カマボコ考
魚を磨《す》った食べ物が好きである。
ひらたく言えば、ツミレ、カマボコ、ハンペン……国産品愛用風の食品である。いや、待てよ、原料は輸入しているのかな。
子どもの頃には母がよく小イワシを磨り潰《つぶ》してホーム・メードのツミレを食べさせてくれた。
あの味はなつかしい。
家内はあまり作らない。
「新しいイワシがないのよ」
「子どもたちがあまり好きじゃないの」
というのが、その理由らしいが私のほうも無理には注文しない。
母の思い出に連なる料理というものが、一つくらい無垢《むく》のまま残っていてもいいではないか。そんなノスタルジアがある。
私の母は、どちらかと言えばせっかちの性分で、あまり料理は得意ではなかったようだ。
ツミレを作るときには、イワシを刻んで磨り鉢の中に入れ、丹念に磨り潰すのだと思うけれど、母はこの最後の作業をいくらか手抜き加減にやっていたらしい。おかげでできあがったツミレの中には微細な骨が残っていて、噛《か》むたびに口蓋《こうがい》をちょっと突き刺す。調理法としては、あまり上等の部類ではあるまい。
しかし、私にとっては、これがツミレの中のツミレなのである。
昨今デパートなどで買って来たツミレは、機械を使って丁寧に加工してあるから、口内を突っつく刺激などあらばこそ、なんとなくノッペラボウの印象でおもしろくもない。
料理店で手作りのツミレを食べても、母の作品にくらべればずっと抵抗感が少ない。一生のうちにもう一度あんなツミレにめぐりあうことがあるだろうか。家内にも頼まずに、じっと再会の日を待っているのは、こんな思惑が心のうちにあるからだろう。
母は仙台の生まれなので、笹《ささ》カマボコも子どもの頃からなじんだ食べ物の一つである。仙台のナントカいうカマボコ屋では、「ヒラメの皮をはいで、グルグル巻きにして店の前に飾ってあるのよ。�うちのカマボコはこんなにたくさんヒラメを使ってます�ってそれを見せるためだったのね」と、話してくれた。
今でもこんな習慣が残っているのかどうかわからない。
昔は仙台から来客でもないかぎり、なかなかお目にかかれない品だったが、今ではどこのスーパー・マーケットに行っても売っている。
形はたしかに笹の葉の形だが、味のほうはすっかり画一化されてしまって、記憶の中にある味とはだいぶちがっている。もう材料にヒラメなどを用いることもないのだろう。
酒の肴《さかな》には、手軽で便利で、ほどほどにおいしいからカマボコを食べることが多い。
先日もスーパー・マーケットで買って来て、紙の包装を脱がせてみたら、カマボコのほうは薄いビニールに包まれ、その下に板が一枚そえてある。「あれっ」と驚いた。カマボコというものは、本来、板にピッタリと身をくっつけてうずくまっているものだったのに、いつの間にかカマボコはカマボコ、板は板と、別個になってしまった。
この様子から察すると、現代のカマボコは製造上まったく板を必要としなくなって来つつあるのだろう。それなのに、昔の名残で板だけがそえてある……。
もしそうならば、資源の無駄使いではあるまいか。材木の値段はドンドンあがっている。パルプも不足気味である。たかがカマボコ板一枚と言うなかれ、不用の物なら、わざわざ貴重な木材を切って削ってカマボコの台にすることもあるまい。
カマボコをそぎ取られたあとのカマボコ板は、まさか表札に用いるわけにもいかず、子どもの下駄にするわけにもいかず、そのままゴミ箱にポイ。ここでまた無用のゴミが増える。二重の無駄と言うよりほかにない。
第一、板をつけたまま包装してあると、カマボコそのものが大きく見える。スーパー・マーケットのウインドーに並んでいるのをながめて、
「これが五百円、これが四百円。大きいほうが安いなあ。なぜだろう」
と思ってみても、包装をほどいて見ると、大きいほうにはタップリと板が隠されていて、実質は小さい。
これも一種のウソツキ食品ではあるまいか、と思ったりする。
と、まあ、カマボコ一本見つめているだけで、日本の資源問題、ゴミ処理問題、誇大表示の問題、さまざまな社会問題が心に昇って来る。
そこでさらに�今日はなぜこれほどカマボコに関心を持っているのか�と考えてみれば、家内に、
「あなた、今日はいそがしいの。酒の肴くらい、自分で考えてくださいな」
と言われたからであり、一番簡単に食べられる物を自ら買って来たからだった。そこでまた考える。
——亭主の座も弱くなっているんだなあ——などと、これはまた新しい社会問題が心に昇ってくるのであります。