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まじめ半分09
日期:2018-03-31 09:52  点击:314
 いかなる名人上手でも
 
 
 原稿を書き終えると、原稿用紙の右肩に小さな紙片を当て、その上下からホチキスでガチャンと留める。
 二十枚までの原稿なら、どこの事務室にでもあるような小型のホチキスで、それ以上は大型の卓上ホチキスで留める。
 印刷所では、この留め金をはずして活字を組むのだろう。原稿はバラバラのまま渡したほうがよろしいと、そのへんの事情はよくわかっているのだが、以前に、中の一枚を編集者に手渡す前に紛失したことがあって、以来、完成と同時にガチャン、このシステムが確立してしまった。
 しかし私の場合は、この�ガチャン�の時が本当の意味での脱稿ではない。一応の完成をみたあとで、何度も何度も読み返して手を入れるくせがある。優柔不断なのかなあ。
 音読してリズムのおかしいところがなかろうか。論理の矛盾があるまいか。同じ表現を何度も使っていやしまいか。誤字は? 脱字は?
 読み返したからといって駄作が急に名作に変わるはずもないのだが、さながら四六のガマが鏡に映るおのが姿に恥じて油汗を流すように、私も不快の汗を流しながら読み返す。
「今度こそ最後」
 と思って、読み通し、机の引出しに投げ入れるのだが、そのあとでまた引き出して二度、三度読み直すこともめずらしくない。
「そんなに読み直しているわりには、陳腐な表現も多いし、誤字もあるじゃないか」
 と、言われたら——心やさしい編集者は、そうはおっしゃらないけれど、内心ではそう思っているにちがいない——まさにその通りだと思うのだが、ある意味では、自分の書いたものが、自分で考えているより�いい出来だ�と自覚したいために……いや、錯覚したいために読み返しているところもある。だからこそ、なかなか錯覚ができなくて何度も読み直すことになってしまうのだ。
 こんな事情があるので、原稿は書き上がり次第、即刻持ち去っていただきたい。早ければ早いほどよろしい。時には、いたたまれなくなって、タクシーを飛ばして自ら出版社まで持って行くこともある。
 編集者の手に渡してしまえばこれにて一件落着。今さらジタバタしても始まらない。賽《さい》は投げられたのだ。
「いかなる名人上手でも細工の出来不出来は時の運。一生のうちに一度でも天晴《あつぱ》れ名作が出来ようならば、それがすなわち名人ではござりませぬか。つたない細工を世に出したと、さほど無念とおぼしめさば、これからいよいよ精出して、世をも人をも驚かすほどのりっぱな面を作り出し、恥をすすいでくださりませ」
 などと�修禅寺物語�の一節を心に詠じ……すると、自分も夜叉王《やしやおう》クラスの名人になったような気分になって、おおいに慰められる。
 編集者が玄関から立ち去るのを見送って、これが本当の、私の脱稿。
 さて、それからあとは……ひげでも剃《そ》るかな。
 原稿を書くときは無精ひげのままだが、一段落すると無性にひげが剃りたくなる。
 私のひげは、黒、赤、白の顕著な三色で「雄の三毛はめずらしいのだぞ」と威張っているが、実際に伸びて来ると、まことにみっともない。
 お湯をわかし、タオルで蒸し、切れ味のよい安全カミソリで剃る。気分は爽快《そうかい》。
 それからは外出するときもあるし、家で飲むこともある。もうこの頃になると、原稿のことはきれいサッパリ忘れている。

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