遠い日の美少女
これから書くのは、いくらか甘っちょろい話である。遠い日の感傷である。
比較的幼い時代のあるとき、私は一人の美少女とめぐりあった。初めて出会ったところも、時も、ほぼ正確に思い出せるのだが、それは言わない。
彼女は赤と緑の、粗い織り目のカーディガンを着ていた。眼が幼い草食動物のようにつぶらで、鼻梁《びりよう》がまっすぐに伸びていた。肌の色も静脈が透き通るほどに白い。
いったい顔の好みというのは、いかなる知能の差異によるものか、今でもよくわからない。
ある人は松坂慶子がいいと言う。ある人は大原麗子のほうがよろしいと言う。かと思えば、山口百恵が一番という人もいる。松坂さんも大原さんも山口さんも、それぞれに美人にはちがいないけれど、そして男という生き物は例外なく美人が好きなものだけれど、それにしても何人か並んだ�間違いのない�美人の中で、特に松坂さんをよしとし、あるいは大原さんを選ぶ、その微妙な差異はなんなのか。
一言で言えば、それは個人の好みの問題なのだろうが、好みの背景には、その人の大脳の働きのようなものがきっと存在するにちがいない。自分の母親にどこか似た傾向の顔を選ぶとか、あるいはそれと正反対のものを選ぶとか、さらにまた、なにか本人が形成した独特な美意識の尺度があるとか……。
とにかく、私はその時見た少女の顔を大変美しいと思った。美しさから受けるショックの強さだけから言えば、生涯で一番か、二番と言ったほどに。今、思い返してみると、本当にそんなにきれいだったのだろうか、と疑問が湧《わ》かないでもないけれど。
彼女は同じ学年の女生徒だったが、私のクラスの人ではなかった。
男と女がまだそれほど自由に会話を交わしたりすることのない時代だった。もちろんなにか用があれば話しもしたが、私が彼女と話をする、そんな都合のいい用件はなにひとつとして思い浮かばなかった。
私はただひたすらに視線で彼女の姿を追った。クラスがちがうので、そういつも見かけるわけにはいかなかったが、彼女が居そうなところにはいつも目を配り、見つけてはじっと凝視していた。
彼女の人柄については、ほとんどなにも知らない。おとなしそうだったが、芯《しん》はしっかりしていたような気もする。家庭環境が複雑で、そのせいもあってか、私などよりずっと�大人�だったような気もする。
私は、彼女のクラスの脇《わき》の廊下を通るときにも、かならずチラリと視線を走らせて彼女の姿を求めた。彼女は窓に近い席にすわっていて廊下に面している窓はたいてい開いていた。
そのうちに、彼女は私の視線に気がつくようになった。
気がついて、なにを思ったか、それもわからない。�この男によく見られている�と感づいたのは、おそらく間違いあるまい。そして、自分が美少女であることは、多少なりとも知っていたはずだから、その視線の意味もおおよそ見当がついていただろう。
やがて彼女は転校することになった。私はその噂《うわさ》を聞いた。
転校の一日前か、二日前の放課後、彼女は学校の長い廊下を女友だちと二人で歩いていた。私は偶然か故意か——おそらく初めは偶然で、そのあとは故意だったと想像するのだが——二人のあとを追って歩いていた。
——彼女に話しかけるなら、今が最後の機会だな——
と思ったが、やはり声をかける適当な言葉がない。
仕方なしに道連れの女性に——その人とは何度か話したことがあった——呼びかけた。
その一瞬、わがベアトリチェは、声をかけられた当人よりもすばやくクルリと振り向いた。彼女も私がうしろからついて来ているのを知っていたのかもしれない。
しかし、いぜんとして彼女に話しかける適当な言葉は湧いて来ず、私は当初の予定通り連れの女性に、当たり障りのない用件を話した。
それだけで終わった。いや、そうではない。もう一度彼女には会っている。
彼女が転校して行ってしまってから、一年くらいたってからだったろう。私は駅のポストの前につっ立っていた。自転車の番をしていたような気がするのだが……。
時刻は六時近く、日の入りどき。祭の季節らしく、町をねり歩く山車《だし》がにぎやかな楽の音を風に流していた。
人波の中からポッカリと彼女が現われた。
彼女はポストに手紙を入れに来たところだった。
私のほうに近づく。私は身を堅くする。彼女のほうもポストのそばに立っている人影に気づかぬはずはない。
なにか話しかけなくては——そう思ったが、ヤッパリ言葉が出ない。彼女はポストに手紙を落とし、踵《きびす》を返し、そのまま立ち去った。
凍りつくような時間だった。西の空が無情に赤く映え、祭の音が嘲笑《あざわら》うように風に乗って逃げ去った。本当にこれっきりだった。
私の初恋は、この時より四、五年はのちのことになる。奥手のほうだった。早い時代に女性と仲よくなった男は、生涯を通じて女たらしになりやすいものだ。
�女たらし�が言い過ぎなら、女扱いがうまい。
一言、彼女に話しかけていたら、急速に仲がよくなっていたような気がする。彼女と私がどういう間柄になったかはともかく、私の�女扱い�は——したがって私の人生は、相当にちがっていたのではあるまいか。
ポストの脇で別れてから充分に長い年月が流れたが、なにしろ同窓生なので、彼女とめぐりあう方法がまったくないわけでもない。
もし、めぐりあったら、少女は男のあんな視線をどう感じたものか、クルリと振り返ったときの心根、ポストに近づき、そして遠ざかったときの心境などを尋ねてみたいような気がしないでもない。
忘れている可能性のほうが強いだろうけれど。