十年の歳月
十年ほど前に池田書店から�ユーモア一日一言�という本を出版した。一年三百六十六日、その日その日ごとにだれか著名人の言葉やエピソードを取り上げ、それにユーモラスな解説をほどこしたものである。
取りあげる人物は、その日にちなんだ人、たとえば誕生日であるとか、命日であるとか、歴史上の事件を起こした日とか、そういう関連性のある人物を選ぶつもりであったが、三百六十六日くまなくそういう関連性を見出《みいだ》すことはむつかしい。部分的にはなんの関係もない人を、なんの関係もない日に登場させたこともあった。
長らく絶版になっていたのだが、出版社から、
「ちっとも内容が古くなっていないから、改訂版を出してみては……」
と、勧められ、若干の手直しを加えて出版することにした。
読み返してみると、自分が編集したものではあるけれども、なかなかおもしろい。
「へーえ、こんなエピソードがあったのか」
と、あらためて思い出し、笑いを誘われた。
十年前は国立国会図書館に勤務していたので、背後に資料が山ほどあった。今、私の蔵書だけを頼りにこれだけの内容の本を作るとなると、相当にむつかしい。
三月十三日には毛沢東の言葉が引用してある。
「現在の世界では、すべての文学・芸術はみな一定の階級のものであり、一定の政治方針にしたがってできている。芸術のための芸術、階級を超越した芸術、政治から独立した芸術というものは実際には存在しない。プロレタリアの文学・芸術は全革命事業の一部であり、革命という機械全体の中の歯車やネジである。文芸は政治に従属するものであるが、逆にまた政治に大きな影響をおよぼす。革命的な文芸は全革命事業の一部であり、第二義的なものではあるが全体にとって欠くことのできない大切な歯車やネジである」
著名な�文芸講話�の一節である。�革命に奉仕するためのものとしての文学�。そんな考え方がさかんに宣伝されていた。今の中国でも、おそらくこの理論は生きているのだろうが、日本ではこんな理論が�なまの�形で見られることはほとんどなくなった。それを退化と考えるべきか、進化と考えるべきか……。
六月二十六日の項には、パール・バックの次の言葉が載っている。
「男は自分の知っているたった一人の女、つまり自分の妻を通して女の世界全体をいいかげんに解釈をしている」
女性軍としては、女の悪口に対してこうでも言って一矢をむくいなければ気分が収まるまい。
十月四日はソ連で人工衛星第一号が打ちあげられた日で、この日の登場人物はニキタ・フルシチョフ。
「フルシチョフは次のような話をして一座を爆笑させたことがあった。あるロシア人が�フルシチョフは馬鹿だ、フルシチョフは馬鹿だ�とわめいてクレムリン宮殿の前を走りぬけようとした。その男は捕えられて二十三年の禁固刑に処せられた。三年は党書記侮辱罪に対してであり、二十年は、国家機密|漏洩《ろうえい》罪に対してである」
このジョークは楽しい。
フルシチョフは、みずからこんなジョークを気軽に話す陽気なタワリーシチでもあったらしい。
十月六日はシャンソン歌手のモーリス・シュバリエのエピソード。
「若いピチピチした娘を見て、中年男のシュバリエがため息まじりにつぶやいた。�ああ、もう二十年としを取っていたらばなあ�。これを聞いた友人が�えっ? 二十年若かったらじゃないのかい?�すると、往年のプレイボーイはゆっくりと首を振って�いや、二十年としを取っていたら、こんなに胸をときめかす必要もあるまい�」
老いてますますさかんだったシュバリエも、�二十年後はもう駄目だ�と考えていたのだろう。
そして、十二月一日はジャン・ポール・サルトルの言葉。
「人間はまず先に存在する。人間は世界に不意に姿を現わし、その後で定義されるのだ」
つまり……人間はあらかじめなにかの目的にかなうように作られたわけではない。まず先に存在してしまって、それを素材にしてなにを作りあげるか、それは人間それぞれの自由なのだ、というのが彼の哲学であった。
すでにお気づきのように毛沢東もバックもフルシチョフもシュバリエもサルトルもこの十年のうちに死んでしまった。
私自身はと言えば、この十年のうちに図書館員から作家へと身分を変えた。これから十年先どうしているか、まさか死んではいるまいと思うが、それもわからない。日本国そのものがどうなっているやら……十年の歳月は短いようにも思えるが、結構盛り沢山の変化があるものだ。