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まじめ半分18
日期:2018-03-31 09:56  点击:258
 被説得力
 
 
 話はいささか旧聞に属するが、伊藤|律《りつ》氏が帰って来た頃のことである。
 なぜこの時期に中国が伊藤氏の生存を明らかにして帰国を許可したのか。なにはともあれ、中国はソ連などとはちがって人道的な配慮の国だと、そのことをPRするのが一つの目的だったろう。私が言うのではない。新聞、雑誌にそういう論調が多かったように思う。
 ところが、ある週刊誌にもう一つべつな解釈が記してあった。
 平たく言えば、
「なにが人道的なものか、二十数年間も生死を不明にしておいて、そのことのほうがよほど非人道的な印象を与える」
 という主旨だった。
 なるほど。言われてみればそんな気がしないでもない。そりゃ体も不自由になり、望郷の念ひとしおの老人を暖かく故郷へ帰還させるのは、間違いなく人道的な措置にはちがいなかろうが、
「もっと早く帰国させてもよかったじゃないか」
 という考えも当然成り立つ。
 どちらの見解が正しいのか私にはにわかに判定ができない。
 ただおもしろいのは、みなさんが�中国の人道的措置�を了としているときに、すかさずほかの考え方を——充分に説得力のあるもう一つの考え方を思いつく、そのへそ曲がり精神である。これは物書きを生業とする者にとっては、なかなか捨てがたい貴重な才能の一つである。
 私自身はと言えば、たしかに物書きを生業としているし、へそ曲がりの部分も多少あるのだけれど、あまりこの方面の才能には恵まれていないようだ。
 その原因は、まずなによりも�被説得力�が旺盛だからだ。
�被説得力�——あまり耳慣れない言葉だと思う。広辞苑を引いても載っていない。それもそのはず、これは私自身が作った言葉である。
 人を説得するのが説得力であるならば、その逆に人に簡単に説得されてしまう能力も存在しているにちがいない。これが私の言う被説得力である。
 なにやらもっともらしい説明を聞かされると、私は、「うん、なるほど、そうだろうなあ」と、簡単に説得されてしまう。
 早い話が�伊藤律氏を帰国させたのは、中国の人道的配慮である�と書いてあれば、
「中国人は器量のデカイところがあるからなあ」
 と、たちまち感じ入ってしまう。
 ところが、そのすぐあとで、
「二十数年抑留しておいたことのほうが、よほど非情じゃないか」
 と聞かされれば、ポンと膝《ひざ》を打ち、
「たしかに。中国という国は、深慮遠謀があって、ちょっと油断のならないところがあるからなあ」
 と、あやぶんだりする。
 軽薄と言うべきか、付和雷同と言うべきか、まことに頼りない。
 これもひとえに被説得力が旺盛なためらしい。
 こういう性向は人生を渡るうえでかならずしも便利なものではない。
 学生時代に貧乏をしていた話は、すでに一、二度書いたと思うけれど、ある時なにがなんでも奨学金を借りなければならないと思った。
 現在はどういうシステムになっているか知らないが、昔は申請書を提出したあとで、学生課のしかるべき先生の面接を受ける制度になっていた。
 教授が書類を眺めながら、
「キミ、そりゃお父さんがいなくて大変だろうけど、お兄さんもいることだし、家も東京にあるんだし、アルバイトでもしてなんとかならないかね」
「はあ」
「奨学金といってもそうたいした額じゃないからね。家庭教師のほうがいいんじゃないかな」
「はあ」
 五、六分も説得されているうちに、
「はい、なんとかできると思います。今までもそれでやってきたんですから」
 と、つい言いたくなってしまう。
 口に出して言わないまでも顔色に現われてしまう。これではなかなか奨学金は貸与されない。
 この習性は今でも少しも変わらずに続いていて、原稿の注文が来るといっこうに断れない。
「ほんの三枚ですから」
 などと言われると「ああ、そうだな」と思って引き受けてしまう。
 だから、わが家では、新聞勧誘員、セールスマンなど、それらしい風体の人が訪ねて来たときには、けっして家内は私を玄関に出さない。当然の配慮だと思う。
 ところで、伊藤律さん、頭の冴《さ》えたかただそうだから、落ち着き次第いろいろおっしゃるのでしょうなあ。私が「ああ、そうだったのか」と、納得するすばらしい�真実�を。

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