないけれど……。
ネクタイと言えば、ある友人が「あれは一締めで社員食堂の飯が一回食えるんだぞ」と、教えてくれた。
彼の説明はこうだ。
ネクタイなんてものは、せいぜい一本三十回も締めれば、それでご用済みとなる。一本六千円のネクタイとして、三十回締めて終わりなら、一締め二百円になる計算だ。社員食堂の梅定食くらいは食えるだろう。こう考えてみると、ずいぶん高価なものではないか。
鏡の前でただ一回ギュッと締めるだけで、もう二百円。フランス製のネクタイなど買おうものなら、たちまち一締めが四、五百円くらいに跳ねあがる。さりとて毎日同じネクタイというわけにもいかないし。
気に入らないネクタイなどを買わされて、四、五回締めておしまいということになると一締めの単価はとたんに高騰する。それを思えば買うときによほどゆっくりと吟味せねばなるまい。
つけまつげ嬢よ、願わくは、気弱なる男たちのために安んじてネクタイ選びをさせてくれんことを。