女房と本棚
友だちの奥さんを拝見すると、その友人が人生をどう考えて生きているか、本音の部分がチラリと垣間見えて楽しい。
奥さんがすてきに美人だったりすると、「ああ、なるほど。彼はヤッパリ美人が好きだったのか」と、妙に納得がいく。
ひがんで言うわけではないけれど、美人というものは、我ままだったり、金使いが荒かったり、浮気者だったり、体が弱かったり、力仕事ができなかったり、同情心が足りなかったり……その他、人生をともに過ごすうえでは不都合な欠点をたくさん持っている。
婚約相整うまでに男は三拝九拝、せつに願ってようやく嫁さんに来てもらったいきさつもあり、結婚後の生活でもそう威張って暮らすわけにいかない。
それにもかかわらず、それを承知でこうした女を細君にしているところを見ると、わが友人は、自分の窮屈は多少我慢しても人生をカッコウよくやって行きたいと思う質《たち》なのだろう、と想像がつく。
反対に、友人の奥さんがハッと驚くような不美人だったりすると、これはまたこれで、「ふむ、ふむ」と、合点がいく。
女房なんてものは、結婚当初はいざ知らず、それ以後は�表裏見分けがつく程度に顔があればいい�と言うのも一面の真理であって、なまじ美人と結婚して窮屈な思いをするよりも、丈夫で長持ち、気楽につきあえるほうがお徳用である。わが友人は�花より実が大切�と考えているのであって、堅実な人生観の持ち主なんだな、と察しがつく。
もちろん広い世間には美人で賢夫人もいるし、あるいはその反対に顔は狸《たぬき》のアカンベエ、性格は絵にかいたような性悪女、最低のケースもあるのだから、ことはそれほど単純ではないし、また、私が言いたいのは容貌《ようぼう》のことだけではない。だが、とにかく、友だちの奥さんを拝見すると、なにかしらなるほどと思うことがあるものだ。
私がそう感ずる以上、私の友人もまた私の妻を見て、いろいろ考えるにちがいない。
——あの野郎、なにを考えやがったかな——
と、思えば、こちらは尻《しり》のあたりがモゾモゾとして、あまり心地のよろしいものではない。
私は、どちらかと言えば、家内を人前に出すのが好きではないのである。
同じことは本棚についても言えるようだ。
つまり……友人の本棚を眺めていると、彼が今、本当に興味を持っているのはなんなのか、思想傾向や趣味|嗜好《しこう》に至るまで、おおよその見当がつく。脳味噌の断層写真がチラリと見えて来る。
竹村健一さんの本なんかがあれば、
——ああ、なるほど。このあいだ核エネルギー問題について、いっぱしのこと言ってたけど、この本の受け売りだな。ちょいと軽薄だぞ——。
と、納得する。
小林秀雄さんの�本居宣長�なんかがあれば、
——へえー、驚いた。知的好奇心があるのは本当らしいが、新聞の批評なんかに踊らされて、こんな高価な本を買うところもあるんだな。インテリ性みえっぱり——
と、推察できる。
そう、そう、昔、新婚間もない知人のアパートに遊びに行って、本棚の中に�性生活の知恵�が二冊置いてあるのを見つけたことがあった。ご承知とは思うが、この謝国権先生の名著は、結婚を前にした男女が読むものとして一時おおいに評判を集めたものである。
そこで、私は思う。
——一冊は亭主が買ったもの。一冊は奥さんが買って実家から持って来たもの。二人とも事前に一応研究したんだな。ご夫婦ともに文献でものごとをよく調査研究してから実行に移すタイプらしい。それにしても本棚の中に平気でこの手の本を置いておくところを見ると、セックスについてはかなり開放的な考え方を持っているほうだろう。このぶんなら二人でいろいろ研究をしているにちがいない——
奥さんが甲斐甲斐《かいがい》しく用意してくれたすき焼きなどをつつきながら、私はかくのごとく思いめぐらした。われながら、あまり結構な趣味ではないけれど、頭に浮かんじゃうのだから仕方ない。
この夫婦に子どもが生まれたのは、それから一年半ほどたった四月の某日だった。
私は、そのニュースを聞いて、またしても「うん、なるほど」と、頷《うなず》いた。
赤ちゃんを生むのに一番よいのは四月である。気候が暖かくなるので育てやすい。悪い風邪をひかせる心配も少ない。しかも四月生まれの子どもは、充分に成長してから幼稚園や学校へ入ることができるので、スタートでつまずくことが少ない。
もし、計画出産ならば、なにはともあれ四月あたりに生むのがよろしい。逆に言えば、厳寒のさなかに赤ちゃんを生んだり、三月生まれの子どもを作ったりするのは、非計画出産のケースが多い。�性生活の知恵�をそれぞれに持参して研究する夫婦は、当然計画出産だろう、と私は考えたのであった。